生きづらい私が変革の時を生きる 疑う事と信じる力

巨大経済圏を維持する構造


「心」は物理的に触れることが出来ません。
手に取ることも、目で見ることすら出来ません。

しかしながら、人間は触れることも、手に取ることも、見ることも出来ない「心」の問題で悩みます。

悩みは尽きないけれども、カタチ無きものであるが故、他の学問と比べて、心理学は検証が難しい事柄が多岐に渡ります。

検証困難となると、心理学や精神医学などの権威ある人物の研究や考えが心にまつわる事の方向性に大きな影響を直接的に与えることになります。

日本では、何らかの精神病名を持つ人の数は過去最高を年々更新しています。

一人の患者さんが、幾つもの病院を受診して、行く先々で別の病名を貰うことは珍しくありません。
病名が変わる訳です。

患者数が激増するばかりではなく、精神病の種類がおそろしく増えています。

○○病、○○症、○○障害、おびただしい数の精神病名があります。

一昔前は10前後だったと思います。
研究が進んだからでしょうか?
時代のせいで人々の心が変わったのでしょうか?

そして病名に則した投薬治療が施されます。

精神病名を有する人は増加の一途をたどり、
付けられる病名は病院毎に変わる事があり、
精神病名自体が激増しており、
患者は大量の投薬治療を受ける。

何らかの精神病名を有する人は、
苦しむ→通院→服薬→治らない→苦しむ…の無限ループに身を置き、抜け出せず、
患者数は増え続けます。

なんだかおかしいと思えてならないんです。

苦しむ人を救う為の仕組みなのだろうか。
もっと違った意図を感じるんです。

精神医学界・医療業界・製薬会社等の巨大経済圏を維持する為の論理で動く仕組みなのではなかろうか、と思えてならないんです。

苦しむ人を救う筈の仕組みが巨大経済圏を維持することを至上命題としていては、苦しむ人々は苦しみっぱなしです。

医療が、苦しむ人々のその苦しみから脱したいという思いに寄り添わないで、営利に走るならば、

乱暴な言い方をすれば、魂や霊が目には見えないからと、それを利用して壺や墓石を売りつけることと変わりが無い様に思えて来ます。


フロイトの功罪


心理学の祖といえばフロイトです。
1939年に没しておりますので、フロイトの心理学も随分昔の学問と言う事になります。

長いこと、その理論は心理学の中心であり続けましたが、近年では、自我、超自我、イド(エス)からなる心の仕組み、フロイトの構造論も決して真ん中の理論ではなくなったと聞きます。

今はそうだとしても、心のことを学問として確立した功績は大きいと言えます。

しかし、フロイトは功績も大きければ、過ちとも思える部分もあります。

フロイトはスポンサーから資金提供を受け研究をしていた時に、そのスポンサーの娘さんの治療を受け持ち、娘さんの「父親から性的虐待を受けた」という訴えを、真っ向から否定して、そういった訴えはいつも子どもの妄想であり、近親姦など無い、と結論づけました。

フロイトが恐れたのは、スポンサーからの資金提供が断たれることと、同じ様なケースの親子は世に沢山居るとしたら、親を秘密めいた罪を犯す悪者にすれば、世を敵に回しかねない為、子供の妄想という暴論に落とし所を定めたと思われます。

これは、フロイトが自分の研究を続ける為に自分の研究を曲げたと言う事に他ならず、目には見えない心の問題だけに、権威者が声高に方向を指し示せば、学問自体がその方向に舵を切ると言う事で、そこには利権や思惑が絡んでいると言う事だと思います。

その後ひっそりと、この発言は間違いであったとフロイト自身が発言したとも聞きますが、

第一人者のフロイトが一旦下した見解が、生きづらさに苦しむ人の原因は養育者や家庭環境にあらずと結論づけた事は、その後の心理学に影を落としたと思います。

私はこの風潮は、フロイトの心理学が王道ではなくなった現在においても、残り続けていて、
安易に生きづらい子供の先天性ばかりに原因を結びつけている様に感じてます。

私は機能不全家庭に育ったからこそ、生きづらさを抱える多くの人の、その原因は家庭にあると思っています。

しかし、確かに親子の問題、家庭の問題は医療や心理の専門家であろうと、おいそれとは立ち入れない問題ではあります。

だからと言って、本当の原因に触れる事なく、先天性の脳疾患、最近ではウィルス説などに帰結するのは、

利権と世論と諸事情を加味して落し所を探した100年前のフロイトの焼き直し、いや、規模が大きいだけに、より一層罪深い気がします。


変革期を生き抜く


私は個人的には肌感覚として、時代は嘘や隠蔽がまかり通らなくなりつつあると感じています。

膨らみ続ける事が宿命づけられた経済も矛盾を露呈しつつあり、構造的に変革せざるを得ないだろうと感じています。

けれども、変革期に差し掛かったとはいえ、全ての嘘や隠蔽や矛盾が一時に消え去り、この世が理想郷に変貌するといったことは無く、

私達は変革の時代を自分自身で生きる訳です。

パンデミック、金融危機、食糧難、政治不信、不安定極まりない時代かも知れません。

情報化社会であるが故に、情報が錯綜します。

しかも、メディアの偏重報道、言論統制も顕著です。

私達は溢れる情報の中から、個々の知恵を使って情報を選択する事が求められていると思ってます。

生きづらさを抱えている人も例外ではなく、何かおかしいのでは?という視点は大事だと思います。

疑心暗鬼になることをお薦めするものでは、勿論ありません。

何も考える事なく、全面的に身を委ねるのではなく、ひとつひとつ目の前の事を吟味して取捨選択して方向を定める事は、今後ますます大切になると思います。

心の事は目に見えないだけに、性質上、何らかの意図が入り込み易いという側面があります。

私達は個々に考え、そして最善の道を選び取りたいものです。

当たり前を疑うことと同じぐらいに、

自分の選択を信じることが大切だと感じています。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


NAMIDAサポート協会カウンセラー
心の伴走者ノゾム




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