これがおれのなにか
おはようございます。
画像はなんにも関係ないです。
何もなくはないか?人生は舞台だって三島由紀夫も言ってるからな。
何につけてもwhat if this is 三島…、how about 太宰…、が頭をよぎる今日この頃。たのし。
今朝は7時20分頃に動き出した。
気付けば早起きチャレンジの時間には割と起きられるようになっている。起きやすい気候のおかげもあるかも知れないけど、まずはそういう自分を認めてやるべきだ。
それなのに俺は昨日の夜考えた「早起きして朝ごはんにホットサンド食べて(ここまではできた)フィットボクシングのデイリーをやるか、ひと駅歩く」を全実行できなくて、挫折感を覚えている。やっぱりすべてこなすには6:30には活動していないとダメだ。
なお、コーヒーは豆を挽いて淹れたし、お昼の分のホットサンドも焼いてジップロックに入れた。そしてシャワーを浴びて出てきた。掃除機はかけられなかったけどベッドメイキングはしてきた。
だから結構アクティブではあったんだ。色々こなしたと考えることもできる。
でも昨日の夜に抱いた理想があったから、それを遂行しきれてないことに挫折を覚えてる。だったら欲張ってお昼の分のホットサンドを焼かなきゃよかったし、朝ドラを横目で観なきゃよかったし、ベッドメイキングを後回しにすればよかったのに。
欲張っちゃうんだなあ。思いつくすべてをやりたいと思ってしまう。取捨選択の覚悟がない。で、やるやらの選択に10分迷ったりする。
馬鹿馬鹿しい、文字にしてみれば馬鹿馬鹿しいとは思うんだ。
最近になって、朝くらい地上波を観ようと思い、いちばんノイズが少ないであろうNHKをつけている。
朝ドラ。
宮野真守が出ている。
好き(だった)。10年くらい前がいちばん推していた。でも当時から好きだったのは9割5分が歌手活動の方で、声の演技の方は独特で凄いなと思いつつ、夢中になることまではなかった。あんまり追ってもいなかった。アーティスト活動が好きで、ファンクラブにも入ってたしライブにも行っていた。
でも6年くらい前(自分で書いてびっくり)を最後に、あまり情報に触れていない。好きじゃなくなったというより、疲れてしまって、そういう風にした。
「推し疲れ」という言葉もあるけど、そういう部分もあるかも知れない。私はもともとぶっ飛びバイタリティの持ち主ではないから、感情疲れしてたかも知れない。でもそれだけじゃなくて、主観的には、所謂ファンダム、Twitterやライブで目にする「界隈」のノリに馴染めなかったのと、ふとした時のアーティスト本人の周囲への振る舞い方に引っ掛かるようになってしまった、というのが二大理由だったと感じている。
今でも歌を聴くとやっぱり好き。好きな歌い方、歌声って、なかなか変わることはないから。ふとYouTube musicで曲が流れてきて、歌を聴いて、好きな気持ちと、もうそれを追う勇気?エネルギー?のない自分の間で、動悸がしてきたりする。歌が趣味の友達を急遽カラオケに誘って、人が楽しく歌っているのを聴いて心を落ち着けたりする。
活躍の幅を広げ続け、今や全世界の知るところではないかという彼を見るたびに、すこーしだけ自分が惨めになる。
子どもの頃、演劇がやりたかった。前にもちょっとnoteで書いた。演劇部のある学校とか子ども向けのワークショップとかは、そりゃ探せばあるにはあったけど、親への忖度で生きてきた自分には、事実上、その選択肢は取り得なかった。大学でやるのがラストチャンスだったよなと思う。でもやっぱり当時はその選択が不可能だったよなとも、いつ、何度振り返ってみても、思う。
大学はラストチャンスじゃないだろ!就職した後だって、いくらでもやりようはあるだろ!
って思うよね。あるある。そうだよね。社会人劇団とかあるものね。
数年前に某劇団(※有名どこではない。なお今は解散しているらしい。)のワークショップに参加したんです。数ヶ月のあいだ毎週末に活動して、最終的に小さな舞台に出る機会のあるやつ。
人間関係に疲れちゃってさ。稽古期間中だけで。
別に何ってハプニングとかキモい人間関係とかがあったわけじゃない。ただ、ただただ、みんなが当然にそうやっているようなコミュニケーションに、乗ることができなかったんです。同期の。気疲れがすごかった。仕事でもしんどかった時期だから、そもそも社交が限界だったのもあるだろうけど。まあまあ仕事を平穏にやれている今でも、またやるかって言われたら、アレを思い返して躊躇するだろう。
あ、そう。このnoteを始めた頃には入っていた吹奏楽サークルも、人疲れでやめちゃったし。個人レッスンに通ってます今は。
「みんなで何かをする」の才能がない。なんならアーティストグループとかも信じられない。ソロしか推せない。
……なんか脱線してきちゃってる?『人間失格』読了直後だからそのモードになっちゃってる?
とにかく、演劇。舞台ね。やりたかった思いを成仏させたかった。だからできる範囲で手を出してみたら、成仏以前のところで躓いちゃった。
そんな自分は、ええいもう、白状すると、表(現の)舞台に立っている人を見ると、さらにその人が時を経るとともに右肩上がりの活躍を見せていたりすると、心が曇る。10年前、15年前からも確実にキャリアを積み重ね、活躍の幅を広げている、例えば宮野の姿を、偶然テレビで見かけて、自分の惨めさを感じる。そんな自分を無視しようとしている自分、も見つける。
いや宮野真守ってめちゃくちゃ凄いじゃん???凄いからこそ自分だってパフォーマンスを好きになったんじゃん???凄いから今の位置にいるんじゃん???なのに何故。
A. 定めた夢を「追う」選択をしたこと、
「追う」ことをでき続けたこと、
そしてそれが結実していること、
そのすべてを、自分は積み重ねていないから。
だからって、そういうサンプル、つまり何かに一途に打ち込んで報われている人は、様々なジャンル様々なスケールでわんさかいるわけで、宮野真守という名のザ・成功者が朝ドラに出てるのを見ながら思わんでも、とは、考える。
この途方もなさは欲張りだなと思う。
そもそもやる手前で疲れてしまっているくせに、たらればの世界で、最初から高得点の対象と比べて、さらに疲れている。尻込んだりもしている。
今朝だって、朝は運動するって決めたなら、お昼のことなんか意識の外にやってしまって、初志を優先すればよかったんだ。
取捨選択の覚悟がない。目先のベターを追って、自分の手元の宝箱には、何か入っているのかい。
馬鹿馬鹿しい、文字にしてみれば、本当に馬鹿馬鹿しい。
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