過ぎし2023年と来たる2024年に向けて
2023年、なかなかヘビーだった。
よく動いた年だった。
総じて、前向きに生きるという目標は達成できたと思う。
家庭が大変だったので、せめて会社でのストレスをなくそうと考えた。
自分が源泉だと捉え、どんな人にもやさしくした。優しさは返ってきた。
それと、大きな効果があったのが、大きな声で端的にはっきり堂々と話すこと。周りからの見られ方が変わっただけでなく、内なる自信が出てきた。今まで、思いついたことをボソボソと話していたから舐められていたのだと思う。
女性らしさを出したり、明るくニコニコしてると先輩から嫉妬されるかも…なんて不安はどうでもよくなった。私はただ目の前の人間を喜ばせたいだけ。職場の雰囲気を良くしたいだけ。この信念を尊重しはじめてから、ネイルも少しずつ躊躇わずできるようになった。ネイルは女の武装だ。
同時に、仕事服をスカートからスラックスに変更してもらったことでかなり働きやすくなった。機能的、心理的な面で間違いなくベスト。
人に嫌われることが怖くなくなった。父親の苦痛に比べれば何事も小さなことだった。
ストレス源だった嫌いな人は、嫌いというより興味をなくすようにした。相手のちょっかいに乗らず私は同じ土俵に立たないよう差別しないことを心に留め、意地悪もサッと対処した。相手にするだけ時間の無駄だと思った。
自分勝手な友人とも喧嘩別れのようだったけど、言いたいことは言って距離を置くことができてスッキリした。結果的に疎遠になって良かったと思っている。ストレスが減ったから。ずっと我慢していたから。他責思考な彼女と一緒にいると不快な気持ちになって私はしんどかったから。
遷延性意識障害の家族会にも入った。
父親のためにもっとできることがある気がする。家族しか救えないのも分かった。だけど、今は経済的にも精神的にも私たち残された家族3人にとっては現状維持から踏み出せない。毎日父親にはごめんなさいと思っている。父親の四肢精神の不自由さを想像するだけで涙がとめど無く溢れて自責の念に焦り、眠れない夜が続く。
手足が硬直していき、食べる楽しみもなく自分で達成する喜びも味わえず、人と意思の伝達をする術を無くした深い孤独の中で父は…と
どこへ転院しても父親に安らぎを与えることはできない気がする。在宅で見ることができたら、テレビを見たり、生活音の中で残りの人生を穏やかに暮らせるのかもしれない。
はやく仏さんになってしまえば父も皆も楽なのに、父は生かされている。家族会の人は誰ひとりとして本人の死を願わないのか。私たち家族はどうかしているのだろうか。どんな考えが感情が父親の中で爆発しているのだろう。きっと言いたいことが山ほどあるはずだ。
私は言われた。年末に相談した人に「命=時間」だと。
今は書籍や情報収集をする時期、焦らず着実に。
そんな中、私は婚約者と1月から同棲を始める。父をどうにか救いたいと願いながら自分の幸せ計画を進めてしまうあまりにも矛盾した自分がとても苦しい。
悲しみのエネルギーをキャリアアップや父親の介護にすべてを向けられたらかっこいいし人としての筋が通っているのになとぼんやり考えたりもする。
父親が倒れた渦中で屈託なく同棲の提案してくるなんて、常識あるの?その人、と母は言った。はっきり言って私もそう思う。ひとりっ子だし脳内はお花畑で苦労知らずのお坊ちゃんなのかもしれない。でもこの提案の並に乗ってもいいかなと決めたのは私だ。環境を一新したかったのも事実。
2人の時間の中で、うまく自分の人生の舵取りをしていくことだって並行してできるはず。
穏やかで楽観的な彼の人柄に心が支えられている部分もある。世界を飛び回るキャリアウーマンは私には難しかった。私は1人では生きていけない身の程を理解しつつもある。このことについては時々泣くのだけれど。
私はひとりで過ごす時間がこの上なく好きだ。
だが、1人の時間を保ちつつも人と過ごすかけがえのない時間も大切に2024年は迷いなく生きていきたい。
自分が幸せになることも父の幸せに繋がると信じたい。引き続き、生活を、家族を救うための作戦を実行しながら濃い人生を歩みたい。
これを書きながら、また大きな地震が起きたけど、悲しみを乗り越えて元気が出たら、救いの手を積極的に差し伸べたい。
人の目を気にせず、自分の関心のある場所へどこへだって向かいたい。
父は、ボランティア精神のあるとても優しい人だった。
父親の人生の続きを私がやるのだ。
これ以上、家庭を暗くしないように、
父を笑わせたくてキングオンブコントに出た私は、これからも人を笑顔にする使命がある。
毎日労わるべきなのは、自分。そして、その温かさを周りへの感謝に広げたい。
私たちよくやってる。