才能とか天才とかない

 才能という言葉が"生まれ持ったモノ"という意味を含むのであれば、音楽の才能というものはほぼ存在しないと実感しています。むしろ、才能論や天才論が音楽と人を遠ざけているし、音楽力の向上を阻んでいると強く感じています。

 俺が音楽の勉強に本格的に取り組んだのは、20歳の頃でした。
(別に、この何の告知もせずひっそりとやっているnoteを使って"自分語り"をしようというわけではなくて、この身をもって体感した"音楽の姿"について少しだけ書きたいだけなので、読んでくれている方はお付き合いください。なんかすいません。)

 20歳の頃に取り組んだ事は、まずは黄色い表紙の「楽典」という本で音楽の基礎理論を理解するところからでした。基礎理論なんて仰々しく書きはしましたが、その正体は小学生の算数や国語程度に要求される理解力と読解力があれば充分なものです。
 しかし、人に教える立場になった現在見渡してみると、高学歴で勉強の良くできる子に教えたとしても、高校生や中学生に教えたとしても、理解の速度はそう変わりはないように感じます。
 音楽の理解を阻んでいる要素で、思い付くモノをザっと下にまとめて、それぞれについて書いていきたいと思います。


①単位の認識
②言葉の理解
③事柄の紐付け
④知識の定着化


 音楽の勉強をする上で、実感しにくい単位のようなものが幾つも登場します。例えば、音程にまつわる「長短、増減、完全」や「度数」もそうですし、リズムにまつわる「○分音符」や「○分休符」などがありますが、何のために必要なのか以上に、そもそも何を測る単位なのかが理解できていなければ、意味の分からない記号や数値をただ虚しく暗記をしているだけになります。


 ある音楽家の発言に「良い音楽家は言葉や記号について深く理解している」というものがありました。かなり攻めた発言だなあとは思いましたが、一理あると思います。言葉の意味を中途半端に覚えたり理解する事が、音楽を"雲を掴むようなモノ"にしてしまいます。


 音楽はテクノロジーだと思います。ベースにあるのは合理的で機能的なシステムです。構造的な理解や知識の関連付けを間違うと、長い間誤解し続ける事になりますし、いずれ必ず何かしらのエラーが起きます。


 知識が定着化するためには、その知識をある程度の頻度で使わなければならないものです。しかし、「どう使ったら良いのか分からない」という感覚を持つ人がとても多いのが実際のところです。使わない知識は、忘れてゆく知識という事になります。


 今サラっと思い付くだけですが、少なくとも以上の4つが音楽の理解を難しくさせています。どう捉え、どう理解し、どう紐付け、どう使うかという事たちが問題を起こすケースは、決して音楽の分野だけに限った事ではない気がしますが、特に音楽については観念的に受け止めようとする傾向が正しい理解をさらに難しくさせているように感じます。
 その上、少なくとも日本国内に広く根付いている才能論や天才論のような選民意識にも似たような意識が、音楽から人を遠ざけ、音楽の勉強をする人の意欲を削いでしまっていると感じます。"できるかできないか"で必要以上に一喜一憂したり、考える事を止めて諦めてしまったり、勉強する事を避けて他の物に置き換えようとしてみたり(キャラクターで乗り切ろうとか、バカのフリしてようとか)、分からないという理由で特定のジャンルの音楽を敬遠したり。

 今まで音楽をやってきて、沢山の音楽家に触れ、1つハッキリしている事は、
やれば大抵できる
という事です。自己啓発的な事を書いているわけではなく、心からそう思っているわけで、もちろん音楽の基礎理論に関する事も同じです。
 そこで、上の4つへの対処法というか、解決法を書いてみます。


 まずはそもそも、音楽と時間の関係についての理解が必要だと思います。特に音楽が時間を使って表現されるモノだという事実があまり理解されていない気がしています。
 例えば五線譜ですが、あれはただのグラフであって、フリーハンドで素早く効率的に音を見える化する為の手段です。まず必要なのは、簡単な情報処理の知識という事になります。五線譜の縦軸は音程で、横軸は時間です。音には高さがあり、時間には長さがあります。初期に勉強する音楽の基礎理論の多くを占めるのは、あくまでグラフの読み方であり、それ以上ではありません。
 音楽は非常にシンプルで合理的・機能的にシステム化されているので、ほぼ全てのケースで単純なパターンを見つける事ができますし、頭の中にいくつかの新しい物差しを正しく作る事ができれば、基礎理論の部分は簡単に理解する事ができます。かけ算や割り算のルールを理解するのと同じ程度の努力でできる事です。

② 
 音楽の用語には大抵2種類の意味があります。1つは理論的・物理的な意味、もう1つは観念的な意味です。
 例えばスタッカートという言葉は「拍を短く」という意味と「弾むように」という意味があります。どちらかの理解だけでは実現が難しく、「拍を短くすると弾むようになる」という事と「弾むようにする為に拍を短くする」という両面からの理解が必要という事になります。つまり、言葉を正しく理解してイメージや体感と知識が結び付くことで、的確な練習ができ、またイメージを的確に表現できるようにもなるわけです。


 基礎理論の部分に限って言えば、理解する順番やストーリーは大切だと思います。知識を乱雑にせずに、スタートからゴールまでを整理して理解すれば問題ありません。そういう意味でも"覚える"よりも"理解する"方を大切にすべきだと思います。大抵の場合、どういう話なのか、何についての話なのかが理解できない事が問題になります。
 なんにせよ、全体的な物量がさほど多くないので、例えばリズムに関する事を勉強するのであれば、焦らずゆっくり繰り返しながら理解してゆけば大抵誰にでも理解できるはずです。


 「知識を使わない人は"使えない人"ってだけよ」とよく言っています。先にも書いた通り、音楽の基礎理論はさほど物量がありません。しかしその代わり、例えば「楽典」という書籍に関して言えば、音楽に向き合う時に必要な要素を無駄なく網羅しています。
 つまり、知識を「どう使ったら良いのか分からない」人は、使うべき作業をしてないだけという事になります。だって、"音楽の基礎理論"という事は、音に出すところまでやってみないと理解した事にならないわけですし、自分で譜面を描いてみたりしなければ情報処理の能力についても成長しようがないわけです。その辺りが一般教科と違う部分です。読み書きだけではなく音に出すところまでが音楽の勉強に必要な要素だという事です。


 20歳頃から音楽の勉強を始めた俺ですが、今はこうしてプロという立場でミュージシャンをやっています。一応音楽大学に行きはしましたが、大抵授業よりも自分で研究したり練習したりする事がほぼ全てで、ピアノも誰にも習わずに仕事になるくらいは弾けるようになりましたし、作編曲もやっています。今でも本棚にある音楽の参考書に類するような物も2冊程度で、どのミュージシャンも大抵持っているような物のみです。あえて書くとすれば、最も重要な事は、自分の取り組みを通じて音楽をはじめとした様々な分野の数多くの優れたメンターに出会えた事だと思います。
 もちろん俺って凄いだろ!という事ではなくて、まずは自分で考える事をちゃんとやりさえすれば必ずどうにかなると思いますし、ちゃんと考えている人には誰かが必ずインスピレーションを与えてくれるものだよなあと思っています。口を開けてひたすら待っていてももちろん誰も何も与えてくれはしないし、いくら金を積んで機会や知識が与えられたとしても、自ら考える事をしない人にとっては無駄になるだけだと確信しています。

 少し話が逸れましたが、音楽基礎理論の勉強の話を通して、今の自分が認識する音楽の実際の姿の一部について書きたかったわけです。20歳の頃に見えていた音楽の姿と今見ている音楽の姿との間にはあまりにも乖離があって、それが多くの人にもあると感じているからです。
 音楽のアカデミックな部分に関して特に思う事は、臆病になったり面倒くさがって目を逸らすほどの脅威ではないよって事です。そんなに難しくないし、1つ1つちゃんとクリアしていけば必ず成果の上がる分野なんです。楽しい。だから歌を勉強したい人には特に向き合ってもらいたいし、大抵の事がそれで解決します。そしてついでに、音楽が好きだな〜という人にも一般教養的に理解してもらえる機会があれば、きっともっと面白くなるんじゃないかなあという思いもあります。

 実は今、フェスの企画運営をやっていたりもするのでこんな事を書いてる場合でもないんですが、ちょっと頭を切り替えたくて書き始めたら、結局しっかり書いてしまいました。ダメだな〜。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?