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【小説】月の糸(第9話)

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 気が付くと、駅の近くまで来ていた。なんとなく立ち止まったのは風太郎がアルバイトをしている店の前だった。店内にはオレンジ色の灯りがついていて、ドアには〈OPEN〉の札がかかっている。しばらくの間そこに立ち尽くし、ドアを眺めていた。自分が何をしたくてここに立っているのか分からなかった。
 身動きがとれずにいると突然、目の前の扉が開いた。ジャズらしき店内BGMと客の話し声が雪崩出てくる。扉を開けた人物はドアノブを押さえたまま店の中の誰かと話しており、智也の存在には気づいていない。
「バゲットとでっかいケチャップとオリーブオイルですよね? ついでに醤油も? 大きいやつ? 重いものばっかじゃないですか」
 どうやら従業員のようだ。風太郎と同じアルバイトをしている学生だろうか。
 早くここを離れよう。そう思い、アパートの方へ踏み出したそうとしたところで、「じゃ、いってきまーす」と彼がこちらを振り向いた。目が合う。
 彼は「あ」と驚いたような表情をみせ、それからすぐに「いらっしゃいませ」と爽やかな笑顔になる。「中、どうぞ」と智也が通れるスペースを開けてくれる。
「いや、あの別に、見てただけっていうか」
 要領を得ない返事をすると、彼は困ったような顔になる。
「どうしたの?」
 二人のやりとりを心配したのか、店の奥からまた人が近づいてくる気配がする。
「あれ、智也くん」エプロンで手を拭きながら現れたのは店長のかおりさんだった。「風太郎は、今日はシフト入っていないけど」
 アルバイトの彼が「風太郎のお兄ちゃん?」と反応する。
「わかってます。さっきまであいつと家にいたので」智也はキャップのつばを引っ張りながら店長へ返事をする。「すみません、たまたま通りかかっただけで」
 智也がその場を立ち去ろうとすると、店長が静かに言った。
「智也くん、ちょっと待って」
 反射的に智也は動きを止める。
「ごめん、やっぱり買い出しはわたしが行くわ。店番お願い」
 店長はアルバイトの彼に向かってそう言うとエプロンを外し始めた。彼は「了解っす」と店長のエプロンを預かり、不思議そうに店長と智也の顔を見比べて店内へ戻っていった。
 智也が店長の様子を窺っていると、「悪いけど、買い出し手伝ってくれない? 重たい荷物が多いの」と微笑む。
「いいんですか、お店」
「大丈夫よ。今日のバイトの子たちはみんなベテランだし、お客もみんな常連さんだから。それより、智也くんのほうこそ時間、大丈夫?」
「俺は全然、構わないですけど……」
「そう。ありがとう」店長は木の葉が風に揺れるような笑顔を見せた。その後で「たぶん、帰りたくないんでしょ」と無邪気に痛いところをついてくる。
「あっち」と駅のほうを指さして歩いて行く店長に、智也は黙ってついていく。湿り気を帯びた空気と青白い街灯の下で、店長の背中がぼんやりと滲んでいた。変な夜だな、と心のなかで呟く。どうしてこんなことをしているんだろう。空を見上げてみるが、やはり月は見えなかった。
 店長は店から歩いて五分ほどの、駅前のスーパーマーケットへ入った。煌々とともる看板の明かりが目に痛い。智也は買い物かごを手に取り、店長の後ろをついて歩く。「トマト缶も買っていい?」店長が商品棚を指さして振り返る。智也は「どうぞ」と頷く。かごを持つ手を入れ替えながら、「本当に重いものばっかだな」とひとりごとを言った。
「はい、手伝ってくれたお礼」
 会計を終えて外に出ると、店長が袋から大きなオレンジをひとつ取り出した。「風太郎には分けてあげなくてもいいからね」と冗談めかして言いながらそれを智也に手渡す。智也は「ありがとうございます」と受け取って、店長と並んで店を目指した。
 車通りも少なくなってきた大通りに、ゆったりと歩くふたりの足音と時折ビニール袋が擦れる音が響く。店長はなにも訊ねてこなかった。かといって何か他の話をするわけでもなく、沈黙が続く。ここから店に着くまでの静寂を思うと、智也はアパートで起こったことを正直に白状しなければいけないような気持ちになった。
「さっき、風太郎と喧嘩して、それで出てきたんです」
 智也が声を絞り出すと、店長は「あら、そうなの」と白を切った。
「珍しいんじゃない? 原因はなんだったの」
「俺が、風太郎に怒られたんです。せっかく病気がよくなったのに兄ちゃんはそれを喜んでないだろって言われて、俺は、それを否定できなくて」
「うん」
「でも、頭ごなしに死ぬことを否定して、良いも悪いも通り越して生きることが正しいみたいに主張されるのは、俺は納得がいかなかったから。それで口論になったんです。お前は一秒後に生きてる保証があるのか、みたいなことを言ったら、そんなに難しく考えることじゃないだろって一蹴されました」
「それでも智也くんは、自分は間違ってないって、思うんだね」
 智也は一瞬迷ったあとで、「はい。そうだと思います」と店長の言葉を認めた。少しの間、またふたりの元に沈黙が落ちてくる。
次に言葉を発したのは店長だった。
「人間が持ってる時間の感覚って、不思議だよね」
 智也は店長の表情を窺い、首を傾げた。
「わたしたちはさ、生まれてからずっと、朝起きて普通に一日を過ごして、夜になって眠ればまた次の朝が来る、っていう経験を繰り返してるじゃない? そのせいで当たり前に明日があるって脳みそが学んじゃうんだよね。だから、数年後、数十年後の未来だって当たり前にあるって思ってる。そう思ってるから、始まりと終わりがある直線の上を〈今〉っていう一つの点が終わりに向かって移動していくような、時間のイメージを持ってしまうんだよね。智也くんの言う通り、大抵のひとたちはこの点が、終わりまでたどり着くことが正しいっていうふうに考えているんだと思う。終わりの意味なんてわかってないのにさ。でも、人間や、それ以外の生き物が実際に生きている時間って、まったく違った様子をしているんじゃないかって、わたしは思うんだよね」
 智也は店長の話を、ひとつひとつ頭でかみ砕きながら聞いていた。店長は続ける。
「本当の時間は、常に〈一瞬の今〉の積み重ねで、後ろに流れていった今を、わたしたちは〈過去〉と呼んでいる。今は過去になって後ろに蓄積していくだけで、今より先の時間、つまり未来なんてものは実際には存在していない。未来のことを考えるとき、考えごとをしているわたしたちがいる時点は〈今〉に過ぎないんだから、それも全部〈今〉の範疇だと思うんだよね。〈未来〉なんていう時間は、人間の捉えられる範囲にはきっと、存在していないの」
「時間は、今の積み重ね……」
 店長の言葉を復唱してみる。それから、ずっと頭のなかにあったあの糸のイメージを思い起こす。店長の言うことに賛成するのならば、病気になった時点で智也の残りの時間が切り落とされ、結び直されたという感覚はナンセンスだ。治療を受けることを選択し、医師や看護師や家族に救ってもらい、治療に耐え、鷲田や華菜子と出会った。あれはすべて、無限に生成されては後ろに流れていく〈一瞬の今〉を智也自身がただ生きてきた、そういう日々だったのかもしれない。未来の自分を保証するために今があるわけではない。今は、今としてここにあるだけなのだ。
「勝手に〈今〉に放り出されて、次の〈今〉が本当に来るかなんてわからない。命はみんな、そういう運命のなかにいるんだよ。だからさ、この瞬間に風太郎がいて智也くんがいてっていう、その凄さを、お互いにただ感じていればいいだけなのかもしれない。というか、わたしたちに出来ることってたぶん、それくらいしかないんだろうね」
 店長は話を締めくくり、同時に足を止めた。いつの間にか店の前に到着している。店長が智也の手から買い物の袋を受け取ろうとする。「中までお持ちしますよ」と申し出るも、「これくらい大丈夫」と半ば強引に荷物を取り上げられた。
「じゃあ、ありがとう。気をつけて帰ってね」
 店長は静かに笑って店の中へ入っていく。彼女の背中を見送り、ドアが閉まったのを見届けてから、智也はアパートへと歩き始めた。ズボンのポケットに手を入れると、コンビニで買ったタバコとライターがあった。取り出す気にはならず、手のひらで転がしながら考える。店長が言う時間の感覚についての話は、とても説得力があった。店長が言っていたとおり、今の積み重ねがこの命なのだとしたら、結び目なんて、どこにもできようがない。それが真実なのかもしれない。腑に落ちて行くが、同時にそれを認めたくないという気持ちも湧き上がってくる。認めたところで今智也が背負っている苦しみはきっとなくならないからだ。反対に、結び目がどこにもないのだとしたら、この胸に引っかかっている違和感が何であるのか、この苦しみの原因は何であるのか、説明してくれるものがなくなってしまう。そうなったら俺はこの不安をどう解消したらいいのだろう。
考えれば考えるほど、また得体の知れない暗い影に追い立てられて、蟻地獄に落ちた虫のように、暴走した思考力に心が飲み込まれていく。
 何の答えにもたどり着けないまま、気が付けばアパートの下へ着いていた。帰りたくはなかったが、もう一度どこかへ向かう気力もない。だらだらと外付けの階段をのぼり、玄関からまっすぐ自分の寝室へと入る。リビングの灯りがついているのは分かっていたが、どうする気も起こらなかった。
 結局風太郎と顔を合わせることなく、智也は翌朝、通院のために田舎へと発った。

「お前、尾崎か?」
 地元の大学病院で血液検査の順番待ちをしていると、突然声をかけられた。アパートからまっすぐ病院へ来たので、家族の付き添いはなくひとりだった。時刻は正午をまわったところで、外来診療の混雑のピークは過ぎ、待合所のベンチはまばらに埋まっている程度だ。スマートフォンを操作していた手を止め、傍らに立ち止まった人物を見上げる。相手は薄手のニット帽を被りマスクをつけていた。ぱっと見の外見では誰かわからないが、こんな風に軽々しく他人に声をかけてくる大人は、彼しかいない。
「ああ、鷲田さん。お久しぶりです」
 智也はキャップを持ち上げて挨拶をする。
「髪、伸びてきたな。俺もだけど」鷲田は智也の頭を指さして笑う。
 相変わらずの鷲田の軽快なテンポについていけず、智也は下手くそな作り笑いを浮かべた。華菜子が亡くなったという連絡を受けた後、鷲田は何度も電話をくれていたが、実は一度も応えていなかった。その後ろめたさも相まって、何を言えばいいのか分からなくなっていた。
 そんな智也の様子を見かねたのか、鷲田は隣に腰を掛けながら「元気にしてたか」と温かい声で訊ねてくる。
「はい。なんとか」
「俺の電話、無視しただろ」
「はい。すみません」
「生きてるんなら、うんとかすんとか、チャットでもいいから一言寄越せよ。心配してたんだぞ」
「……すみません」
 顔を伏せた智也の横で、鷲田は一度、大きくゆっくりと息を吐き出す。
「華菜子ちゃんのことは、本当に残念だったな」
 鷲田の落ち着いた声と言い方が身に沁みる。やっぱりこのひとは最初からずっと誰よりも大人だった。そう、思い知らされる。同時に、華菜子が亡くなったことを知ったあの夜の感情が、一気にフラッシュバックしてきた。おそらく智也と最も近い気持ちでこれまでの時間を過ごしてきたのは鷲田だろう。鷲田と華菜子と智也は、間違いなく戦友だった。鷲田と、華菜子のことを話す機会を避け続けてきたことを今頃になって後悔していた。
「生き残ることが、こんなに苦しいとは思いませんでした」
 言いたいことや他に言うべきことは山ほどあるはずなのに、智也が口にしたのはそんなセリフだった。
「生きてればそりゃあ、ひどいことはたくさん起こるさ」鷲田は殺伐とした智也の気持ちをなだめるように言う。「でもよ、生きてることが苦しいからってどうするんだ? 生きることをやめちまうのか?」
 智也は否定も肯定もしなかった。俺は別に死にたいわけじゃない。でも、いつからだろう。華菜子が亡くなってから、いや、もしかしたらもっと前からかもしれない。ずっと胸のなかにあって、その存在を認めたくなくて、しかし抗えば抗うほど強固になっていく、そんな思いを抱えていた。
―俺なんて、生き延びなければよかった。
 黙りこくった智也に、鷲田が言う。
「その気持ちを、口に出せないっていうことが答えなんじゃないのか」
 顔をあげて鷲田のほうをみると、彼はとても寂しそうな横顔をしていた。鷲田のそんな顔は見たくない。そう、強く思う。
「さっきも言ったけど、生きてる限り苦しいことも悲しいこともなくならねえさ。だから前に尾崎が言ってたみたいに、終わりがある、もしくは途中で終わらせる方法があるっていうのは救いになるのかもしれねえ。そんなの俺は認めたくねーけど。でもな、今のお前はどうなんだよ? 今のお前は終わらせることで本当に救われるのか? お前を苦しめているのは、生きなきゃいけないことじゃなくて、生きたくないと思ってしまう気持ちそのものなんじゃないのか?」
 鷲田の声を聴いているうちに、自然と身体に力が入っていた。かみしめた奥歯がギリギリと痛む。ポケットに入れっぱなしになっていたタバコの箱が、ズボンの生地越しに右手に触れていた。智也はそれを力の限りに握りつぶした。折れ曲がった箱の、鈍く尖った部分が手のひらに食い込む。
 智也は、怖かったのだ。大切なものを失くすことが、幸せな時間に必ず終わりがあるということが怖かった。でも今の智也にとっては、何もかもいつかは手放さなければならないという事実が全てで、それだけが唯一心から信じることのできる真実だった。だから、どんな幸せも喜びも、すぐに手の施しようのない苦しみに裏返されてしまう。何かを失くすたびに、何かが終わるたびに、深い絶望と得体の知れない不安のなかで自分自身をそぎ取られ、どこにいるべきなのかもわからないまま、それでも生き続けて行かなければならない。自分が生きることの意味は、もうとっくに見失っていた。
 だからこそ、鷲田の言葉が胸に突き刺さった。まったく、鷲田の言う通りだった。
 何度も何度も頭や心に浮かんできた、「死にたい」という言葉を、智也は絶対に口に出すことができなかった。誰かの耳に入ることはなくとも、この気持ちが声になって一度でもこの世界に解き放たれてしまえば、もう、智也は二度と自分自身を支えてやることができなくなってしまう。何一つとして救いのない、死ぬことすらも救いにはならない暗闇の果てまで落ちて行ってしまう。そんなぎりぎりの淵に、智也はなんとか立っていた。生きることの恐怖に苛まれ、逃げて賢いふりをして、死ぬことを怖いと思えない。そういう智也をいちばん赦せないのは、智也自身だった。
 助けてください。
 鷲田へ、切実な思いを吐き出そうしたそのとき、待合所に呼び出し音が流れた。検査室の入り口に設置されたモニターに智也の受付番号が表示される。採血の順番が回ってきたようだ。智也は、喉まで出かかっていた言葉を呑み込んだ。
「すみません、俺、いきます」代わりに、そう言って立ち上がる。鷲田の顔は見られないままだ。
「おう」と鷲田も立ち上がる。「俺ももう診察終わってるし、飯食って帰ることにするよ」
「……気をつけて」
「ああ。またな。検査結果、なんともないといいな」
 鷲田はいつもの軽い調子に戻って手を振る。その場を去ろうとする鷲田の背後を、夫婦らしき男女が通り過ぎていく。誰かの見舞いに来たのだろうか、女性が花束を手にしていた。
 今は、花の色にさえ自分を咎められているような気になってしまう。
「ああそうだ、尾崎」
 智也の視線につられたのか、夫婦の背中に目をやったまま鷲田が呼び掛けてくる。「はい」と返事をすると、鷲田は智也のほうを向く。
「華菜子ちゃんのブルーアスターに、返信したか」
 華菜子が亡くなったことを報告してくれた、華菜子の父からのメッセージのことを言っているのだろう。智也は首を横に振った。鷲田は「そうか」とただ頷いた。
「あの子のワールド、また行ってみろよ。華菜子ちゃんの親御さんも心配してるだろうから」
 否定とも肯定ともつかない仕草で智也がうなだれるように頭を下げると、鷲田の右手が左肩に置かれた。暖かくて重みのある手だった。
「きっと、待ってるぞ」
 顔を上げた智也の目を真っすぐに見つめ、そう言ったあとで「じゃあな」と鷲田は去って行く。
 右の手のひらに目をやると、タバコの箱を握りつぶした痕が、赤い痛みとなって刻まれていた。

「今回も、血液検査の結果は異常なしですよ」
 診察を終えた智也は、バスと電車を乗り継いで実家へ向かった。アパートに帰れば風太郎と鉢合わせる可能性が高い。平日の実家は両親とも仕事へ出ていて空っぽだ。今の気分にはそっちのほうが適している。しばらく、一人になって頭を落ち着かせたい。
 実家に着いて玄関の扉を開けると、脱走防止フェンスの向こう側ですでにジロウが待っていた。フェンスを越えてカバンをおろし、ジロウの顔をくしゃくしゃに撫でてやる。ジロウの暖かさだけは、どんな気分のときでも受け入れることができる。
 足元に絡みついてくるジロウをいなしながら、智也は荷物を持ったままで仏壇のある和室へ向かった。この仏壇は、もともと祖父の家にあったものを長男である父が引き取ったものだ。仏壇の周りにかけられたご先祖たちの遺影にじっと見降ろされ、見定められているような感じがする。馴染みのある顔はじいちゃんだけだ。
 カバンを下ろして座布団の上に正座し、ろうそくを立てる。ジロウは側に座って控えめにしっぽを振っている。ズボンのポケットに入っていたライターで左の燭台、右の燭台と火をともす。線香を箱から三本取り出して炎に近づける。炎の先端がゆらりと伸び、線香から煙がのぼる。香炉の灰は手入れされていて、線香がすっくと立った。りんを軽く二回打つ。穏やかな水面に波紋が広がっていくようにりんの音色が響く。それが消えないうちに瞼を閉じ、手を合わせる。心地よい静けさが空気を支配する。
 目を開け、足を崩してあぐらをかく。曖昧な輪郭を揺らめかせるろうそくの炎には、どこか現実味の欠けた魅力がある。じっと見つめていると、不思議と、重たくなった身体が浄化されていくような気がした。
 しばらくの間、そうやってろうそくの炎を眺めていた。いつの間にか無心になり、気が付けば線香が最初の半分ほどの長さになっていた。煙たいとしか感じたことのなかった線香の匂いを、好ましく思うようになったのはいつごろからだったろう。
 智也はひとつ、ほう、と息を吐き出した。ついで、ろうそくの炎を手で仰いで消す。
 もう、逃げるのはやめよう。
 どこからか、決意と言うにはまだ大袈裟な、小さな意志が浮かんできた。
 立ち上がった智也に遊んでもらえると勘違いしたジロウが、勢いよく飛びついてくる。痺れた足にジロウの体重がのる。
「ちょっと待てジロウ。お前と遊びたい気持ちは山々だけど、先にやりたいことがある」
 ジロウはいったん動きを止め、智也を見上げて首をひねる。
 智也は痺れた足にジロウがじゃれつかないよう気を張りつつ、二階の子供部屋へ向かった。


第10話へ続く

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