Mr.Childrenと戦後日本①ー1999年、夏、沖縄/蘇生
2020年4月18日と19日、Mr.Childrenは2017年の全国ツアー『Mr.Children DOME & STADIUM TOUR 2017 Thanksgiving 25』のライブ映像をYouTube配信しました。期間限定とのことではありますが、5月3日現在はまだ公開されたままの状態になっています。ここ最近、ミスチルは過去作のMVを一挙にYouTubeに公開するなど、新型コロナウイルスの影響が日増しに大きくなる社会情勢の中、私たちに活力を与えてくれています。
ミスチルの映像作品の多くがWEB上に公開されたことで、WEB上で映像を共有しながらミスチルの楽曲について論じることの障壁はかなり少なくなりました。
というわけでこの機会に、ミスチル論(ただしほぼ≒桜井和寿論、ではありますが…)を書いてみたいと思います。
第1回目は、誰もが知っているあの大ヒット曲…ではなく。
『1999年、夏、沖縄』と、『蘇生』の2曲を取り上げます。
1. もう1つ、次の未来へー「1999年、夏、沖縄」
こんな前置きの後、桜井和寿の弾き語りから『1999年、夏、沖縄』の演奏が始まります。『Thanksgiving』ツアー映像・後編の1曲目です。
『1999年、夏、沖縄』は、2000年8月発表のシングル『NOT FOUND』のカップリング曲でした。2012年のライブで披露された際の桜井のMCによれば、1994年に沖縄に行ったことをモチーフとして曲作りが始まり、1999年のどこかの時点で完成した曲のようです。【1】
この曲について、「たぶん、(※注:99年発表のアルバム『DISCOVERY』の)ツアーの最後にやるような気持ちでいた」のだと桜井は発言しています(実際にツアーの最終公演で初めて生演奏されたのはこの2本後のツアーだったようです)。また、桜井がティーンエージャーだった頃に最も影響を受けたアーティストの一人である浜田省吾と話をした際に、ポップミュージックのルーツであるアメリカについて、また自らのルーツと向き合うことについての浜田の意見にインスパイアされたことも示唆しています。【2】
実際に『DISCOVERY』ツアーの最終公演は、この曲の歌詞の中で、
と歌われている通り、1999年7月11日に沖縄県の宜野湾市屋外劇場で行われています。たしかに「ツアーに出ること、回ることについて」の歌です。
ですが、「1999年、夏」という年と季節に含まれている意味は、もう一つあるように思われます。そのことが『Thanksgiving』ツアーでこの曲の間に挟まれた、ミスチルファンなら感涙モノの桜井のMCの中で明らかにされています。
「ノストラダムスの大予言」において「世界が滅亡する」と予言されていた時期は、正確には「1999の年、7の月」、つまり1999年の7月です。
私は「ノストラダムスの大予言」の社会的影響力をリアルタイムでは知らない世代なので、それがどの程度真実味を持って信じられていたのかは実感としては分かりません。ですが「ノストラダムス」のような「終末カルチャー」が戦後の日本社会に育った若者たちをたびたび魅了してきた、ということは言えると思います【3】。例えば村上春樹はオウム真理教の信者・元信者にインタビューした経験を踏まえて、彼らには「ノストラダムスの大予言」に影響された人が多かったという印象を語っています。【4】
批評家の大塚英志は、1961年の文芸評論家の江藤淳による三島由紀夫論が、三島の「過剰なまでに見られる『椿事』への期待(※注:=破滅への期待)とその文学的断念を見てとって」おり、「三島が10年後に文学のなかではない『椿事』を演ずることになるのを江藤は冷静に予見している」と読み取っています(実際に三島は1970年に自決します)。
そしてそのような「世界破滅への期待と、そのような崩壊への期待の崩壊」を90年代のサブカルチャーも繰り返しているように感じたと、鶴見済著『完全自殺マニュアル』(1993)を挙げて述べています。【5】
桜井和寿は、自身が「J-POP」という90年代の代表的なサブカルチャーを担ったバンドのフロントマンであるだけでなく、他の90年代を象徴するサブカルチャーに大きな影響を受けてきた作家でもあります。例えば『週刊SPA!』誌上で連載されていた小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』の愛読者であったことを95年の小林よしのり本人との対談の中で明かしていますし【※A】【6】、ミスチルの活動休止直前の1997年のインタビューでは『新世紀エヴァンゲリオン』の面白さについて語っています。【7】
そう考えると、後続世代の私にとってはやや驚きをもって捉えられた、「ノストラダムスの大予言」通りに「99年に世界が滅亡したらラッキー」だと思っていたという桜井の考えも、90年代という時代の空気の中ではさして珍しいものではなかったのかもしれません。
ともあれ桜井にとって「1999年、夏」は、一つのツアーが終わる時であるとともに、世界が滅亡するはずだった時でもあった。そしてミスチルはその西暦と季節をタイトルに冠した『1999年、夏、沖縄』という曲を作った。
改めて、『1999年、夏、沖縄』の歌詞を確認してみたいと思います。
1番の最後で歌われるのは、次の歌詞です。
曲の最後では、次のように歌われます。
詳しくは別の機会に取り上げたいと思いますが、『終わりなき旅』という98年のミスチルの人気曲では、「大きな声で声をからして愛されたいと歌っているんだよ」と歌われています。同時期の楽曲『光の射す方へ』でも、「もっとこの僕を愛して欲しいんだ」と歌われています。どちらも99年発表のアルバム『DISCOVERY』収録曲です。
これまでは「愛」に対して受動的だった歌の主人公が、『1999年、夏、沖縄』では能動的に、自ら「愛したい」と歌っているわけです。
またこれ以前のミスチルのラブソングには、破滅的な印象を与えるものも少なくありません。
ですが、「10年先も20年先も君と生きれたらいいな」と歌う『Simple』(1998)を経て、『1999年、夏、沖縄』では、「いつかまたこの街で歌いたい」「そして君にこの歌を聞かせたい」という、自らを未来に向かわせようとする強い意志が歌われています。
そこにはもう、「椿事」を、「世界の滅亡」を期待してしまうような「幼さ」は見られません。
そして1999年が終わり、年を越して2000年がやってきた1月1日の明け方。桜井は「歌詞が頭の中に溢れて目が覚めた」と語っています。
それは、桜井が自らが書いた曲の中で「一番好き」になる一曲でした。
『1999年、夏、沖縄』がミスチルにとって「とっても大事な曲」である理由は、自分自身や世界の破滅を夢想するのではなく、ちゃんと他者に向き合い、未来に向かっていこうという意志が表れている曲だからなんじゃないか、と思います。
2. 君は誰だ?そして僕は何処?ー「蘇生」
ところで、『1999年、夏、沖縄』で否が応でも耳を引かれるのは、歌い出しの歌詞です。
この曲のモチーフになったという「94年、沖縄」。
94年はミスチルが大ブレイクした年です。この時点ではまだ、沖縄出身のスター・安室奈美恵に大ヒット曲はありません。
米兵による少女暴行事件が起こるのは翌95年のことです。
社会学者の木島由晶は、1980年代の洋楽受容についての論考の中で浜田省吾について、日本がアメリカなしではやっていけないというみじめさの感覚(=アメリカの影)を受け止めて音楽に昇華しようとした特異な存在であったと論じています。
そして「J-POP」という概念が浸透した90年代以降も、日本のミュージシャンが「アメリカの影」のみじめさに直面する可能性は否定できないと結論付けています。【9】
桜井が「初めて沖縄に行ったとき」に直面したのも、同じような「みじめさの感覚」だったと言えると思います。
ただ桜井が斬新なのは、そのような政治的なレベルの事象をダイレクトなメッセージとして表明するのではなく、私たちの日常を鼓舞してくれるような楽曲の中に、こっそり忍ばせてしまう点にあります。
『蘇生』は、そんな桜井の手法が最も顕著に反映された曲ではないでしょうか。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件が桜井に強いインパクトを与えたことは、桜井本人によって何度も言及されています。
9.11の翌年、2002年発表のアルバム『IT’S A WONDERFUL WORLD』の(インストゥルメンタル曲『overture』に続く)オープニングを飾っているのが『蘇生』です。ライブではアンコールで演奏されることが多く、桜井にマイクを向けられるとオーディエンスは声を揃えて歌います。
「何度でも生まれ変わっていける」というポジティブなメッセージに溢れた曲です。
しかしこの曲には、そのようなポジティブさにはやや不釣り合いな次のような歌詞もあります。
先述した桜井のアメリカについての見解を踏まえて解釈するならば。
「テレビに目をや」ったときに目に入ったのは、9.11の旅客機が世界貿易センタービルに突入する映像(もしくはその他何らかの9.11に関する映像)だったのではないか。それを目にしたことで、「アジアの極東=日本」に暮らしている「僕」にかけられていた「魔法=欧米型の資本主義(を良しとする価値観)」は見破られた。アイデンティティを揺さぶられてしまった「君」や「僕」、あるいは「日本」は(「君は誰だ?そして僕は何処?」)、新たな自分に「生まれ変わって」いこうとする。
と、読めるのではないでしょうか(むろん、人それぞれの解釈があるかとは思いますが)。
これまで見てきたように、90年代から2000年代にかけてのMr.Childrenの変化は、当時の日本社会、あるいはその延長線上にある現代の日本社会を理解するにあたっての様々な示唆を含んでおり、そのことが彼らを時代を代表するバンドたらしめている重要なファクターであるように思います。
こんな感じで、今後何回かに分けてMr.Childrenの楽曲を論じていきたいと思いますので、よろしければお付き合いください。
※A:小林よしのりの漫画は、若者世代の「右傾化」に少なくない影響を与えたと言われています。ただ、レジ―氏が注意深く指摘しているように、桜井が対談した時点ではまだ小林よしのりの作品に「右」のイメージはありませんでした。
と同時に、「桜井は(※注:思想的に)わりとギリギリのところをすり抜けてきた」のではないかというレジ―氏の見方もまたその通りだと思います【12】。ここで名前を挙げた三島や江藤も政治的には「右」の文学者ですし、私の『蘇生』の解釈もそのように読めたかと思います。
さらに付け加えるならば、近年議論を呼んだ「愛国ソング」を発表したゆず・RADWIMPSも、両者には若干の世代差がありますがどちらもミスチルのフォロワー世代にあたります。そう考えると、「愛国ソング」の歴史的文脈を振り返ってみる際に、長渕剛・浜田省吾との世代とゆずやRADWIMPSの世代の間をつなぐ存在として、Mr.Childrenを挙げてみてもよいのかもしれません。【13】【14】
もちろん『掌』『タガタメ』『and I love you』、あるいはBank Band with Salyuの『to U』『MESSAGE-メッセージ-』など、平和への、あるいはリベラルなメッセージを読み取れる桜井和寿の曲もたくさんあることは、みなさんもご存知の通りです。
だからこそ、ここでは、なぜミスチルは「ギリギリのところ」で踏みとどまることができているのか?ということの方に焦点を当てて書いていきたいと思っています。
【参考資料・文献】
1). Video Mr.Children『Mr.Children TOUR POPSAURUS 2012』 DISC 1「21. MC」(2012)
2). Album Mr.Children『B-SIDE』歌詞カード(2007)
3). 円堂都司昭, 2015, 『戦後サブカル年代記 日本人が愛した「終末」と「再生」』 青土社.
4). 村上春樹, 2015, 『村上さんのところ』 新潮社.
5). 大塚英志, 2001, 『江藤淳と少女フェミニズム的戦後―サブカルチャー文学論序章』 筑摩書房.
6). 小林よしのり, 1997, 『ゴーマニズム宣言8』 双葉社(※「桜井和寿VS小林よしのり」初出は『週刊SPA!』1995年4月26日号).
7). 『月間カドカワ』1997年6月号.
8). Video 『Mr.Children Dome Tour 2019 “Against All GRAVITY”』 「15. <MC>」2019
9). 木島由晶, 2019, 「ファーザーズサン―加藤典洋と浜田省吾」 南田勝也 編『私たちは洋楽とどう向き合ってきたのか』 花伝社.
10). 桜井和寿, 2002, 「さよなら2001年」 坂本龍一+sustainability for peace 編『非戦』 幻冬舎.
11). 『SWITCH』 2002年1月号.
12). 宇野惟正・レジ―, 2018, 『日本代表とMr.Children』 ソル・メディア.
13). 増田聡, 2018, 「「愛国ソング」30年史を振り返る〜長渕剛からRADWIMPSまで」 現代ビジネス|講談社.
14). 増田聡, 2018, 「ゆずと椎名林檎に学ぶべき「愛国ソング」の作法」 現代ビジネス|講談社.
歌詞全般). Mr.Children, 2018, 『Your Song』 文藝春秋.
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