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「ありがたいなぁ」を数える習慣

わたしはよく、心の中で
「〇〇でありがたいなぁ」
とつぶやいています。

たとえば…

体が日常生活に支障なく動いてありがたいなぁ

2年前に踏み台から落ちて右肩を怪我してしまい、着替えなど日常生活のちょっとした動きができなった経験をして以来、よりそう思うようになりました。
自分の足で歩いてどこにでも行けること、どこにも痛いところがないこと。
ご飯をおいしく食べられること、お酒もおいしく飲めること。
それが一番、ありがたいことです。

リモートワークで働けてありがたいなぁ

少しくらいの体調不良なら、出社の移動がなければ仕事を休まずにすみ「体調が悪いなりに、少しだけペースを落として」働けることも、とてもありがたいと感じています。
特に、上で書いたように右肩を痛めてしまったときは本当に「リモートワークでよかった…」と思いました。元のように右肩が動くようになるまでには約2年かかったからです。

痛みのピーク時には、パソコンで数時間作業するだけでもかなりつらかったのですが、家でなら痛みにうめいていようと、顔をしかめていようと誰にも見られず仕事ができます。Zoom会議には、肩から下が映らないようにカメラの位置を調整して、痛む肩や腕をさすったり押したりしながら参加していました。

コロナ禍を経て、最近は多くの会社がまた出社に戻っていっているようですが…。多くの人が自身の体調や家族のサポートなどとバランスをとりながら「長く無理しすぎずに働き続ける」ためには、リモートワークという働き方が、これからもいろいろな職場で残っていったらいいな、と思います。

給料日当日にお給料が振り込まれていてありがたいなぁ

過去(社会人2年目)にいた職場ではごくたまに、
「給料日に振り込まれてない! 残金200円しかないのに!」
ということがありました。

今でもそのときのショック(=きょうのお昼ご飯どうしよう、という動揺)を引きずっているので、給料日の朝に明細を確認するたびに、
「ああ、日付がかわって給料日になったとたんに振り込まれている。ありがたいなぁ」
と思います。

娘に「クソババア!」と罵られたことがまだなくてありがたいなぁ

少し先行く子育ての先輩女性から以前、思春期のお子さんが「2年口をきいてくれなかった」というおそろしい話を聞いたことがあったので、正直怯えていましたが…今のところは無事。どちらかというと「仲のいい親子」でいられているのは、娘の寛容さにたくさん助けてもらっているからです。

他にも…

・(今借りている部屋の)お風呂に浴室乾燥がついていてありがたいなぁ
・お風呂の追い焚きができてありがたいなぁ
・宅配ボックスがついていてありがたいなぁ
・洗濯機で乾燥までできてありがたいなぁ
・職場(会社、シェアオフィス)のトイレがきれいでありがたいなぁ
・(今住んでいる街がとても好きなので)ここに住めてありがたいなぁ
・本を買ったり、ピラティスに行ったり、自分のためにもお金を使えるようになってありがたいなぁ
・長年やりたかった編集やライターの仕事が会社でもできるようになってありがたいなぁ
・ピラティスで親しくなった人たちとご飯を食べたりお酒を飲んだりする機会が定期的にあってありがたいなぁ(この時間があるから頑張れます)

など。

最近は、少し心が疲れたりやさぐれそうになったりしたときほど「ありがたいこと」を数える時間をもつようにしています。
それだけで、心がネガティブな方向に向きにくくなるような気がする上に、なんだか元気にもなってくるので、我ながら「いい習慣を見つけたな」と思っています。
モノは減らすことを常に考えていますが、「ありがたいと思うこと」はどんどん増やしていきたい。


ちなみに、最近一番「ありがたかった」のは、キッチンのシンクの水はけが良くなったこと!
食器や鍋を洗うときに少し多めに水を流すと「ゴー」っと逆流してくるのがすごくストレスでした(この気持ち、同じ体験をした方にはきっと共感していただけると思います)。
そんなとき、たまたまシンクの水道が壊れ、修理に来てくれた方にダメ元で「水はけがとても悪くて…」と相談したら、解消してもらうことができました。

「ああ今日も逆流するだろうな…」と、食器洗いをするたびにかなり憂うつだったので、「シンクが逆流しない」ことがとってもありがたく、うれしいです。

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