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帰郷までの長い道のり 3<家>

実家は郊外のニュータウンにあり、都心まで1時間少々。高度経済成長期のにぎやかな面影は消え、今は高齢化が進んでいる。80代の父は、昭和50年代に中古で購入した庭付き一戸建てに一人で暮らしている。施設入りを強く拒み、「この家で暮らし続けたい」と言う。

庭付き一戸建て、妻、子ども2人。典型的な昭和の幸せを父は手に入れた。だが父は、幸せの象徴である家にも家族にも愛着や愛情を示したことはなかった。

毎晩酒を飲んで深夜に帰ってくる。家のメンテは妻まかせ。子育てももちろん妻まかせ。日曜日、妻が炎天下で庭の草むしりをしていても、自分は一日中自室にこもって知らぬふり。家族の団欒というものはなく、巨人戦を見ながら晩酌し、中継が終わればすぐに自室へ行く。妻や子どもが口答えをすれば、「誰が食わせてやってるんだ」「俺を敬え」と怒鳴る。

「そういう時代」と言ってしまえばそうなのかもしれない。

じゃあ父が24時間戦い続けた企業戦士なのかというと、それもまた違う。会社にも仕事にも、やはり愛着があるようには見えなかった。雨が降るといつも「こんな日は会社に行かないで家で本を読んでいたいな」とニヤニヤしながらつぶやいていたことをよく覚えている。

そう、父は本を読み、自作の小説なのかエッセイなのかよくわからない何かを書いているときだけが幸せそうだった。それ以外には何も関心がないようだった。父としてはうんざりさせられることばかりだったが、毎日飽きもせずコツコツ書き続けていた(今も続けている)ところだけは驚かされた。

不思議なのは、そんな父が、今、家族の誰よりも家にこだわり、家族にこだわっていることだ。この家に住み続けていれば、家族がまた戻ってくると信じて疑わない。今さら必要なのか、家族が。家族の総意としては、あなたに今必要なのは、一戸建てでも家族でもなく、高齢者施設と介護士なのに。

家は手入れをしなければ朽ちていく。家族も愛情をかけなければ離散して消えていく。そして皮肉なことに、妻を放置して愛情をかけてきた本も、子どもよりも慈しみながら一字一字書き進めてきた原稿も、あなたに何ももたらしていない。一生懸命追い求めても望むものが手に入るとは限らない。

庭付き一戸建て、妻、子ども2人。昭和の幸せは確かにそこにあったはずなのに。

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