自分を受け容れること、これから新しい物語をつくっていくこと。
子どもの頃、
怒られるときは叩かれるのが普通だとおもっていた。
自分が悪いことをしたから、親の期待通りに行動しなかったから怒られた、だから叩かれても仕方ない。
そう言い聞かせていた。
それと同時に、壁際に追い込まれ
父から殴られたり蹴られたりしている間、
(いますぐ包丁をもってきて殺したい)
と、小学校低学年にして
結構本気めの殺意を覚えたのを
いまでも鮮明に思い出せる。
でも、同じアパートに住んでいた同い年の友達が
家の外に閉め出されているのを見たことがなかった。
その子の家から怒鳴り声が聞こえてくることはなかった。
小学生だったある日、学校で隣にいた男の子がなんてことなく手を振り上げた。
それが視界の隅に映ったわたしは反射的に、
身体を屈めて両腕で頭を守る姿勢になった。
わたしの反応にきょとん、と
不思議そうにする男の子の顔みて、
「あ、手を振り上げたからといって、叩くわけじゃないのか」「この男の子の日常に、手を振り上げられて痛めつけられる日常はないのか」と察して
常に暴力に怯えている自分がいることを知った。
その確認作業のように、
わたしは友達に親に怒られてまた叩かれた、と笑い混じりで話した。
その瞬間に空気が凍ったのを感じ、確信に変わった。
親から叩かれたり罵倒されたりしない子もいるのだと知った。
それでも、うちはこういう家庭なんだ、他とは違うのは仕方ない。それを受け容れなければ育ててもらえない、捨てられてしまうかもしれないと、
自分を蝕む痛さや悲しさに蓋をして子ども時代を過ごし、実家から離れた大学に入って一人暮らしを始めた。
社会人になり、子どもと関わる仕事に携わり
苦しい環境にいる子どもと出会い、
自分の過去と重なる部分が多いことに気がついてしまった。
傍から子どもたちの生活を眺めると、
わたしの知らない家庭の中はもちろんあると思うが、普通は親の顔色を伺わなくても大切にされること、
滅多なことでは叩かれたり蹴られたり脅されたり
家の外に出されたりしないことを知った。
大人になってから自分の境遇を振り返って
いままでされてきたことは、やっぱり虐待だったんだ
ということを自覚し、抑え込んできたものが一気に沸騰して、20数年無理をさせてきた器が壊れた。
心になにも貯められなくなってしまった。
全く愛されていない、とは思わない。
それでもこれまでされてきたことが何度も鮮明に甦り、痛くて苦しくて、父親への嫌悪感は親元から離れた今でも拭い去ることはできない。
子ども時代に植え付けられた恐怖からはこの先も逃れられないし、それによって歪められた認知や思考によって、いつか自ら死を選んでも仕方がないとさえ思っていた。
こんな物語をもっている壊れた自分を受け容れているつもりでいた。
けれど、最近読んだ親友のnoteに
“新しい物語をつくる”ことについて書かれていた。
今までの自分の物語からは逃れられないのだから、
その歪んだ土台のうえに、これからの人生をなんとか積み上げていかなければならないと考えていた自分にはない視点だった。
痛いほど握り締めて手放せなくなっている不幸のストーリーがあるなら、もう一方の手で恐怖の陰に隠して忘れてしまっていたことを探して、新しい物語を作り上げる。
ある意味自分で自分の洗脳を解くような、
気が遠くなるような作業になりそうだ。
でも、これから先、
自分で死を選択しない限り人生が続いていくのなら、
少しでも幸せを感じる受け皿は広く深い方がいいと思った。壊れているのなら、優しく丁寧に修復して、少しずつ、幸せや、感動、感謝、変化を、貯めていけるようにしたい。
自分の新しい物語をつくっていくために、
さて、なにから始めてみようか。
過去のことはまだうまく思い出せないから、
まずはいまの日常にある小さな幸せを
手帳に書き溜めていくことから始めよう。
なんだかわくわくしてきた。
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