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嫌われている 責められ続けた子

越えるべき問題


あの人は私のことを、こう思っているに違いない。
あの人は私を、嫌っているに決まってる。

そんな思いに執らわれることは、無いでしょうか。

NAMIDAサポート協会カウンセラー
心の伴走者ノゾムです。

それ、大半が思い込みみたいです。
仮に相手が、悪意を持っていたとしても、それは、その人がそんな人なのです。

そして、その人が心の中で、こちらのことをどう思うか、は、その人の自由です。

心が健やかな人は、実際に攻撃されたり、嫌がらせをされたとき、はじめて、迎撃、防御します。

心が健やかな人は、感情の境界線がしっかりしているので、侵害されたと判断したなら、距離を取るとか、抗議をするとか、必要に応じて、対処します。

自分を侵害する行為を不本意に思いながら、迎合したり放置することは、しません。

もちろん、その人が好意的でないことを察知した段階で用心はしますが、ことさらに、その人に対して敵意を燃やしたりは、しないでしょう。

実害が及びそうになるまでは、放っておく訳です。

なぜなら、各々の心の中に湧き出す感情は止めることが出来ないし、他人が干渉してはならない事だからです。

機能不全家庭に育った人は、ここの感じ方や対処が苦手で、それが、生きづらさの中心であることも少なくない様に思います。

逆に言うなら、この問題を乗り越えられたら、生きづらさを、和らげることが出来るのではないでしょうか。


機能不全家庭で育つ


機能不全家庭で育ったと言うことは、感情の発露を塞がれ続け、感情にジャッジを加えられ続けた筈です。

私、ノゾムの場合、母は例えば、食卓についた私に、「今、こんなオカズかぁ、と思っただろ!」と怒ってました。
その怒りは、たいてい的外れで、私は思ってもいないことで、食ってかかられることが、とても不愉快でした。

母は根が小心で生真面目なんだと思います。

自分が心の中で「手を抜いてしまった。」との思いがあると、それを私の思いだと、認識するのです。

投影と言われる心の動きです。

母は始終この調子で、見当違いなことで、私に食ってかかってました。

今でこそ、母の心の動きは、こうなんじゃないか、と言う見当もつきますが、

幼かった私は自分はそんなことは思っていない、と言う思いと、母を怒らせた自分が悪い、との思いに引き裂かれ、最終的には自分が悪い、に落ち着いていた様に思います。

自分が悪い、に落ち着くと言うことは、心の中で自分を責め続けると言うことです。

責められ続けた子は、自分が悪いと思うことが、常態化しているので、その後の人生でも、ことある毎に、責められている気分を勝手に味わいます。

それと、私の場合は、お前はこう思っているね、と自分の感情を母から決めつけられて育つうちに、自分も他人の感情を決めつける様になりました。

すると、あの人は私を嫌っている、との思いに執らわれてしまうのです。

私は、あの人に敵意を持ったことなどないのに、私を嫌うあの人が許せない、と勝手な妄想、完全な一人相撲に振り回されます。

責められ続けて育った子の心の中は、いつも緊急事態、いつも臨戦態勢なのです。

だから、リラックスすることが出来ません。

人と接する時は、心の中でいつもファイティングポーズをとっているのですから、緊張常態、興奮状態にある訳です。

昂ぶった常態が続くと言うことは、交感神経優位になり、不眠にも陥りがちです。

責められている意識が少ない人は、緊張も興奮もしていないのが常態ですから、起きて活動している時は目の前のことに集中し易く、充分なパフォーマンスを発揮出来ますし、楽しむことが出来ます。
入眠に苦手意識を持つことも無いでしょう。

責められ続けて育ったかどうかは、日常生活の至るところに影響します。

何をするにしても、責められ続けて育った人は、先ず自分の内側で、ざわめく心とせめぎ合ったり、なだめすかしたりする必要があります。

目の前のことに取り組むのは、その後になります。

責められる意識の無い人は、そんな複雑で繁雑な心の動きは無く、ただ目の前のことに取り組むのみです。

私は親から、集中力が無い、注意力が足りない、と叱られてました。

今、思えば、無理もないと思います。

例えば、テストの答案用紙に向き合ったとしても、心の大半は自分の中の自信の無さや、不安と、せめぎ合い、なだめすかす事に向かっていて、目の前のテストに集中することなど、出来なかった訳です。

責められた人の心


責められて育った人は、心の中が傷だらけです。

心の傷とは、責められた事で、例えば、自分はダメな人間だ、という思い込みをしてしまい、
ダメな私には価値がない、と決めつけた事で、無価値感と言うネガティブな感情が発生する仕組みが染み付いている、と言うことです。

この仕組みが、染み付いている限り、くり返し、くり返し、無価値感は現れ続けます。

逆に言うと、この仕組みさえ、変える事が出来たなら、無価値感は現れなくなると言うことです。

この仕組みをテープ式心理学では、ガムテープと呼びます。

心にガムテープが沢山貼られていると、心の中の確たる「自分」と言う意識が育たず、また、自分と他人を分ける役目の感情の境界線が曖昧になります。

ガムテープが沢山貼られている事で、
①無価値感などネガティブな感情が発生する。
②「自分」が育たない。
③感情の境界線が曖昧。
と言った事がセットで起きます。

この①〜③は、人間関係における問題の原因の大半を占めるものです。

つまり、ガムテープを剥がす事で、機能不全家庭に育った人、責められ続けて幼少期を過ごした人の生きづらさを無くす事が出来ます。


本当のこの世界


冒頭でお話しした、
あの人は私を、嫌っているに決まってる。
などと過剰に感じ取ってしまうのは、責められて育った人の典型的な感じ方です。

私自身、そういった感覚に執らわれ、攻撃的になったり、人を遠ざけたり、人生をずいぶん難しくしたという自覚があります。

周りが、敵だらけに見えて、とても生きづらく感じていました。

世の中は、本当は敵だらけなんかじゃ無い様です。

本当の世の中を感じる方法は、ガムテープを剥がすこと。

ガムテープを剥がす方法は、自分と向き合うこと。

今よりも、ずっと優しい世界を感じる事が出来るのです。


NAMIDAサポート協会カウンセラー
心の伴走者ノゾム





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