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画期的なホリゾン―安西水丸展の感想というか、つらつらと考えたこと―

世田谷文学館で開催している安西水丸展に行ってきた。

感染者数がダダ上がりしているので行くのを半ば諦めていたが朝トイレから戻ってきた夫が急に「やっぱり行こうか」と言い出すので一気にアクセルを踏み超特急で準備。夫、むすこと向かう。

どしゃ降りの朝イチはひとが少なく、おかげさまで密を避けてみることができた。

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ロビーでは、絵本「がたんごとん」に登場するくだものやどうぶつがお出迎え!むすこもわたしも何度も読んだ絵本のキャラクターに大興奮。

入ってみると、村上春樹はじめ様々な文庫の表紙や絵本の原画、ユーミンの大好きなアルバム、「パールピアス」の歌詞カードなど、これも!?これも!?と手掛けた作品の数々に圧倒される。むすこが飽きてしまうためすべてをじっくりと見ることができないのだが、とても見応えがある。なにより、シンプルな線画とポップでいて柔らかい色使いの数々に囲まれた空間はとても「かわいく」て楽しくなる。

ふと安西水丸の本名が渡辺 昇ということに気づく。「わたなべのぼる…ワタナベノボル…ワタヤノボル?」村上春樹作品のなかに度々登場する、確か悪の象徴みたいな存在、ワタヤノボルって安西水丸さんの本名だったのか!とちょっとにんまり。なんだか村上春樹さんと安西水丸さんの友情の深さを感じりしつつ、心はずませながら鑑賞を進めていく。

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中盤、わたしはやっと気づく。安西水丸のイラストの数々にある、一本の線。これは安西水丸さんがホリゾン(水平線)と呼んでいたものだそうで、これがあることによって、平面のシンプルな絵でも奥行きや立体感を感じられるのだそう。

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そしてその線を書いているとき、安西水丸さんは育った千倉の海を思い起こすのだと。千倉の海の水平線こそが、安西水丸さんの原風景であり、創作の源である。筆を取るたびにふるさとを思いながら書いている姿を想像すると、胸があつくなる。
そしてこのホリゾン、たくさん仕事が来ても一定のクオリティを保つための安西水丸さんの工夫でもあったそうなのだ。そしてわたしには、これはどんなひとにも誠実に向き合う姿勢であり、やさしさであるように思えた。


ふと、土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」という本のなかで書かれていることを思い出した。

土井さんは、和食、それも家庭のなかでお母さんたちが作ってきた家庭料理を讃えている。日々の営みのなかで必要なのは、グッドルッキングな料理ではなく、おいしいごはんと、具だくさんの、味噌汁。ただ、それだけ。きらびやかなメインやたくさんの副菜がなくとも、基本の一汁一菜を抑えることで、日々のおいしい食卓と家族の健康をつくっていける。

毎日の忙しさのなか、一汁一菜があればよいという決まりごとで日々の食卓を提供することは、一定のクオリティで日々の食卓の美味しさと栄養を保ちつつ、日常のしくみを作り上げることで手間を省きながら、日々のルーチンとして家族の健康を守っている。

家事や料理に対するハードルをさげ、誰にでも取り入れやすくすること、それは土井先生からこれまでのお母さんたちへの敬意であり、これから生活を営んでいく若者たちへのエールであるように思う。


そんなことを思い起こしながら、同時にわたしは母を思い出していた。母はとても真面目な正確であり、いつも美味しいごはんをつくってくれていた。だからこそわたしも食べること、料理することが好きである。安西水丸さんの「on the table」ではないけれど、わたしには家族で囲った食卓が原風景であり、ノスタルジーだ。

でも。生まれ育った沖縄は家族行事のしきたりが多いことと、母の責任感が強く真面目な正確な故、つらそうな姿も見えた。

行事のたびにごちそうを拵え、段取りを取り仕切り、清明祭、旧盆、彼岸、正月、旧正月…毎年のそれを見るたびに、幼いわたしはずっと続くであろうこれに絶望をも覚えていた。

時代や風習もあるから、「これが正解」とは言えない。でももし、そのときに母にとってこれでいいんだよ、という優しいしくみがあったなら。日常に繰り返されるルーチンや毎回の行事だからこそ、作り上げることは面倒くさいことかもしれないけれど、適切な運用やしくみがあることは必要なことであり、一見堅苦しくみえるかもしれないけど、それがあることはやさしさだともおもう。

もしも母にそんなことが提案できたなら、負担を減らせていたのかもしれない。

いや、それでも母はしっかりと受け継がれていたことをしっかりと真っ当しているのかもな。つらそうには見えたけれど、それでも朝から大量の揚げ物を揚げながら、ものぐさなわたしやいとこに的確に指示を出し現場を統括し、毎回の行事を見事にこなす母はキラキラしても見えた。だからこそ、わかんないのだ。できることなら面倒な辛いことはない方がいいし、なるべくシンプルにおさめられればそれでいいのだけど。

完結さと面倒臭さは、複雑な女性の心には常にテーマなのかもしれないな。

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ちょっとテーマとはだいぶ違うかもしれないけどそんなことをぐるぐる思いながら、わたしはまだ安西水丸展の余韻にひたっている。

余韻にひたるあまり、はじめて絵の購入もした。そのことはまた書きます。では。

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