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それでもセーラージュピターがすきだ

昔から人となんとなく足並みを揃えなきゃいけないとうっすら思いつつすごしていた。

大体の人が右といえば右だと言っていたし、権力者的なクラスメイトが突然自分の好きなものを批判する姿を見たら隠れキリシタンのようにひっそりと好きなものを愛でていた気がする。あの頃どうしてクラスの中では、なんでもない人間があんなに威張り散らかして一生懸命な誰かの足を引っ張ったり、笑ったり、叩いたり、心ない言葉を吐き捨てたりしていたんだろう。たぶん大人になった自分が今では思う。

セーラームーンで育った子供のころはセーラージュピターことまこちゃんが好きだったけど、なんとなく『男まさり』で『力持ち』で『頼りがい』があって『ちょっとがさつ』だったりして。自分の周りにはジュピターを好きな子はいなかった。外部太陽系の戦士が出てくると、それこそあのミステリアスな雰囲気と大人な配色とかに憧れたりもした。

だけど人にはなんとなくそれを言えないでいた。どうしてなんだろう…?

多分好きなものを否定されたり、笑われたりすると自分が自分じゃいられなくなるからだろうな…。たぶん。

***

話がかなり飛躍する。

『もっとカワイクなりたい!』と、整形した友達がいた。整形しない顔もかわいかったし、整形した顔はもっとかわいい。

別に隠すことじゃない、と整形したことをオープンに話していたそんな友達が深夜に怒り半分泣きながら「全身整形魔人」って職場でからかわれた、と連絡してきた。「次はどこを整形するの?」って他部署の男性から笑いながら声をかけられたのが悔しくてしょうがない。と心の底から怒っていた。

もちろん私も怒っていた。

そしてやっぱり思う。なんにも悪いことしてないし、自由なはずなのに。人にだって迷惑をかけているわけじゃないのに、隠さずにいたことで不意に自分が傷つけられることがある…。別にこそこそなんてする必要なんてないのに…。自分のことのように怒れるし、悲しかった。

だけどそういう故意なく(あるひとも含む)人を傷つけてくる人とは”違う世界に住む者”として距離を取るしかないし、かかわりを一切断絶してないものとして生活するほか自分を守る方法はない。

そうしてその夜、2人で怒りながら過ごした。

そうすると次の日、整形話を悪意にいじられて悲しんでいた友達がなかなか痩せられず体型にコンプレックスを抱く子に向かって「お~いデブ、身幅身幅!考えて(笑)通れないよ!」とこれまた悪意なく声をかけていた。

私はこの光景を見てめちゃくちゃ頭が痛かった。君はだれかにそういうタイプのひどい接し方をされて昨晩怒り悲しんでいたんじゃなかったのか。

君は納得のいかない自分の見た目を「好き」になれることでコンプレックスを克服しようと行動したのかもしれないけど、自分の納得いく”カワイイの定義の範囲にあてはまらない誰か”はそうやって軽く笑ったり、冗談にでも笑い話にいじったり、そういうことをやってもいいのかよ…。

『みんな”誰かの何かの定義の中”におさまるように自分を否定して矯正しなきゃいけない?』

そうじゃないはずだ…。

私の最低なところは、この光景を見て呆然とするだけで何一つ言葉を発さなかったことだった。

被害者の落ちた肩はこれでもかと慰めたのに、その被害者が加害者のような発言をしたときには『それは違うんじゃないか』と意見することはできなかった。

それはきっと小さいころにジュピターが好きだったじぶんをはぶいてセーラームーンごっこをしはじめた女の子たちを思い出したからなのか、何の感情も表さないことで自己防衛をしようとしたからなのか、何なのか分からなかった。

家に帰ってくよくよした。

私が同じように何かを否定されるようにそう言われても、何も言わずに笑っているの?冗談として何か頭のよさそうな面白い返しをする?静かにそれが過ぎるのを待つか?怒りに身を任せて相手の胸倉をつかむのか?

だけど次は絶対に

『それでも私はセーラージュピターがすきだ』と

そう言いたいと思った。




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