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【エッセイ】皮膚科クリニックに行っただけの話



 ある日の朝、皮膚科クリニックに行った。顔のニキビがひどいのである。
といっても、自分ではそんなに気にしていなかったのだが、母親から「いい加減早く行きなさい。ニキビ、本当酷いよ」としつこく促される日々に疲れ、仕方なく受診した。

 昨日が休日だったからか、待合用の椅子は全て埋まっていたし、立って待てるような空間にも、既に人が溢れていたので「これは困ったな。駐車場で待つか」と思った。けれど、受付の不愛想なお姉さんから「外に出ないで待っていてください」と言われてしまった。仕方なく、唯一空いていた入り口の自動ドアの前で、身体を小さくしながら待つことになったのだが、出入りする人の邪魔になるし、自動ドアを開けっぱなしにしてしまうような立ち位置で、まるで落ち着かなかった。その時読んでいた太宰治の「トカトントン」の続きが読みたくて仕方がなかったのもあり「早く空かんかなあ」ともどかしく思いながら立っていた。

五分ほど経ったとき、椅子に座っていた患者の一人が、無愛想なお姉さんに会計に呼ばれた。
一つ空いた席を見た私は、「あの場所に誰かが座ったら、私はその人が立っていたところに移動しよう」と思った。けれど、数分経っても席に座ろうとする人はいなかった。皆、変わらずその場に佇み、ただ下を向いてスマホを触っている様子である。
「ひょっとして、誰も、席が一つ空いたことに気づいていないのかもしれない。それとも何となく遠慮をしているのか。何にしても、これでは私が困る」と私は少し苛立った。「仕方がないから、私が座るか」とも考えた。このクリニックの中で誰よりも遅く受付をした私がすぐに腰掛けるのは気が引けたけれど、「ずっと今の位置に立っているわけにもいかないのだから、ここは私が座るしかない」という思いに至り、足腰の悪そうな人や子どもは居ないかを確認した上で、座らせてもらった。

ところが…、私が腰かけ、本を読み始めて数分経ったところで、今更こっちを悔しそうに見つめる女性が居た。視界の左端にチラついて仕方がない。
しかも、彼女は私を見た瞬間、思わずといった様子で、「ア…」と声を漏らしていた。「自分が長時間立っていたというのに、受付終了三分前に慌てて駆け込んで来た、怠慢なニキビ面女に席を取られてしまった」という感情が、彼女の「ア…」には詰まっていたに違いないと思うのは、考えすぎだろうか。
私は一瞬、罪悪感に襲われそうになった。しかし「自分だって色々な葛藤があったのだ」と思い返し、「そんなに座りたいなら、常に周囲に注意を向けるべきね。こっちだって迷惑しちゃうんだから。文句を言うならニキビの膿をなすりつけるぞ。ニキビーム」と開き直ることにした。
つまり、その女性は、ただ席に座りたかっただけだと思うが、私の隣に座っていた人が芥川龍之介を今風にしたイケメンだったので「尚更悔しいだろう」と考えたりもした。

今風の芥川は本を読んでいた。
このクリニックの中で本を読んでいる人は、私と彼だけだった。周りは眠っていたり、子どもの遊びに付き添っていたり、スマホを見たりしている。
 私は彼に対して勝手な仲間意識と、謎の心強さを感じた。それと、彼の読んでいる本が無性に気になった。
「この孤高な雰囲気と佇まい。ドストエフスキーの『罪と罰』を呼んでいてほしい」と、自分が高校の時に挫折しすぐに読むのをやめた本の癖に、なんか"ドストエフスキー"という響きがカッコイイだけで、そんなことを思った。結局、彼の読んでいた本のタイトルはわからなかったが、ドストエフスキーではないことだけは確かだった。芥川龍之介でもないだろう。なぜなら、その本が可愛い犬の絵が描かれた表紙だったからだ。きっと、飼い主と飼い犬の感動のほんわか系物語に違いない。一瞬残念に思ったが、「それはそれで素敵だ」と自分に言い聞かせた。
 次に「彼も私と同じように、私の今読んでいる本が気になっているに違いない」と私は妄想を膨らませた。実際は、「気になっていて欲しい」という私の単なる願望でしか無いと思うが。それから、あえて彼の視界に入りやすいようにさりげなく本を傾けることも考え、それはやめた。
なぜなら、私の読んでいる「トカトントン」は、人生に真剣に向き合おうとするたびに、"トカトントン"という音が聞こえて虚無になる男の話である。「飼い主と飼い犬のほんわか系感動物語」が好きな彼とは、好みが合わない可能性が高く、陰鬱な小説は嫌いかもしれないからだ。それに、自分では「体勢を変えただけですよウ」という演技でさりげなく本を傾けたつもりであっても、今風・芥川の鋭い分析力・観察力で、その魂胆がバレてしまう可能性だってある。これは何より恥ずかしい。

それからも妄想に耽る時間は続く。
「ああ。私も可愛い犬の絵が描かれた表紙の小説を持ってくれば良かった」などと、そんなものを持っているわけもないのにそんなことを思ったり、「待てよ。そもそも、この女のニキビヤバって思われていたらどうしよう。ニキビームなど、呑気なことを思っている場合じゃない」と考えたり、ただの"ニキビ繋がり"というだけで、芥川龍之介の「羅生門」を思い出したりもした。「『羅生門』の主人公は右頬にしかニキビが出来ていないのに気にしていた。私は顔全体がニキビで溢れているのに、何故今の今まで放置していたのだろう」と、よくわからないことを思った。

結局、私は「トカトントン」の続きには全く集中できなかったし、当たり前だが、今風・芥川とも、何の関わりもないまま終わった。
無愛想なお姉さんがやる気のない声で誰かの名前を呼んだと思うと、彼は立ち上がり、会計を済ませ、クリニックを颯爽と去ってしまった。
イケメンは名前までイケメンだったんだな、とぼんやり思っているとき、自分の口元がだらしなく「ア…」と開いているのに気がついた。
 隣には、さっき私に席を奪われた女性が座った。


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