見出し画像

「おっさん」が「おっさん」について考え、理想を模索する話。

【①おっさんになってしまっている自分の気づき】

私はこれまでの人生において、たちの悪い「おっさん」に散々苦しめられてきた。

しかし40歳を過ぎ、自分が意識していなくても「おっさん」化している自分がいる。

それは自発的な気づきではなく、妻から指摘されることが多い。
最近よく言われたこととして、、、

*TVに向かって一人で悪態をついている。
*年下の店員さんに対してタメ口で偉そうに見える。
*声が大きすぎて恥ずかしい。
*遠出を嫌がり、地元で何でもすまそうとする。

などなど、、

いろいろと指摘される。

あれだけだけ忌み嫌っていた「おっさん」になってしまっている自分が情けなくもあり、悔しい。

今回のお題企画「#あたらしい自分へ」をみて、真っ先に考えたことは「おっさん」化をやめたいということだった。

【②News Picksにおいてのおっさんの定義】

まずは悪しき「おっさん」の定義をNews Picksから引用してみた。

①古い価値観に凝り固まっていて、新しい価値観に適応できない。
②過去の成功体験に執着し、既得権益を振りかざす。
③序列意識が強く、自己保身的。
④よそ者や異質な存在、序列が下の人間に対して非礼。
一言で言うなら、、 
   
「おっさん」 = 新しいことを学ばない(アップデートしていない)
これらに該当する人は、若者でも女性でもすべて「おっさん」と定義するという。

確かにこのような「おっさん」が昔の会社にはわんさかいた。
そして、最近「女性蔑視発言」をした森喜朗、常に高圧的な態度の麻生太郎などまさに「おっさん」のステレオタイプだと思う。

これらの「おっさん」の領域に足を踏み入れている自分がいることをより深刻に受け止めて意識的に自己変革していかなければならない。


【③2人のおっさんの話⑴】

この「おっさん」について考えていたとき。
ふと、ある2人の「おっさん」の話を思い出した。

2000年に新卒入社した会社は、建設業の大企業であった。

配属されたのは営業部署、人員は60人ほどいたが、すべて男性であり「おっさん」ばかりであった。

今では考えられないことであったが、当時はまだ机の上に灰皿が置いてあり、タバコはいつでも吸い放題な時代であった。

そして入社から半年が経った秋に営業部の北海道慰安旅行があった。
忘れもしない初日の登別温泉での夜の大宴会での出来事だ。

私は先輩にも指導されて、乾杯の音頭とともにビール瓶をもって60人以上いる「おっさん」一人一人にお酌しに回った。

大体の「おっさん」からは「新人、頑張れよ。」と励ましのお言葉いただいた。

私が最も危惧していたのは、入社当初から何かと私に難癖を付けるインテリヤクザのような風貌の「おっさん」であった。

そして、そしてついにインテリヤクザの「おっさん」の番だ。

緊張しながらひざまずき、

「お疲れ様です。不束者ですが、よろしくお願いします。」

とビールをお酌しようとした瞬間、そのインテリヤクザの「おっさん」は唐突に叫んだ。

「お前!俺の担当会社も知らねーのか!そんなビール見たくもねー!失せろ!」

いきなりめちゃくちゃキレられたのである。
私は周りの人への恥ずかしい気持ちと、自分が何をしたのかもわからない混乱状態に陥った。

すぐに先輩に聞きに行くと、そのインテリヤクザの営業担当はキリンビールであり、私のもっていたビール瓶はアサヒビールであった。

しかし、その宴会場のビールはすべてアサヒスーパードライで、キリンビールは置いてはいなかった。

その後、私はこの理不尽さに対して怒り心頭のあまり痛飲してしまった。
後で先輩に聞いたところ、かなり暴れていたそうである。
当時の先輩方に申し訳ない気持ちでいっぱいである。

そのインテリヤクザの「おっさん」は下の者には横柄な態度をし、上司に対しては目一杯のゴマすりをするタイプで有名だった。
そして、お客様は神様的なスタイルで非常に営業成績も優秀であった。

私は5年間その会社に在籍したが、インテリヤクザの「おっさん」とは関わらないように常に彼へのアンテナを張り巡らしていた。

彼の仕事ぶりは昭和の「おっさん」そのものであり、大きな声とインテリヤクザという風貌で押し出しがきくので、誰も彼に異論を唱える人はいなかった。

「おっさん」しかいないサル山の中では一番目立っていたことは確かだし、出世もしたことであろう。

このようなパワハラを振りかざす「おっさん」がいるような会社が衰退していくことは自明の理である。

しかし、インテリヤクザのような「おっさん」は決して変われないのも事実である。
なぜなら自分の成功体験が既得権益を生み出し、それは捨てさることは過去の自分を否定すると考えているからだ。


【④2人のおっさんの話⑵】

もう一人の「おっさん」の話をしたい。

このおっさんは見た目こそ「おっさん」だが、
さっきとは全く違う「おっさん」の話だ。

その慰安旅行の2日目の移動バスで座席を探していた私に声をかけてくれたおじさんがいた。

見た目がこれまたいかつく、日焼けした組長みたいなおじさんであった。

薄いサングラスごしに、
「ここ空いてるよ。」
とうながされ、ビビリながら隣の席に座った。

見た目は組長そのものだったが、とても気さくに色々な話しをしてくれた。

それは説教じみた話しは微塵もなく、新入社員としてではなく一人の社会人として優しく接してくれたことを覚えている。

「明日、釣りに行かない?」
と誘ってさえしてくれた。

私は釣りもしたこともなく、明日のアイヌ村の観光を楽しみにしていたので丁重にお断りした。

今となってはあの時、釣りに行っておけばよかったと後悔している。

その後、その組長のおじさんとは全く仕事では関わりを持たなかったが、社内で会うと明るく挨拶を交わしてくれた。

2年ほどした夏も終わりかけのある金曜日、私は官公庁案件の入札の準備で残業をしていた。

21時すぎに残業も終わり私一人だったので電気を消そうとしたところ、奥の方で人がいるのが見えた。

広いフロアーだったので誰だかわからなかったが、そのまま私は帰宅した。

月曜日、会社に出社すると社内が騒然としていた。

なんと組長のおじさんが自殺したとのことだった。

そして、先週の金曜日に帰り際に見た人はその組長のおじさんであり、おそらく身辺整理をしていたという事だった。

つまり、この会社で組長のおじさんを最後に見たのが私であったのだ。

私は当然ながら非常に当惑し、悲しみのあまり体調もくずした記憶がある。

自殺の原因は不明であり、同じ課の人もまったく心あたりがないという。

お葬式が終わり、数日後には普段と変わらない営業部の風景が戻り、誰もが普通に仕事していた。

そして驚いたこととして、飲み屋においてでもその組長のおじさんの話しは出てこないのである。

まるで死んだ人間のことを話すことを忌みはばかるかのように誰も口にしない。

これは異常な世界だと私は感じた。
「おっさんのサル山」は弱肉強食の世界に近いものがある。
一人でも女性がいればまた違った世界にもなったであろう。

「おっさんのサル山」でのマウントの取り合いにも嫌気がさしていた。

結果、在籍5年でその建設会社を辞めた。

最後は一人一人に退社の挨拶に行ったが、インテリヤクザの「おっさん」にはこれ見よがしに素通りしてやった。

私の昔話はこれで終わりだが、組長のおじさんが優しく接してくれた思い出は今でも鮮明に覚えている。


【⑤なみへいの考え】

最後に紹介した「おっさん」が何に悩み絶望したのかわからないが、私は何もできなかった自分に対し悔しい思いがある。
あの日、もし私が声をかけたら運命が変わっていたかもとも思ってしまう。

冒頭で紹介した「おっさん」について定義したNews Picks。
そのNews Picksが「さよなら、おっさん」という広告を日経新聞や電車において大々的に展開していた。

私個人としては
この「さよなら、おっさん」を1人目に紹介したインテリヤクザの「おっさん」に対して使いたい。

ただし、私はこの広告に対し違和感を感じる。

いくら女性や若者にも「おっさん」はいると言っても、大抵の人は中高年男性を想定するだろう。

その「おじさん」(あえて呼び名を分ける。)の中には、人格的に素晴らしい方や長年の経験から培ってきた知見を持っている方々も「さよなら」と排除して良いものなのか?

News Picksのコメント欄の名前の前に必ず〇〇会社CFOなどの肩書きがあり、肩書きのしっかりした人ほどコメントを読まれる確率が高い。
それこそ彼らの定義している古い価値観、序列主義と言った「おっさん」の肩書き重視主義に当たらないだろうか?

アップデートできない「おっさん」はいらない。
なんて簡単に切り捨てないでほしい。

世の中には「おっさん」の中でも、他人をおもんばかり、目下の人間に対しても敬意をもって接してくれる人もいる。

それは社会人になりたての人間にとっては一生の宝になる。

デキる若手のビジネスマンは自分が老いて死んでいく姿を想像したくないのであろう。
「おっさん」は使えないから排除せよと思うことは、天に唾を吐くようなものだ。
いずれ自分が老いて、新な若者に排除される。

「おっさん」として重要なことは常に謙虚で敬意をもって人に接することだと思う。
アナログであれ、デジタルであれそうやって人に接することで自然と自分をアップデートできるのではないか。

それを体現している人がいる。


【⑥三浦和良選手の話】


KING KAZU こと三浦知良選手だ。

Jリーグ創世記のアイコンであり、日本代表としてドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜を経験しているまさに日本サッカー会のレジェンドである。

驚くべきは53歳にして、J1リーグ横浜FCの現役選手である。

尊敬の意味も込めて、彼のことを世間一般的に呼ばれている「カズさん」と書く。

画像1

上記の写真はカズ会と呼ばれる、海外組の日本サッカーを背負う選手たちがカズさんを囲む会のものである。

この写真だけ見ても内田、香川、長友、長谷部、吉田、武藤と豪華なメンバーだ。

この会ではカズさんの隣の席は奪いあいになるという。
みんなカズさんが憧れであり、本当のスーパースターだからだ。

カズさんは20歳以上年下の選手たちに、常に敬語で話しかけるという。
一人のサッカー選手として年齢など関係なしに、海外組の選手たちをリスペクトしている証しであろう。

おそらく自慢話しなどもせず、逆に年下の選手からの話しを吸収したい貪欲な精神で食事会をしていることであろう。

おそらくカズさんを「おっさん」と呼ぶ人は誰一人いないであろう。
しかし、我々「おっさん」はとてつもない高い目標設定として三浦知良選手を想定することは自由だ。

カズさんの謙虚さ貪欲さ、そしてチャレンジ精神と継続性。
カズさんの5分の1ほど実践できれば、おっさんの名誉挽回である。

世界を見渡してもカズさんほどの人物はそうそういない。

日本が誇るべき「おっさん」の目標としての三浦知良。


世の中の中高年男性諸君!

まだまだ諦めるのは早い、これからが勝負だ!







この記事が参加している募集

スキしてみて

記事が面白いと思っていただけたら、サポートいただけると嬉しいです。 より良い記事を書くための励みになります!