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小学校の転校初日に、違う名字で紹介された話。

見出しのまんまなんですけどね。
私は小学1年生の2学期に転校したんです。

転校先の学校で、まずは新しい担任の先生に会いました。
ふくよかな年配の女性の先生だったんですが、ちょっとお化粧が濃かったんですね。
今考えるととても失礼なんですが…
私、「白い、怖い!白い~!」
と大泣きしてしまいました。
今でも思い出すと、申し訳なさでいっぱいになります。
でもその先生は気を悪くするどころか、笑いながらギュッと抱きしめてくれました。
やっぱりお化粧の匂いが強かったですが、温かくて柔らかい先生の懐で緊張や恐怖がす~っと安心感に変わった感覚が忘れられません。

先生は私の涙が乾くまで待ってくれて、その後2人で教室に入りました。
そして、みんなに私を紹介してくれました。
「転入生の○○ △△さんです。」

え!?私の名字は○○じゃないよ!
動揺して心臓がドクドクしました。
でもまだ幼いながらに、すぐに理解したんです。
母が再婚したということを。
○○は最近ずっと母と一緒に居るおじちゃんと同じ名字だ。
おじちゃんは私のお父さんになったんだ。
私の頭の中は色んな事を考えてぐるぐる回っていました。

でも、不思議な位に平静を装おう事が出来ていました。
子供ながらに、動揺している事を知られたくなかった…何より可愛そうと思われたくなかった…。
幼い私にも妙なプライドがあったように思えます。

小学1年生は確かにまだ子供です。
でも意外と大人が思っているよりは何でも理解出来たりします。
だから、事前に話して欲しかった。
子供だから話しても理解出来ないと思ったのか、それとも話しにくかったのか、ただ面倒臭かったのか…。

「なんで何も言ってくれなかったの?」
このひと言は結局聞けないままでした。
もう母も亡くなったので、聞くことは2度と叶いません。

私はこんな風に大人の顔色ばかり伺って、本心を出せない子供でした。
そしてそのまま大人になってしまいました。
小さい頃からの私を取り巻く環境が大きく影響してるんだろうなぁとは思います。

とにかく常に周りに気を遣い、ビクビクしてましたから。
今でも辛い時や悲しい時でも
「大丈夫、大丈夫。」
が口癖で。
おまけにへらへら笑ってしまうから、強い人なんだなと思われがちです。
素直に泣き言を言い、人に甘えたり頼ったり出来る人が羨ましいです。

でも反面、やっぱりそうはなりたくないというか…矛盾してるんですが、自分で何とかしようと死ぬ気で努力することもせずに、すぐに人に何とかして貰おうとするような大人が嫌いです。
そしてそんな風に考えてしまう自分の事も、あまり好きにはなれません。

結局は強がりの意地っ張りなのかなぁ。
もう少しだけでも弱い部分をさらけ出せたら、どんなに楽に生きられるだろう。
今更だけど…。

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