何のため?誰のため?

会社のイベント後の打ち上げ。私、先輩二人と後輩一人。いつも行かなきゃよかった、残らなければよかった、と思う。それでも残るのは、今日は、楽しくできるかも、彼らを嫌いになりきれないから。


わかってはいる。あなた達は、私のためを思って、悪いところ、弱いところを正そう、指導しよう、そう思ってくれていること。

でも、ただひたすら吊し上げられるような気持ちになってしまう後輩の気持ちが、わかりますか。

愛する配偶者と、愛しい子供もいるあなた達が、父親のような気持ちで、お前のためだと、心を砕いている気持ちは、完全に上滑りしていることに、気付いていますか。

これ以上はやめて欲しい、今は聞きたくない、他私ははっきり言った。

じゃあいいよ、とあなた達は息を吐く。

ふと思った。大人だってこんなに嫌なんだ。子供たちは、どれだけ大人から傷つけられてきたんだろう、と。何度も投げつけられる、あなたのため、とか、お前が悪い、とか、何でわからないの、とか。

一歩ずつでも、歩み寄れれば、前線は休戦地区になれるのに。

圧倒的不利な状況で、後輩の援護射撃はありがたかった。竹槍だったかもしれないけれど、助けてくれる人の存在は、どんな立場の人であっても救われる。

人の心は天岩戸。中から本人が開けてくれなければ、どんな思いも伝わらない。

人の指導で大事なのは、赦すこと。

そして、赦されることを覚えること。

俺が正しくてお前は間違ってる、それだけじゃ人は潰れてしまうよ。小さな子供も、いい年した大人だって。

8言ったら2抱き締める。ううん、6-4かな。言われたことはより大きく感じてしまうから。

赦し、赦される、そんな指導者でありたいと私は、思う。


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