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練習という概念を手に入れた男

昨日、とある番組を観ていてあることに気付かされた。

観たのはこの番組で、
野鳥撮影を取り上げた回だった。
たまたまテレビ欄で見つけて視聴に至ったのだが、
ここ数ヶ月で野鳥観察・撮影にハマった自分にとって、
なんともタイムリーな番組だろうか。

観た感想としては、
バズーカみたいなレンズ自分も欲しいなぁ。とか。
シマエナガを求めて北海道に自分も行きたいなぁ。とか。
なんとも子供のような憧れが多かった。

そんな知能指数が低下した中でふと我に帰る瞬間があった。

出演していた方いわく、
小さい鳥を撮るのは難しい。
だからいい写真を撮るためにも練習している。

だいぶ端折ったかもしれないが、
そんな旨のことを言っていた。

そうそう、
小さい鳥はすばしっこいから画角に収めるのが大変だし、
背景にピントを持ってかれやすいよなぁ。
確かに難しい。

ここまではすんなりと共感。
しかし、だから練習をしている?
この言葉に目から鱗が落ちた。

自分の感覚としては、
野鳥は可愛いし見てて面白いから撮っていた。
なんと言うか、そこには娯楽としての側面しかなかった。
つまりそのために練習するという考えがあまりなかった。

しかも鳥という自然物を相手にする以上、
写真の出来は相手の出方次第だと思っていた。
自分のスタンスはあくまで受動的だったのだ。

しかし、練習するとどうだろうか。
確かに主導権は鳥に変わりはないが、
その中でも設定やアングル、知識を動員することで、
より良い一枚が撮れるのではないだろうか。

これはいいことを聞けた。
大変勉強になった。
今の自分に必要なのは向上心。
これからも楽しみながら撮るのはもちろんだが、
どうすればより良く撮れるか考えながら撮影しよう。


番組の中で鳥の写真を見て、
この鳥はどんな気持ちか考えるというコーナーがあった。

自分はこういうことを考えるのが好きである。
自分の場合、もはや大喜利だと考えているが。
くだらない一文を添えて投稿するのが楽しい。

大喜利もできるバードウォッチャーとかどうでしょう?


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