20年以上、日記を書き続けてよかったと思うこと
1998年から、基本的に毎日欠かさず日記を書いています。
ときどき「去年の今ごろ、どう過ごしてたっけ…?」と思ったときに、たとえば「2022年~1998年までの5月だけの日記を続けて読む」をときどきやるのですが、これがとっても楽しいです。
日記を書いていてよかったと思うことが、いくつかあります。
「何をしていたのかわからず日々が過ぎていった感」を減らせる
仕事や育児などに無我夢中だったころのことを、何も記録なしで思い出すのはとても難しいのではないでしょうか…?
わたしは本当に、この日記がなかったらほぼ何も思い出せないと思います。
たとえば、就職したばかりのころの自分の日々。転職したときのこと。
娘を妊娠中の仕事のこと。出産後、仕事に復帰したときのこと。離婚前後の日々…などなど。
ただ、日々を無事に生きるのに精一杯。
そのときも、殴り書き(パソコンでつけているので殴り打ち?)でそのとき感じていたことを残しておきました。
それがあることで、後から読み返したとき、
「あのときの自分、思ったより頑張ってたんだな。よし、また頑張ろうっと」
と過去の自分から背中を押してもらったことが何度もありました。
娘が幼かったころのかわいい言動を残しておける
子どもが幼いときに話していたことや行動は宝物だな、と思います。
でも、これもそのときに書いておかないと後で思い出すのは難しいです…。
仕事や家事で余裕がないわたしに「まま、お仕事がんばってね」と言ってくれたこと。
保育園でおいしかったおやつをわたしに食べさせたいと思って(むき出しのまま)かりんとうや梨をポケットに入れて持ってきてくれたこと。
さみしくなってくると、
「ママが足りない。抱っこして」
と言ったので、
「どういう時に足りないって思うの?」
と聞いてみたら、
「心の中に入ってるママが、元気がない時」
と答えたこと。
薬局で買い物をしていたら、
「ママ、欲しいものなんでも買ってあげるよ」
「え、なんで?」
「だって、ゼロ歳の時からお世話になってるから・・・」
と言われたこと。
一緒に洗濯物をしまってくれたときに、デニムをたたんで床に立て、
「立った。立ったってことは、キレイにたためてるってことだよ」
「何でそんなこと知ってるの?」
「こんまりさんが言ってたから」。
いつの間にか、近藤麻理恵(こんまり)さんの教えをしっかり吸収していたこと。
ピラティスをはじめて3年くらいのタイミングで、
「ママ、筋肉すごいね! 女じゃないみたい。泥棒投げられる?」
と、若干失礼な感じでほめられたこと!
ああ、かわいい。
もう高校生になった娘のかわいさを改めて堪能して、
「(娘のことが)好き~!」
と思います。
思春期の今だからこそ、この振り返りが楽しい。
食生活をふりかえることができる
娘を妊娠してから毎日、食べたものも記録しています。
もともとは、妊娠中の体重・体調管理のために始めたのですが、そのままやめることなく約17年。
朝昼晩に食べたもの、間食まですべて書いているので、
「このときは仕事が忙しかったからコンビニご飯やおやつばかり食べているな」
とか
「このときは体調が悪かったからあまり食べてないな」
など、食生活も一緒にふりかえることができるのがありがたいです。
食べたものしか書いていない日があったとしても、ある意味立派な「日記」だと感じます。
そして、食べすぎた日はしっかりと振り返ることができるので、ダイエット効果もあるはず…と思っています。
単純に「面白い読み物」として楽しめ、時々元気をもらえる
「老後の楽しみになったらいいな」と、いう思いもあってはじめたこの日記。
実際、まだ老後には少し早い今でも、過去の日記を読み返すのが楽しいです。
なぜなら、そのときわたしの気持ちが動いたことを残しているから。
そりゃあ面白いに決まっている! と思います。
「今のわたしはもう、こんな風には思わないな」
だとしても、
「ああ、今も同じことを思っているな」
だとしても、面白い。
自分だけが楽しめる読み物としては最高だと思います。
そして、
「今ちょっとしんどいな…」
と思ったときにも、時々過去の日記を読みます。
そうすると、思いがけず過去の自分がいいことを書いていることも。
最近は、2013年の自分が書いていた、
「幸せって、別にいいことがたくさん起こっていなくても心がすーっと穏やかで、これから起こるいいことも悪いかもしれないことも全て受け止められるような気持ちでいる状態を言うのではないかな。
そういう時って、たとえよくないことが起こっても自分の中で片付けたり、気持ちを別の所に上手に持っていけたりするから、ひどく疲れすぎたりもしないし」
「自分がやれることを増やすということは、それだけ余裕の幅が広がるということだ。
どんな小さなことでもいい。今まで苦手だったことや、できなかったこと。
その分、もっと自分を頼りにすることができる」
2000年1月の自分が書いていた、
「さびしくない人なんていなくて。
そのさみしさを自覚しつつ自分をかわいがって生きてくのが大人ってこと」
これらの言葉で、ちょっと元気になりました。
今書いている日記が、またいつか何年か先の自分を元気にしてくれたらいいな、と思います。