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悲しい事件との向き合い方《2213pt》


※これ2020年の記事ね。

ナリ君教えて!
川崎殺傷事件
とても悲しい事件、、、。
事件のWikipedia

なんの理由もなく突然奪われた日常。
被害者、被害者家族の悲しみは想像に堪えない。

でも、加害者は元被害者。
加害者のこれまでの悲しみが伝わる。
彼は、もっと愛されたかった。大事にされたかった。あなたのままでここに居て良いんだよって安心したかった。

彼に、愛を伝える人が1人でいたら、こんな事件は起きなかったのかな?

テレビは、どうしてもっと子供や大人の自己肯定感を高めることの重要性について話したりしないのでしょうか?


※加害者は元被害者
______


(今日は、「大人ナリくん」で話すね。)


「彼に、愛を伝える人が1人でいたら、こんな事件は起きなかったのかな?」

絶対起きなかったとは言えないけど、起きなかったかもしれないね。


「テレビは、どうしてもっと子供や大人の自己肯定感を高めることの重要性について話したりしないのでしょうか?」

それは、需要がないからでしょうね。



川崎(登戸)の事件はものすごくショッキングだし、本当に遺族の方々の気持ちを思うと、心が痛くなる。それは、誰でもそうなんだと思う。

そして、それと同じように誰でも同じことがあって、それは人はポジティブなことに対してより、、

《ネガティヴなことにより強く心が反応する。》ということだ。



例えば仮に。

「目の前の人が、一人生きてる。」

という事実があった時、べつにそれは普通なことだと僕らは感じてしまう。

今僕はカフェにいるが、この店だけで15人くらいの人が「生きてる。」まー、普通だ。



でも逆に。「目の前の人が、一人死んでる」だと、果てしなくショッキングだ。大事件だ。


一人が、生きてる。
一人が、死んでる。

表と裏。
表の反対は、裏。
表裏一体。

「生と死」

やはり人は、「死」の方に強く強く関心を持つ。



人は絶対に死ぬし、今までの歴史でも何億人って人が死んできたのにもかかわらずだ。

いつまでたっても、人にとって「生」より「死」のほうがショッキングなんだ。誰にとっても。



30年間ステキな夫婦生活をしてる人より、10人と不倫をしてきた人のほうが、人は興味が湧く。

「浜田雅功、小川菜摘夫婦結婚25周年記念!!」

なんて、ニュースで流れても。まー、、浜ちゃんだから、おー!!!おめでたい!!と思うが。

数秒、おめでたい気持ちになって終わる。その程度だ。



そもそも、人は、ポジティブなものより、ネガティヴなものに強く心が惹きつけられるのだ。そういう仕組みにある。

そして、テレビは「広告収入」を主体としたメディアである以上。

「人が心を引きつけるものを放送するのは当然」だと感じるよ。

だから普通に「テレビは、どうしてもっと子供や大人の自己肯定感を高めることの重要性について話したりしないのでしょうか?」って質問には、

シンプルに「需要がないからでしょうね」ってのが答えになる。



そして、話が変わるが。

だからこそ、ネガティヴに引っ張られずに、ポジティブなものを見続けることが大事だとすごく思う。



川崎(登戸)の事件をみて、たぶん僕が10代の頃だったら「なんてことするやつだ!頭おかしいんじゃないのか?死ぬなら人に迷惑かけずに一人で死ねよ!なんてやつだ!」と思っただろう。

ただ、これは視野が狭すぎるよね。

なぜなら、「悲しみに対して怒りを出しても意味がない」からだ。
(それがわかるまでには少し時間がかかる)


そして、20代前半くらいになってやっと「なんでこの人はこんな悲惨なことをしたんだろう???」と、、疑問を持ち始める。それでもまだ、犯人は頭がおかしいやつだ!という疑念は消えていないが。


そして、20代半ばになると「あれ?もしかして、犯人って、、そうせざるを得なかった理由があったんじゃないだろうか、、いや許すとかそういう話ではなくて、、犯人=悪いやつって単純な構図ではなく、犯人=悪いことをするしかない環境にいたい人ということなんじゃないだろうか?」と視野がまた開くなる。

(あなたはそこまで考えられて、素晴らしいと思います)


そして、30代に近づいて「そうせざるを得ない環境に犯人はいたんだろう(だから許すとは言ってない)。。。では、そういった環境にいる人を減らすためには、自分がそうならないためには、周りの人をそうさせないためには、どうしたらいいのだろう?」ってまた視野が広がる。

このときには、犯人への短絡的な憎悪より、未来への希望が勝っている。

そして、あなたみたいに「なぜ?日本のテレビはもっと自己肯定をあげるような放送を増やさないのだろう?」と考えてみる。


すると、「ああ、なるほどそもそも人はネガティヴなものに心が反応するよな。私も10代のころはそうだったわ!それに、テレビはボランティアちゃうし、ビジネスやし、そりゃ広告費を取れるものをやるに決まってるわな。自然な話だ。」と納得する。


「そして、テレビにいちゃもん付けても意味ないわな。それより、自分の周りの人が、そして世の中が『そうせざるを得ない環境』から抜け出せるように。勇気を持ってポジティブなものに自分自身が意識を向けることをしよう。」

と決意する。


今この瞬間も。

いじめや、
パワハラ、
DV、
貧困に、
病気、

で苦しんでる人たちはたくさんいるだろう。

それを見て「あー、なんて世界は暗いんだ!冷たいんだ!」と嘆くのは簡単だと思う。

でも、そんな時こそ、勇気を持って悲しみに負けずに、ポジティブであろうとすることが大事だと思う。


でも、なんか僕はなんとなくだけど。

社会は、「悲しい事件起こした人=絶対悪」って単純な発想の人が減ってるように感じる。

すぐに、「この人がそうせざる得なかった理由はなんだろう?」って目が向いてると思う。
※だから許そうとは言ってないよ。


それでもまだ「死ぬなら一人で死ね」とか「引きこもりは悪」みたいな発想の人はいるのだと思うが、、、とても少ない気がしてる。だから、無視していいような気がしてます。というか、無視し続けることで、消えてくんだと思う。


悲しい出来事はこれからも起こり続けるだろうけど、「悲しみに捉われない勇気」があれば少しでも悲しい出来事は減るのではないかと思う。
(そう望んでいる)



◆悲しい事件が起きたときに、僕がいつも思うようにしていることは。

1、悲しい出来事が起きたら、それをしっかり悲しもう。

2、悲しみきったら、悲しみに引きづられることをやめてみる。

3、そして、悲しい出来事を敵にするのをやめよう。悲しい出来事の背景を見てみよう。


4、そして、悲しい出来事が減る未来を創造しよう。


5、「悲しい出来事を敵にしてる人」を否定するのをやめよう。悲しみに負けてしまう人を責めるのをやめよう。彼らが悲しみを敵にしてしまうのは自然なことなんだ、許そう。

6、ポジティブなことに意識を向ける勇気を持とう。

7、そして、自分、自分の周りの人、と勇気とポジティブの輪を広げていこう。

8、マザーテレサが記者に「戦争をなくすためにはどうしたらいいと思いますか?」と質問を、受けたときの答えは、

「家に帰って、家族を大切にしてあげてください」

だったそうです。


(終わり)


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