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自虐は他虐

以前投稿した記事の通り、私はとてつもなく自己肯定感が低いタチでした。

褒められても、感謝されても、出てくる言葉は必ず
「そんなとこないですよ!」
「私、◯◯なんで……」
「よく見えてるだけで、全然ダメなんで……」
とにかく自虐、自己否定しないと居心地が悪く、気が済まない性格なんです。

そんな中、最近気づいたことがありました。

自虐って気持ち良くないし、的を射てない!

正直、自虐って聞いてて気持ち良くないですよね。(笑)
相手のいいところを見つけて、好意を持って称賛してくれているかもしれないのに、それを簡単にシャットアウトしているような……

また、よく考えれば、会話も成立していない。
例えば……
Aさん「Bさんっていつも仕事早いし正確だし、本当に尊敬してます!」
Bさん「いや、私なんて見えないところでサボってるし最低ですよ!」
Aさん「いやいや、そんなことは……」

AさんはBさんの普段の勤務態度を見習って頑張りたい、と思っていたかもしれないですし、今後もこの調子で頑張ってください!と伝えたかったかもしれない。
でもBさんの返答はAさんのそんな裏の思いを全部覆すような、期待外れなものに感じられるのではないでしょうか?

相手の称賛が仮にお世辞だったとしても、聞いて喜んでほしい、もっと仲良くなりたい、という思いから発せられることが多いのではないかと思います。
そんな中、「私はそんな人間ではない」っていう言葉を返されると……
「あ、そうですか」って、なんとなく寂しい気持ちになりますよね、おそらく。

自分と同時に相手もディスってるかも!

ついこの間の話。
久しぶりに友人数名とzoomでオンライン飲み会をしました。
(私はノンアル参加)

同い年でパートナーがいない、婚活中の友人の一人について、どのくらい年齢差なら付き合えそうかという話の中で、

友「25歳くらいまで今ならいけると思う!
  最近全然年下とかいける気がする」
私「わかる!年齢重ねるごとに年下の魅力に気づくよね〜、
  相手はアラサーの私なんか願い下げかもしれないけど(笑)」
となんとなく返答しました。

その時、他の友人から「それは私たち全員も同時にディスってるよ〜(笑)」と言われ、ハッとしたんです。

自虐って必ずしも自分だけを下げているわけではない。
自分と同じ所属や性質の相手や仲間も同時に下げた表現にもなり得るんだと。

謙遜の美学と自虐の醜態

日本は謙遜する姿勢が美しいとされる文化が広く存在していると思います。
私は、知らず知らずのうちに謙遜と自虐の意味を履き間違えていたなと……

「謙遜」とは、控えめでつつましい態度で振る舞うことをいうそうです。
一方「自虐」とは、自分で自分を必要以上に責め、さいなむこと。

相手のことを思いやる前提の「謙遜」と、常に自分のことしか向いていない「自虐」……
似ているようで全く違いますよね。

30代の大人の女性のたしなみとして、自分を蔑む表現は抜け出し、自分も相手も心地よく過ごせるつつましさを身につけ、醜い自虐キャラは脱却しようと心に誓ったこの頃でした。

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