村上さんにうちあけたいことー猫を棄てる感想文

「猫を棄てる」を読んだあと、わたしの家族のことを村上さんに聞いてほしい、という気持ちに駆られました。

わたしには、2歳年上の兄がいます。
幼少期、わたしはよく兄に殴られました。子どもとはいえ、男子の力は結構強く、傷やあざができることもありました。
そんなことがあったかと思えば、少し経つとコロっと機嫌がよくなったりして、一緒に自転車に乗ったり、メロン色のシャーベットを買いに行ったり、公園で爆竹を投げて遊んだりする時間は楽しいものでした。
わたしは兄に殴られても、抵抗することができませんでした。というか、抵抗しようと思えませんでした。わたしを殴って気が済むならどうぞ、という心もちでした。そのことが余計に兄を腹立たせていたのかもしれませんが、わたしは当時本当に、兄の気が許されるならばそれでいいと思っていました。

兄と父の間には、ずっと心の食い違いみたいなものがありました。今となっては、そういったものが、兄をやり場のない暴力に向かわせていたのかもしれないと思います。
父は兄を「しつけ」ようとし、兄の方には決して「しつけ」られるもんかという確固たる姿勢がありました。
2人を個人として見れば、人と付き合うことには優れていると思います。でも兄と父はお互いを前にすると、どうにも相入れることができなかったようです。
村上さんとお父様がそうだったように、2人はとても、よく似ていました。

兄が思春期に入ると、関係はより悪化していきました。
兄は学校に行かなくなり、部屋からは常に煙の匂いと重低音が鳴るようになりました。夜にはなかなか帰ってこなくなりました。
真面目な母は混乱し、夜な夜な兄を探し回るようになりました。父は、兄が帰ってくると頭ごなしに叱ることしかできず、物理的にも、精神的にも、家の中のいろいろなものが壊れていくようになりました。
わたしと5歳下の弟は、何をすることもできず、ただただ子供部屋で耳を澄まし、時がすぎることを待っているしかありませんでした。
明くる日、ふたの壊れた炊飯器は、コツを掴めば開けることができたし、その炊飯器で炊いたご飯で食卓を囲んでいました。

そんな日常を重ねながら、兄と父の距離はどんどん離れていき、やがてお互い、相容れないものとして交わることを諦めているようでした。

そして兄は26歳で、亡くなりました。突然の事故でした。
火葬のボタンを押すのは父の役目でした。あのとき、父が何度もためらって、ボタンを押す姿を思い出すと、今でも喉の奥から何かがこみ上げてきてそして、きゅっと締め付けられるような感覚がします。
火葬場からの帰り、骨壺を抱いた父は、「久しぶりに抱っこしたなあ」と少し笑って言っていました。

兄と父に和解のようなものがあったとすれば、この時だったのかもしれません。


村上さんと、村上さんのお父様との歴史に触れることで、わたしの中にある家族との歴史が、引きずり出されていきました。

村上さんはきっと、皮剥ボリスの残虐を、天悟とその父がNHKの受信料の徴収に回ることを、騎士団長を刺すことを、お父様を思いながら、いくらか心を痛めながら、書いていたのではないかと想像します。
物語を通して、村上さんは村上さんのやり方で、お父様を思っていたのではないかと。

そんな村上さんの小説だからこそ、わたしは村上さんの言葉でいうところの地下2階へ潜り、そこで自分自身のなかにある奥底の意識に触れてきたのではないかと考えます。

わたしは、兄のことを嫌いとか、憎いとかいう気持ちになったことは一度もありません。わたしは真面目な性格の普通の女の子でしたが、兄が好んで聞いていたDr.ドレーやスヌープドックのあのとてつもなく悪そうでいてかっこいいビートにはどうしようもなく心惹かれ、兄のいない時には部屋に忍び込んでこっそりマルボロを吸ったこともあったし、兄が何処かから持ってきたリンカーンに乗せてもらう時は誇らしい気持ちさえしていました。

そして父に対して、子どもとの関係にわだかまりを抱えること、そしてその子どもを先に失ってしまうこととは、どういうことなのだろうかと想像します。それはわたし自身、子どもをもった今も、想像するにとても難しいことです。

わたしに何かできただろうか、と時々考えます。そして考えても結局、何もできることはなかったように思います。
でも、たくさんの雨粒の中の一つにすぎない、家族との歴史は、確かにわたしの中の歴史です。わたしはこれを抱き、受け継いでいくほかないのだろうと。

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