三浦 さかな
「何一つ、一秒後に自分がこの世界にいるってことを保証されている命はないだろ。それが現実だ。わかってるふりして、みんな本当はわかってないんだ、自分自身の命だって例外じゃない。自分の死を棚にあげてるから、他人の死を頭ごなしに否定できるし、他人が死ぬことを受け入れられないんだよ。死ぬことは悪いことか?」
約19,000字 第29回電撃小説大賞で三次通過(四次選考で落選)した物語です。 書いている間、自分自身がずーっと楽しくてわくわくした思い出の小説です🌌 ★ 土曜日の午後二時。あの頃よく通っていた定食屋で、一人テレビを眺めている。 入り口以外に窓がないからか、店内全体が日陰に入っているように薄暗い。昼時の混雑も終わり、客の姿はまばらで、厨房からは食器を洗う音が聞こえてくる。 「ご注文はお決まりですか」 水の入ったコップをテーブルに置きながら、アルバイト
(約13,000字) バンのスライドドアが開くと同時に、金木犀の匂いを載せた空気が車内に流れ込んできた。後部座席にいた僕は顔を上げ、こんな都会の街にも咲いているんだなと思った。 「ここで降りてください」 運転席から、コバヤシが人の良さそうな顔で振り返って言う。 「ここで、ですか?」 聞き返しながらも僕はシートベルトを外してカバンを肩にかける。 「はい。あなたが面会を希望した方は、今日この場所を、ちょうど10分後に通りかかることになっています」 柔らかい口調でありなが
その人の部屋には百合が生けられていた。 「『夢十夜』の第一夜がね、この世にある文章のなかでいっちばん好きなの」 彼女の言葉に、僕は知ったかぶりをして右の口角をちょっと上げた。 「でもさ、」 彼女はため息を吐くついでに言う。 「たまに、この花をずたずたに切り裂いてやりたいって思うときがある。匂いが、あまりにも鬱陶しくて」 その指は愛おしそうに、純白の花びらを撫でていた。 いっつも矛盾ばかりで、自分が嫌になるわ。 そうやって百合の花とともに笑うあなたを、 僕はとても綺麗
◆ あちらこちらから鈴虫の声が響いてきて、夜の街を震わせていた。涼やかな音色が空気に充満して空まで登っていくみたいだった。 そのおかげか、古ぼけた街灯の光や車のヘッドライトさえ、言いようのない美しさを孕んで見える。 いつもの帰り道なのに、どこか特別な場所に迷い込んでしまったような。ノスタルジー、と自分にしか聞こえない声を出してみる。 そうしたら、もうすぐ金木犀が咲くかもね、と返事が聞こえた。
↓1話〜はこちら ◆ 大学構内にあるコンビニエンスストアは、朝の時間帯で混雑していた。会計の列はなかなか進まない。一限目の講義が始まるまではあと十分ほどあるが、少し心配になってきた。 智也が大学に復学して一か月が経過していた。ちょうど今日から十月が始まる。本来であれば三年次にあたる年度だが、智也は二年次の前期まで単位をとり終え一年間休学に入っていたため、二年次の後期から再スタートということになった。 「来月からまた大学に行くよ」 八月の終わりごろ、智也が開
↓1話〜はこちら 翌朝、智也は風太郎の待つアパートへ向け、実家を発った。 「なんだ、もう帰るのか?」 ジロウの散歩が終わるとすぐに荷物をまとめ始めた智也に、父が訊ねる。 「風太郎と喧嘩したまま出てきたから気持ち悪いんだって」と代わりに応えたのは母だ。 「お前たちが喧嘩なんて珍しいな」「ほんとよね」仕事へ出かける準備をしながら、父と母は暢気に言い合っていた。 「まあ、うまくやりなさいよ」 玄関先まで見送りに来た母に、智也は無言で頷いた。 最寄り駅についたのは正午を少し
↓1話〜はこちら 部屋へ続く扉を開けると、正面に壁のほうを向けて並べられた、ふたつの勉強机が目に入る。一つは風太郎のものだ。物心がついたときから二人並んで座っていた。どうやってもあいつの気配を感じてしまうんだなと思い、苦笑する。 智也は右側に置かれた自分の机に腰をおろすと、カバンからノートパソコンを取り出した。パソコンを立ち上げ、ブルーアスターを開いてログインする。ホーム画面に智也のアバターが現れる。上下ともに初期設定のまま、無地の洋服を身に着けている。飾り気がないのは
↓1話〜はこちら 気が付くと、駅の近くまで来ていた。なんとなく立ち止まったのは風太郎がアルバイトをしている店の前だった。店内にはオレンジ色の灯りがついていて、ドアには〈OPEN〉の札がかかっている。しばらくの間そこに立ち尽くし、ドアを眺めていた。自分が何をしたくてここに立っているのか分からなかった。 身動きがとれずにいると突然、目の前の扉が開いた。ジャズらしき店内BGMと客の話し声が雪崩出てくる。扉を開けた人物はドアノブを押さえたまま店の中の誰かと話しており、智也の存在
↓1話〜はこちら ◆ それから数週間後、寝室で布団に入る準備をしていた智也のもとに、一件のメッセージが届いた。ブルーアスターのチャットで、華菜子のアカウントからだった。 華菜子とは、実家で通話をしたあの日以来、電話はもちろんチャットでの会話もできていなかった。彼女の病状が芳しくないことは、火を見るよりも明らかだった。そのせいか、手元に届いたその通知を見ても、喜びではなく嫌な予感だけが急速に募っていった。 何度かためらい、ようやくメッセージを開いた。
↓1話〜はこちら その日、三回目の電話が鳴ったのは、またしてもジロウの足を拭いてやろうとしているときだった。スマートフォンをとりだして画面を見ると、そこには見覚えのない番号が表示されていた。訝しく思いながらも通話ボタンを操作する。すると、 「お久しぶりです」 掠れた女性の声が聞こえてきた。ついさっき深い深い眠りから覚めたばかりのような、ゆったりとしたトーンだった。声の主が誰か分からずに戸惑う。何と答えようか迷っていると、相手が先に言葉を継いだ。 「元気ですか? 智也さん
↓1話〜はこちら いつの間にか、病院のエントランスに巨大なクリスマスツリーが飾られていた。まだ外来の患者がやってくるには早い時間で、待合スペースは閑散としていた。誰に見られるわけでもなく点滅を繰り返す電飾の健気さが、その場の静けさを際立たせる。 智也は院内のコンビニを目指して歩いていた。治療は、四クール目の終盤に差し掛かっている。体調は優れていた。点滴台を持たなくていいからとても身軽だ。 コンビニでペットボトルのお茶と漫画雑誌を買って出ると、廊下の一角に設置された飲食
↓1話〜はこちら ◆ 三度目の入院は、雨模様の朝から始まった。 今回も鷲田とは同じ病室で、彼は智也の姿を見つけると「また無事に会えたな」と口角を持ち上げた。少し怠そうだった。抗がん剤を投与してすぐに表れる吐き気などの副作用を引きずっているのかもしれない。智也は鬱々とした気分になった。気乗りしないまま、治療に備えた検査や処置を次々と受ける。検査部の待合室は、相変わらずごちゃごちゃと患者やスタッフが行き交っていた。 正午ごろになってようやく落ち着つき、病棟へ
↓1話〜はこちら ◆ 「おいしいもの食べてきた?」 一週間ほどの自宅療養を終え再び病棟を訪れると、ベテラン看護師の近藤さんが迎えてくれた。 病室へ向かいながら「ハンバーガーめちゃめちゃうまかったです」と智也が答えると、「そこはお母さんの手料理って言わないと、ねえ?」と付き添いの母親のほうを振り返った。「まったくねえ」と母が笑う。 案内された四人部屋は、智也のほかに二人が入院していた。 荷物の整理と着替えを終え、入院初日に必須のレントゲンや心電図検査を受ける
↓1話〜はこちら 「あら、ずいぶんさっぱりしたわね」 病棟に荷物を持って到着すると、出迎えてくれた看護師が開口一番にそう言った。入院前の検査をしたときにも外来で顔を合わせた、ベテランの風格がある女性だった。胸元についたプレートに、近藤と書いてある。 智也は何のことかと逡巡したあとで、ああ、と髪の毛に手をやった。 「抜けるって聞いたから、切ってもらったんです」 近藤さんは「なるほどね」と笑ってから、智也が入る病室のほうを指さして歩いて行く。智也と付き添いの母親も後に続く
↓1話〜はこちら 翌朝、智也が目を覚まして洗面台に立つと、鏡に映った額に特大のニキビができているのに気が付いた。指先で触れると、痛みと痒みを熱で包んだような感覚がある。 顔を洗って髭を剃り、洗面所を出ると、ちょうど身支度を終えた風太郎が廊下を横切っていくところだった。 「あ、おはよ」 そう言って智也のほうを向いた風太郎は、めざとくニキビを指さしてくる。 「珍しいね」 「ああ。なんかできちまった」と智也はまた無意識に額に手をやる。 「やっぱ、昨日のすきっ腹にラーメンがよ
◆ 「運命とは何かって、お前、答えられるか?」 キャンパスでいちばん大きな講義棟の裏にある喫煙所は、四限目が始まったばかりの時間で閑散としていた。 煙で霞んだ窮屈な空間のなかで、知らない学生が放ったその言葉が、やけに鮮明な輪郭をもって智也の耳に届いた。 スマートフォンを眺めていた彼は、無意識のうちに視線を上げていた。 灰皿を挟んで向こう側の壁に寄り掛かるようにして、二人組の男子学生が立っていた。ひとりは明るめの茶髪で耳にピアスが二、三個ついており、もうひとり