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デザインと神社と背中

トイレの話。

神社や公園など公衆トイレを有する場所の話。

神社。

デザイン、何とかならんかったんかなという話。
男は分かる・女は「へぇー」、な話


男のトイレ、立ち便器がある。

神社のトイレ、外のトイレ。
本家の「大社」的な神社でなく、分祀されたつつましく営んでいる神社。
宮司さんの常駐なし、社務所がないか、あっても無人で、窓口の白いくすんだカーテンが閉まってるような神社。

そんな神社のトイレ。
造りはしっかりしてる。
鉄筋コンクリート。
デザインとして簡素であり、換気に優れている。
つまり風がよく通る。
換気は万全だが、
必要最小限に隠すべきとこが隠れるようにデザインされている。

トイレ建造物の中央で男女仕切られていて、建造物真正面から見た時に男側・女側、直接中が見えないように目隠しの塀がある。
公園の場合では、モザイク柄の分厚めのガラスタイルだったりする。

いずれにせよ、それが第1の目隠し。
ヒトの身体防御機構に例えると「皮膚」だ。

話が逸れるが、
ヒトの皮膚は馬鹿にできない。
細菌やウイルスから体を守るのは白血球のヘルパーT細胞だ何だということに目が行きがちだが、
そもそも外部環境から身を守る第1の砦は皮膚だ。
傷だらけ・弱ってしまった皮膚からは外的が侵入し放題で、
すぐに感染リスクにさらされ生命の危機に至る。
皮膚はすごい。
日サロで焼くような行為は第1の砦を自分で壊すようなものだと
専門学校時代の生理学の先生に教わった。
皮膚はすごい。

そんな「皮膚」的役割を担うのが、
神社のトイレの真正面の目隠しの塀だ。

だから、肌感覚で6割5分~7割の外部からの視線は
この塀によってカットできる。


ところが
男女の仕切りを中心線(0°)として左右60°以上(計120°以上)の位置に行くと、
中の様子が見える。
具体的には、洗面台などが見える。

まあ、目隠しの塀のおかげで真正面(中心線から0°の位置)が開けっぴろげではないので、
心理的には6割5分~7割は許容できるが、例えば個室トイレを出てすぐ、もしくは手を洗っている最中に、斜めの角度にいる外の人からは見える、外の人と目が合う。
心理的に3割~3割5分許容しづらい場面。

第1の目隠しが突破されたらおしまい。
「皮膚」に信頼を寄せすぎて中の警備がスッカスカ。
見た目すごい整えるけど生活習慣が絶望的に乱れてて、
心筋梗塞のリスクがひたひたと迫っている状況。

中の人だけでなく、
外の人にとっても意図せず見える・目が合うのはイヤだ。
前を通るとき、
(あ、今これ60°の位置に来るな…)
と察知するとき、
意図せず見えてしまうことを事前に認知した上で見ないように・見えないよう善処しないといけない。ばかばかしい。数ある努力の中でも上位に入るばかばかしい努力。


話のキモ。
冒頭に
男は分かる・女は「へぇー」、な話
と言った理由。

男側のトイレ。
つつましく営んでいる神社の立ち便器はせいぜい2基。
入ってすぐのくぼみに位置する、洗面台すぐ横の立ち便器(1基目)は死角だ。

2基目。
くぼみの死角ではなく奥側に位置する立ち便器。
洗面台以上に外からよく見える

2基目は60°~90°のオープンビューのレンジにあり、
便器の全体像をしっかり目視できる。
そんな便器の前に立って用を足すとき、
男がどうなるか女は知る由もない。

角度によっては見えてしまうのだ。

60°~90°のうちのほんの数°。
外の通行人がほんの数°のレンジに差し掛かるときに運悪く目を遣れば、
そしてその時に誰かが用を足していれば、
…見えてしまうかも知れない。

だから僕は
不自然なぐらい、外に背中を向けて立つ。

おわり


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