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「中学2年の夏に交わした約束」

1 はじめに


私の周りには、「枠からちょっとはみ出た生徒たち」が多く集まってきます。
中にはちょっとやんちゃな子たちもいて、周りの大人からはしばしば「よくあんな子たちの面倒を見るね」という冷たい言葉を浴びせられることもあります。
たしかに、ちょっと髪型を変えようが制服を着崩そうがそんなことはどうでもいいとして、中には犯罪に手を出してしまった子、犯罪に巻き込まれてしまった子、退学になりかけていた子、退学になってしまった子などなどバリエーション豊かに揃っていて、「中山の周りはいつも治安悪いよね」と言われると返す言葉もありません。
そんな中で、たまたま最近「あまり大人を信じずにきたのだろうな」と思う生徒たちと関わらせてもらう機会がちょっと続いていて、その中の一人の生徒から「なんでりょうちゃんはそこまで俺のことを信じてくれるの?」と聞かれる場面がありました。その時にこの原体験の話をしたところ、「どうしてそこまで信じてくれるのかやっと腑に落ちた」と納得してもらえたようだったので、自分にとって言語化するまでもないほど当たり前になっていた「人を信じ抜く」という信念について、その原体験を思い返し、記憶から記録に移しておくとともに、自分の周りにいてくださる方々には知って欲しいなあと思い、筆をとることにしました。


2 Mさんとの出会い


「原体験」なるものは後付けのストーリーにすぎないとは重々知りつつ、それでも自分の「目の前の人に真っ直ぐに向き合い、とことん寄り添い、信じ抜く」「人の痛みを自分のうちに引き受ける」という信念は、中学2年生のときの経験によって形成された部分が大きいように思います。
中学2年のとき、Mさんという女の子が私の中学校に転校してきました。Mさんは髪を茶髪に染めていて、いわゆる「ヤンキー」な女の子でした。
夜な夜なバイクを乗り回し、学校にもほとんど来ない。なかなかに「やんちゃ」な中学生でした。
しかし、時々真っ白なベンツで学校に登校してくることがあり、きっと家はお金持ちのお嬢様なんだろうと、私たちの中では噂になっていました。

そんなMさんは私のクラスに転校してきたのですが、私は学級委員や生徒会長を務めていて、今思い返すと本当に痛いくらいの「the優等生」でした。
そんな「優等生」の私には、平気で学校を休み、校則を破り、バイクを乗り回す彼女の存在が全く理解できず、よく正論をぶつけては大喧嘩をしていました。
毎日のように喧嘩していましたが、妙に馬が合うところもあり、Mさんの勉強がわからない時は自分が教える、という関係でもあったため、それに気づいていた担任の計らいで私たちは2年間ずっと隣の席という、今考えると信じられない状況でした。


3 中2の夏の事件


そんなある日、事件は起こります。
理科の実験で私たちのクラスは4階の理科室で実験していたのですが、あろうことか実験中に私たち恒例の大喧嘩が始まってしまい、怒ったMさんはそのまま理科室を飛び出しました。
当然追いかける私。そのまま二人で怒鳴り合いながら、一階の自分たちの教室まで降りて行きました。
後から聞きましたが、当然この出来事は学校中の話題になっていたようです。笑

そのまま教室に入った瞬間、それまで弱い姿など見せたこともなかったMさんが、突然泣き崩れました。呆然とする私。やっと口を開いた彼女に、こう言われました。
「私だって分かってるよ!ルールを守んなきゃいけないこと、ちゃんと授業を受けなきゃいけないこと、学校にこなきゃいけないこと。けどさ、できないんだよ!そうしたいけど、どうしたらいいのかもうわかんない。家にはいたくないし、居場所もない。そんな私の気持ち、わかる?」
ガツンと頭を殴られたような気持ち、とはこのことです。
私は何も言葉が出てきませんでした。
中学2年生の彼女はどれほど辛い思いを押し殺してきたのか。私はいかに「表面」しか見ていなかったか。そして、その正論でどれほど彼女を傷つけてきたのか。
それを思った時、悲しさと悔しさと申し訳なさがいっぱいになって、私も涙が止まりませんでした。
ここではどんな言葉も空虚に響いてしまう気がして、何も言葉にできませんでした。
誰もいない教室で、ただひたすら二人で泣いていました。

お互いに涙も枯れてきた頃、私は彼女にある「約束」をしました。
それは、「家族の問題など、自分にできることはほとんどないが、必ずそばにいること」「何があっても自分はMさんを信じ抜くこと」です。
この二つの約束を、私はずっと胸の奥に大切にしまってきました。


4 原体験から今の自分へ


Mさんとは、今でも親しい付き合いが続いています。
今となってはあの頃のことを笑って語り合えるようになりましたが、やはり今でも「あの頃の中山くんはまじうざかったよね」と毎回言われます。笑

あの時彼女と交わした約束を、私はずっと守ろうとしてきました。
だから、目の前の生徒がどれだけ困難な状況にあっても、どれだけ大きな失敗をしても、たとえこちらを全く信じてくれていなくても、それでもその生徒と自分の人生をかけて向きあい、とことん寄り添い、信じ抜くこと。
これだけは、何があってもブレずに貫きたいと思っています。

あの時よりは少しだけ成長しましたが、それでも私は不器用で、能力不足で、単純な思考回路だと自覚しています。
不器用ゆえ、きっと他にもっといい助け方があるのかもしれないな、と思うことも、人を助けるあまり自分の身が危うくなってむしろ周りにご心配をおかけしてしまうこともたくさんあります。
それでも、不器用は不器用なりに、真っ直ぐに目の前の生徒たちと向き合い、どれだけ効率が悪くても、彼らとともに時間を過ごし、彼らを支えていける教師でありたいと、改めて思います。

「りょうちゃんは俺たちのことちゃんと信じてくれてるから、ついていこうと思う」
「中山はどう見ても不器用だけど、まっすぐに信じてくれるよね」

そんな言葉が、前に進むための勇気とエネルギーを私に与えてくれます。

これからも原点を忘れず、マクロには学校、そして教育界を変えていく「さざ波」になれるよう、視野広く取り組みを積み重ねながら、ミクロには目の前の生徒たちと人生をかけて向き合っていきたいと思います。

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