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「Love so sweet」を通して語る、嵐との思い出

ついに!先日から、嵐のカップリング曲がデジタル配信開始されました。改めて聴いても名曲揃い。

「嵐」を主としたテーマでnoteの記事を書いたことはなかったが、彼らが居なければ今とは全く違う人生を歩んでいた、と断言出来るくらい私にとって大きな存在だ。

当然、彼らの楽曲には思い出が沢山詰まっている。今日はそんな彼らの楽曲の中で特に思い入れがある曲や、嵐の楽曲を普段聞かない方にオススメしたい曲をご紹介しよう…と思ったのですが、1曲目に「Love so sweet」について書いていたら、それだけで1本分の記事になるくらいの長さに。

なので今日は、Love so sweetについて語ります。
他の曲については、また後日。

言わずと知れた名曲。嵐の楽曲をあまり聞かない方でも、聞いたことがある人は多いと思う。

大型歌番組やコンサートでの定番曲なので、またこの曲歌うのか〜なんて不満気に聞いていた時期もありましたが、やはりどうしたって名曲。ポップで優しい曲調と、“愛”を歌った歌詞が本当に素敵。


こんな好きな人に 出逢う季節二度とない

ここの歌詞、嵐の活動休止が発表されてから聞くとすごく刺さって仕方なかった。こんな好きになれる人に出逢うことって、おそらくもうない。

たぶん嵐を、大野さんをこんなに好きになって強い憧れを抱けたのは、好きになった時期が幼少期だったから。幼少期の自分は当然ながら狭い景色しか見えていなかったし、自分のこともよく分かっていなかった。そんな中で好きになった彼らは、私の道標であり、生きがいになった。
でも大人になってから好きになった人は、欠点も冷静に見えてしまうので、ある一定の心の距離を置いてしまう。

あとは今、比較的自分の人生を楽しめているのも1つの理由かもしれない。嵐の存在だけが生きる理由であった時期もあったけど、今は他にも生きても良いかなと思える理由がある。だから“推し”にそこまで心を預ける必要はないのかも。

そんな理由から、「こんな(嵐くらい)好きな人に出逢う」ことは「二度とない」と感じている。1つの存在に依存しすぎない、という意味では良い事なのかもしれないが、寂しさも感じる。こんなに好きだったからこそ、感じられる感情も沢山あったなぁ。


そこからいつも見えるように この手を空に向け 広がる君との思い出
あの頑なで意地っ張りな僕を変えた君の手

ここの歌詞も自分の嵐への思いと重ねて聞ける、という意味で思い入れがある部分なのだが、もう1つ思い出がある。

2019年。嵐の20周年ツアーがあった。幸運にも私は当選し、5人の姿を生で見れるのはこれで最後かもしれない、という思いで参加をした。そのライブの終盤でこの曲は歌われたのだが、そこで見た忘れられない景色がある。大野さんのソロ部分「そこからいつも見えるように この手を空に向け 広がる君との思い出」の「君」の部分で、大野さんがファンに向けて指をさしてくれたのだ。

ファンと作った良い思い出が沢山あるよ、と言ってくれた気がして私は嬉しかった。大野さんはいつもファンをとても優しく暖かく包んでくれたし、常に感謝を伝えてくれていたが、大野さんに対するファンの言動や態度は酷いものも沢山あった。きっとファンに傷つけられたことは何度もあったと思う。だから活動休止を発表した時は、遂にこの時が来たか…と思ったし、これはファンの責任だな、なんて思ったりもした。

けれどもこの大野さんの行動が、これまでのファンと嵐の思い出を、良いものだったよと肯定してくれた気がした。私はそれで救われたし、胸がギューッとなった。そんな忘れられない思い出。


伝えきれぬ愛しさは
花になって 街に降って
どこにいても君を“ここ"に感じてる

ここも自分の嵐への思いをまんま表していて、あぁー!ってなる部分。クソデカ感情だし、「愛」だよね。

大野さん元気かな。私のこのでっかい愛が「花になって 街に降って」、どこかで暮らしてる大野さんに幸せを分け与えられれば良いのに。

みんな推しに対して、これくらい大きな感情を抱えているものなのだろうか。そうなのだとしたら、私が胸を張って「推し」だと言えるのはたぶん生涯で彼らだけだ。沢山の感情を経験させてくれてありがとう。楽しい時間でした。多くの人はこれを“青春”と呼ぶのかもしれない。


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