生成AI時代の海外大受験
珍しく、パーソナルな話ではなく、プロフェッショナルな話をしようと思う。年末年始に受験期が迫る今、伝えるべき重要なことだからだ。
留学のノウハウや情報などは、絶賛留学中の戦士たちや留学エージェントがクオリティの高いものをネット上で公開しているので、私は生成AIの海外大受験への影響について思うところを吐露する。
私は海外大学、大学院出願における志望動機書やエッセイ作成を学生時代も含めると15年ほど指導してきた。アメリカではアイビーリーグを含むトップスクール向けなどになると1時間20万円近い法外な金額を取るコンサルタントもいるほど、腕が良ければ需要がある。それでも合格を保証できないのが、米国大学受験の難しさだ。私もありがたいことにやる気のある受講生に恵まれ、料金こそ上記の方々の10分の1だが、毎年アイビーリーグを始め、ミネルバ、スタンフォード、カリフォルニア大そしてリベラルアーツカレッジなどに合格する生徒のエッセイの指導をさせてもらっている。
生成AI登場のエッセイ作成と添削への影響
ChatGPTや高性能な翻訳アプリなどが出現して以来、海外大受験のハードルは格段に下がった様に見える。
まず、高度な英語やロジカルな文章を書く力がない人でも、その辺のネイティブよりも洗練されたエッセイを書けるようになった。
大まかな手順としては、
日本語で作文を書く
意味が綺麗に通じるように生成AIが編集
翻訳機を使い英訳
生成AIが字数制限以内でそのエッセイを校閲
英訳や生成AIを使う順序が前後しても大体このような感じだ。人によっては、ネタ出しをチャットボットとの会話で行う人もいる。
恐ろしいのは、先述のように、生成AIが作成するエッセイの圧倒的クオリティの高さだ。普通に読めば、本人が書いていないと気が付かない入学審査官も多いはずだ。
コロナ前(2019年、2020年始めくらいまで)英語力やエッセイの編集力は資本だった。留学経験がなく当然英語力が足りない受験生が、何日もかけて辞書片手に書いたエッセイは、不自然な表現や文化的理解のズレがあり、10回以上の添削は当たり前だった。
ところが最近では、大学の必須条件になっているTOEFLやIELTSの点数もクリア出来ていない学生が、平気で自力で書いたような顔をして文法的に完璧なエッセイを提出してくる😩
ある意味、私のようなコンサルタントや塾に高いお金を払って見てもらわなくても、ネイティブに見劣りしないエッセイが田舎に住む高校生にも書けるようになったのだ。これは留学の民主化の第一歩にも見える。「私の仕事もここまでか」と一瞬焦ったこともあった。しかし、ここ数年であるパターンが見えてきた。
生成AIに頼りすぎる危険性
生成AIの欠点①: 独自性のなさ
まず第一に生成AIに独自性を求めることはできない。そもそも生成AIによるエッセイ編集は、コンピュータによる膨大な言語学習の上に成り立っている。既存の文章を大量に読んだパターンの中から最適な回答を出してくる。つまり、ネット上、またはデータ内にある先人の言葉の繰り返しなのだ。
そもそも、海外、特に米国の大学が自分の経験を赤裸々に描写したエッセイを書かせるのには理由がある。出願者の感じ方や見方、そして経験から学びを得る様からその人の人格や感性、そして才能を見極め、大学との相性を確かめるためだ。そこには、必ずと言っていいほど、独自性や独創性が求められる。なぜなら、英語圏の大学は、よりオープンで公平な学びのために人種だけでなく経済的、政治的、そして知的多様性を大学内に担保したいからだ(あくまでも表面的には)。決め手になるオリジナリティのない量産型のエッセイを提出すれば、他の似たような出願者に埋もれてしまい、評価されにくくなる。
生成AIの欠点②: 既視感とcliché
生成AIが一般化する前から、私には不思議に思っていたことがある。
それは既視感だ。
例えば2015年に受験した生徒Aさんが、部活の経験から、大変ユニークな学びを得たとする。その学生の斬新な考え方は評価され、受験したたくさんの大学から合格をいただく。2019年、SATやTOEFL、評定平均、課外活動においてAさんに近い、またはそれ以上のBさんも、部活から得た経験をエッセイに書き、Aさんと全く違う大学を受験する。
Bさんが2019年に受験した大学とAさんが2015年に受験した大学は、一つも被っていない。要するに、Bさんのエッセイを読んだ入学審査官たちは、Aさんのエッセイは読んでいない。にもかかわらず、Bさんのエッセイには「既視感」が漂い、滑り止め以外は全て不合格となってしまう。
しかし、エッセイを書いたBさん本人にしてみれば、Aさんが同じ内容で書いたとは知らないし、一生懸命考えてたどり着いた結論なのだ。それでも、他の誰かが先に辿り着いた知恵を繰り返すというのは、英語で言うところの「cliché」(クリーシェ)、すなわち「使い古された表現」に聞こえるのだ。これは私の中での七不思議の一つなので、その原因が集団意識と呼ばれるものなのか、我々の出す結論にもトレンドがあるということなのか、など説はあるものの決定的な理由はわからない。
自力で考え書いたエッセイでもそうなら、生成AIで作成したエッセイはどうだろう。もちろんそれはclichéと既視感の集合体だ。
生成AIの欠点③:”hallucination”という名の虚偽
それと、生成AIは、ストーリーも容易にでっち上げる。コマンドで、「ボランティア経験も入れて書いて。」と言えば、やったことのない経験まであたかもやったかのように含めてストーリーを展開させる。しかし注意すべきは、コマンドでそう指定せずとも、ストーリーに具体性が欠けていると思えば、平気でもっともらしい嘘の「経験」を勝手にAIが挿入するところだ。しかしそのお節介な情報もまた、ネット上にある高校生の経験の平均なのだ。誰かの経験を繋ぎ合わせたもので、なにもユニークではない。しっかりそのような「幻覚」と呼ばれる嘘の情報をチェックしないと、うっかり課外活動の記入欄とのズレが生じ、全落ちの原因となりかねない。
生成AIの欠点④:未熟な編集力とAIの「口癖」
更に言えば、gemini, chatGPT, claude, Perplexityなど生成AIも数知れずあるが、それぞれ編集の仕方に致命的な癖がある。それはそれらが学習している元データの質と、アルゴリズム、そしてどれだけ文章生成において性能が高いかということによるのだと思う。例えば、年齢層が低いユーザーが多いデータソースを学習させている生成AI(具体的な出どころは公開されていない場合も多い)による編集は、単語のチョイスもカジュアルになり、ボキャブラリーにバラエティがなく、それこそ「使い古された表現」が圧倒的に多くなる。そして編集の際ワンパターンの同義語を口癖のように使う。3人の違う生徒が、その「口癖」を含んだエッセイを提出してきたときには流石に呆れた🤦♀️
極端な話、文を読めば、「口癖」や「口調」からどのサービスを利用して編集したものなのか大体見当がつく。おそらく何千本もエッセイを読んでいる入学審査官もある程度この「口癖」などは把握しているだろう。もし出願者のエッセイにそのような表現があれば、生成AIを使用したことはすぐにバレる。そして、肝心な編集の質だが、完璧な文法でも、ストーリーの流れが段落と共にブツブツと切れたり、エッセイのテーマに一貫性がなかったりしてしまうものも多い。それでは、アカデミックにも、芸術作品としても良いエッセイとは言えない。
厄介なのは、普通の日本人が完璧な英文法で書かれている綺麗な文章を見ると、良いエッセイだという錯覚が生まれてしまうことだ。そのエッセイが良いか悪いか見極める力が無い時点で、ユーザーは自分の力不足を自覚すべきだ。
地道なエッセイ作成のススメ
英語学習において、生成AIはとてもいいツールだ。TOEFLやIELTSのエッセイを添削してもらったり、自作の文を自然な英語にしてもらったりできる。そして「A大学とB大学の違いは?」などと質問することで大学選びにも、非常に有効だ。
しかし海外大受験の書類作成においては、少し勝手が違う。自分で何度も悩みながらエッセイを書くから、英語力も、国語力も、思考力も格段に上がるのだ。自力で出願用のエッセイを書いて、添削してもらっているうちにTOEFLの勉強を特別したわけでないのに、ライティングのスコアが劇的に上がったということはよくあることだ。そして色々なことを対話や添削を通じて深く深く考え、語彙や知見を広げることが、海外大学での学びを最大限にする準備になる。
日本人は長年の「正解至上主義」教育の後遺症で、「完璧な英語でないと人様の目に触れさせたくない。」という呪縛に苦しんでいる。だからこそ生成AIや翻訳サービスに飛びつきたくなるのだろう。しかし、海外の大学が求めているのは、botの力を借りて完璧を取り繕う人間ではない。
不完全でも不器用でも、一生懸命答えのない問いに取り組む姿勢、自分の直感を信じる勇気、経験を自分の感覚で解釈できる内観力、即座に人の立場に立って思いやれる想像力と教養などだ。そしてそれは、全身全霊を込めて書いたエッセイで初めて証明できる。大学側は、そこにポテンシャルや魅力、ユニークさを見出す。
実際、生成AIの力で大学に合格したとしても、在学中それだけでは対処できない課題がたくさんあるのでついていけなくなる。例えば、ノートを一冊渡されて、「2時間で、今学期授業で習ったこと全てを応用して論文を書きなさい。」や、「今日はライブミュージシャンを呼んでいるので、パフォーマンスを見た後にディスカッションをします。」など、chatGPTにお願いできない状況がたくさん出てくる。大学で学ぶための力を数年の出願準備を通じてきっちり養うべきなのだ。
もしかしたらあなたは今高校3年生で、急いで留学準備をしているのかもしれない。AIの力を借りて、エッセイのお題を翻訳し、日本語で編集したエッセイを英訳し、文字数を合わせて貰えば、なんとか間に合うかも。もしそう思っているとしたら、私は一年ギャップイヤーを取ってエッセイにじっくり取り組むことをお勧めする。
たとえ今自信がなくても、地道に英作文に取り組むことで、あなたにはいいエッセイが絶対自分の力で、自分の言葉で書ける。平凡に見える10代の人生にも、世界のステージで読み手の心を打つ、隠れたストーリーや教訓がいっぱい眠っている。必ずあなたにしかできないひらめきの瞬間は来る。ありのままの自分を、見つけて、受け入れて、勝負する。
世界中の受験生が生成AIに頼る時代だからこそ、あなたの気迫溢れる唯一無二のエッセイが一層輝くチャンスなのだ。ぜひ妥協せずに頑張って欲しい。
実際の受講生の声
なんと!この記事を読んだ元受講生の子たちからメッセージが!
みんなの言う通りで、エッセイを書くプロセスは、英語力などだけでなく、最終的に学校を選ぶときや、世界に羽ばたくときに、自分の価値観をしっかり持つことに繋がり、本当に色々とプラスになります。せっかくだから、AIの力も借りながら、人間にしかできない葛藤やひらめきを、とことん楽しんじゃいましょう!
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