第35話『押し付けられたもの』

 とても力持ちですが貧乏な大工さんがいました。
 冬のある日、大工さんは隣村での頼まれ仕事のために、夜が明ける直前の朝の道を急いでいました。
 村の入り口で、大工さんはみすぼらしい旅人がうなだれているのに出会いました。
 旅人は、大工さんを見上げ、自分も昔は大工をしていたことや、その頃の思い出について話し始めました。
 大工さんは、最初、早々に話しを切り上げてその場を立ち去るつもりでしたが、旅人の思い出話しは、どんどん不思議な方向に向かっていき、続きが気になってしまいます。
 「ところで」と、旅人が突然、話を変えます。
 「実は、大変なことをしてしまった。あなたが進むべき道を、みすみす失わせてしまった」
 旅人は手斧を二つ持っていて、両方は渡せないけれど、一本を大工さんに渡さなければならないこと。ただ、もし大工さんが手斧を持っているなら、見せてほしいということ。
 旅人が大工さんに手斧を見せますが、それは木こりの道具という風ではなく武器の様なもので、もちろん大工さんが持つ様なものではありませんでした。
 なにがなんだかわからないまま、旅人は自分が左手に持っていた方の斧を大工さんに渡します。
 どういうことかと、ようやく大工さんが口を開いた時、旅人は大工さんの目の前で、かき消す様に消えてしまいました。
 恐れ慄いた大工さんは、その場から逃げようとしましたが、さっきまで立っていた場所とは、似ても似つかない、何処かの街道の傍に立っていたのです。
 どうすることもできないと覚悟を決めた大工さんは、勇気をふるって先に進み続けるしかないと決心し、おそらく自分が向かっていた方向と同じ方に向けて歩き始めました。
 すっかり夜が明けていた筈だったのに、どうやら夜明けはこれからの様でした。

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