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できない自分を認めた自分を認めてあげよう

すっかり錆びついてしまった。
それともあれは幻だったのか。


絶賛転職活動中である。

昨日は面接があった。
書類が通ってから最初の面接。1次面接である。

さて、久方ぶりの面接。
最後に面接を受けたのは3年前。
(もう3年も経っているのか)
現職の最終面接が直近の経験になる。

そもそも自分は就活をまともに経験していない。
面接経験は2社(計4回)だけ。

まずは現職。
現職もほとんど紹介のような形だった。
だから面接をしたとはいえ、形式上な意味合いが強かった。
コロナ禍だったため、1次面接はオンライン。
時代を感じる。
最終面接は本社に赴いたが、特に気張らず。
紹介されていたという安心感は心強かった。

それ以外の経験は大学院修士時代。
博士課程に進もうと思っていたが、一応就活もした。
したと言っても、結局面接を受けたのは1社のみ。
1次面接は通過したが、最終面接は力及ばずだった。
採用とはならなかったが、手応えは悪くなかった。
なんせ、面接には強いのだ。
実績やエピソードが強いからではない。むしろそこは弱い。
自分の強みは、人前であがらない、それっぽく喋れてしまうことだ。

元々、人前で喋ることに苦手意識はなかった。
なんなら一笑い仕込んでやろうと思うくらいである。
そう、面接に苦手意識はなかった。

あれから数年。
久しぶりの面接。
終わってみての感想。

これは惨敗なのでは?

少し言い過ぎではあるが、実際のところ手応えはなかった。
大きな失敗をしたとは思わないが、
相手に響いたという実感もないのだ。

今回感じた手応えの無さは、全体的に流暢ではなかったことに起因する。
自分のこれまでの面接経験にはなかった詰まり具合。
言葉がスラスラ出てこないのである。
ちょこちょこ噛んだり、次の言葉が出てこない。
一瞬の間は焦りを生む。
そのせいで、より言葉がぎこちなくなる。
完全に負の連鎖である。

自分に自信を持てていないのだろうか。
確かに休職を経て自己肯定感は低下している。

単にコミュニケーション能力が低下したのだろうか。
会社に行かなければ人と会う機会も減る。
使わなくなった能力は衰えるものである。

前の自分なら今回のような惨敗感を味わうこともなかっただろうに。
すっかり落ちぶれたものだ。

いや、本当にそうだろうか。
こうは考えられないだろうか。

本来の自分の力が今回のようなでき。
昔の自分が思い上がっていたのだと。
できていないのにできていると思い込んでいたのだと。

たぶんその思考が正しい。
昔の自分は、自分を正しく評価できていなかったのだろう。
できていなかったことを自分で認めてあげられなかったのだ。

無理をするのはやめよう。
できていない自分を認めるのだ。
そして、できてない自分を認められた自分を認めてあげよう。
(怒涛の認める構文)

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