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鉄平の”地頭”ー『おれは鉄平』×『独学大全』


1. 『おれは鉄平』読みました!

『おれは鉄平』が50周年で電子書籍化されていたのでKindleで買って読みました。

もともと私は『あしたのジョー』が好きで、ちば先生の他のスポーツ作品もいつか読みたいなと思っていたので、良かったです。

あしたのジョーは、これまたスポーツモノの稀代の名作家・高森朝雄(梶原一騎)原作なので、ストーリーにはジョーほどの期待をしないようにしようと思っていました。しかし、鉄平はストーリーも漫画らしいツッコミどころに溢れていて、面白かったです!

2.『おれは鉄平』のストーリー解釈

ここからは、『おれは鉄平』の内容について書きたいと思います。
ネタバレが嫌な人は引き返して、鉄平を読み始めてください!

(1) なぜ『鉄平の剣』ではないのか?

未読時の私の認識としては『おれは鉄平』は剣道漫画という認識でした。
しかし、読みすすめる内に、剣道が主軸ではあるものの、むしろ、「鉄平」がこの漫画の全てなのだと思いました。
剣道漫画であればそれにちなんだタイトルでも良いものの、そうではないのは鉄平が中心だからかもしれません(単なるタイトルセンスの問題では?とも言えますが。。)。

もし剣道漫画なら、最初から鉄平が全国大会を目指しても良いところ、鉄平は全国大会に出場すらせずに、そしてそれを気にかけている様子もなく、埋蔵金探しに出かけますwwwねぇねぇ都大会で鉄平に負けて全国出れなかった人達、どんな気持ち?www
これは、菊池との必殺技合戦で剣道漫画としてはやれることをやり尽くしたということなのかもしれません。全国に行ったら必殺技を持った強敵がうじゃうじゃ出てきてコロコロ的な展開になりそうです。菊池ですら、風車や竹刀を回転で絡めとる技はどういう動き?wwwという感じなので。鉄平も学生大会で二刀流って急にやっていいの?www

そもそも、鉄平は、最初から、日本一の剣士を目指しているわけではないんですよね。
これだけ剣道を扱う漫画をやるのであれば、剣道での目標が最初に設定されそうなので、時代的には昔の作品ですが、そこに”新しさ”を感じました。

(2) 力石徹にならない中城

驚いた点の一つに、初期にライバルとして登場する中城が力石徹にならなかったことがあります。
漫画のフォーマットとしては、中城と鉄平は、ジョーと力石、ナルトとサスケのような至高のライバルになってもおかしくなかったように思います。
しかし、中城は手練れではあるものの、東大寺の中で一定程度の強さにとどまります(基礎があまいと言われ続けるものの限界なく勝ち続ける鉄平とは違います。)。都大会の決勝における鉄平の相手は菊池ではなく中城でも良かったはず。しかし、そうはなりませんでした。
もっと言えば、中城とのライバル関係を主軸にするのであれば、鉄平は東大寺には入学しない方が良い。弱小の王臨から強豪・東大寺の中城を倒すというのも王道の筋書きです。

何故中城とのライバル関係が主軸にならなかったのか。
『あしたのジョー』と違う展開にしたかったのでしょうか。あるいは中城と鉄平の対立軸が上手く見つからなかったのかもしれません。最初、中城は強者であるとともに児童養護施設出身で、そこの子供達のお兄さんとして登場するので、中城は責任を負っている者・鉄平は自由な放浪者という形での対比があり得ました。しかし、その後、鉄平も家族のもとで生きるようになり、学校に入って社会生活が始まります。一方、中城も寮に入った結果、児童養護施設要素が薄まったのかもしれません。そのため、鉄平と質的に異なる存在というよりも、近しい存在・理解者という立ち位置の方がしっくりきたのかも。
中城が最後に船に乗せられたのは少し可哀想というか、中城は重要キャラだけどそこに絡みそうな奴ではないのにwと思いました。

王道展開にのせないところがあまり定石にこだわらないというか、すぐ学校を変えてしまう鉄平の身軽さがストーリー展開に自由を与えているように思いました。
最近の漫画は非常にストーリーが強くて、キャラも群像的なものが多いですが、キャラの躍動感がここまで目立つ作品はあまりないような気がします。

(3) 令和にありえない鉄平のキャラ

鉄平は非常に魅力的なキャラです。

酒・博打・女・煙草が好きな中学生ってコンプラどうなってんの?というところや、初期鉄平は字も書けないってマジかよという点で、かなりトンでいます。初期は花瓶の水を飲むなどの野生児っぷりを示していましたw

そして、明るく、策略家です。明るさと策謀を兼ね備えたキャラ(例えば他にジョセフ・ジョースターとか)造形って結構難しいのではないかと思います。明るいキャラはバカになりがちで、天才キャラは暗くなりがちです。
剣道でその策略は活かされており、相手の弱点を見抜いて対処法をすぐに編み出す能力が一貫して鉄平の才能として描かれています。これは漫画としても効果的で、目に見えにくい「強さ」をぶつける「戦い」を「技・能力」とその弱点を攻略する「心理戦・知能戦」に分解するというのは、スポーツ漫画のみならず能力バトルにも引き継がれた描き方だなと思います。

鉄平は工夫が得意です。剣道においても、みんなで基本練習をするより、独自の練習法を編み出して鍛えます。(竹刀を沢山ぶら下げて反射神経を鍛える練習は、たまに失敗した人がマリオネットみたいになっていますが、そうはならなくね?と思うものの、一定の説得力があればいいじゃんというのは漫画的でいいですね。)自分の名前が書けない時も、杉の絵を描いて乗り切ろうとしています。

そして、何より、鉄平はかわいい。ちば先生の描く子供ってめっちゃかわいいですよね。なにあの歩き方。矢吹丈も後期は暗くなっていきますが、初期はかわいかったなぁと親心で見てしまいます。先輩や先生に悪態をついたり、殴りかかったりというありえない行動もなんかかわいさで見れてしまいますね。歴代主将達は段々親になっていきますw

(4) 実はもっとありえない父ちゃん

鉄平の父ちゃんもやばい人です。

少年漫画においては、ちゃんとした(社会的規範を教える)母親とちゃんとしていない父親という設定は割とあるように思っています。孫悟空やジン=フリークスは親というより遊び相手のような立ち位置です。
これは最近の父親が子育てに参加するようになった一方で、昔は子育てから離れていた人も多かったという時代状況もあるのかもしれません。

しかし、鉄平の父(広美)は夢追い人を超えて、やってることがやばい。ダイナマイトで警察署爆破て。めちゃくちゃ罪重いはずだが。最後に戊組のみんなが停学になる山火事も父ちゃんが遠因だし。

最初、鉄平の母・兄弟が出てきた時は、絶対人違いなのに父ちゃんが勘違いされている状況を利用しているというオチだろうなと思って読んでいたのに、いや、本当に名家の息子なんかい!というツッコミどころもあります。かつては、大蔵省の役人だったということで、何があったんだよwww

あと普通に6人も子供がいるのすごいというのもあります。お母さんずっと子育てしているのに美人ですごい。広美は、可奈子ちゃんに至っては誰の子か聞くというクズっぷりです。別にキャラ設定としては6人もいらないと思うんだけどな。一番上のお兄さんとか影薄いよ。これも鉄平のタフネスに繋がる父ちゃんの生命力の強さの現れなのでしょうか。

鉄平は社会からはみ出たところで育った野生児だからという点で免責される部分がある一方で、父ちゃんはちゃんとした名家からドロップアウトした人で、鉄平を巻き添えにしているという点で、よりヤバい人です。この辺の過去が描かれてもおかしくないのですが、そこに説明はなく、何故父ちゃんがエリート官僚を辞めて埋蔵金探しを始めたのか・その時どうして鉄平だけを連れて行ったのか・おばあちゃんはどうやって父ちゃんを育てたのか(子育てに失敗したのか)はよく分からないままです。

(5) 社会生活と非社会的生活の間で

この漫画は、父ちゃんと埋蔵金探しをしているところから始まり、埋蔵金探しへ出かけていくところで終わります。すなわち、この物語は、鉄平が野生児としての生活から、社会生活を経て、再び元の場所へ帰っていく話です。但し、鉄平は、社会生活に馴染むツールとして剣道を身につけ、ついでに学もある程度身につけています。さらに、最後は仲間も引き連れており、成長しています。その意味で最後の埋蔵金探しは完全な非社会的な生活ではないかもしれません。この作品のメインパートは鉄平が破天荒なままで学生生活を苦労するところですが、その様子が魅力的なのは、誰もが多かれ少なかれ学校や部活といった社会的な組織に馴染む際に似たような苦しみを味わったことがあるからでしょうか。

鉄平が苦戦している間、父ちゃんはスキューバの練習をしたり、ふらっといなくなってたまに帰ってくるような登場をしており、ある意味何の機能もしない存在だったわけですが、父ちゃんこそが鉄平の帰るべき場所だったのだと思います。たまにふらっと現れるシーンでも、鉄平が社会生活の演技をして、父ちゃんと笑い合うという場面が度々現れ、二人の絆が垣間見えます。

一方で、じゃあ学校生活のような社会的生活から離れた生活(埋蔵金探し)はパラダイスか?というと必ずしもそうではありません。岩盤が滑落して閉じ込められた時は鉄平と父ちゃんは「仲間を食べるのではないか?」という疑惑をかけられ、全員が食べるものがない極限状態に追い込まれます。
それまで鉄平は剣道を頑張っていたので、最後の埋蔵金探しのくだりは唐突にも思えますが、「社会生活(学校生活)大変だよね」とともに「でも外の世界も大変だよ」というメッセージがあるように思われました。多くの子どもは普通学校生活から離れられないわけで、(空想であっても)学校生活を相対化してあげるところがこの漫画の優しいところです。

3. ストリートスマート・地頭信仰とは

ところで、アカデミックスマートに対するストリートスマート、学歴に対する地頭という概念があります(以下、「ストリートスマート」や「地頭」を「地頭等」と総称します。両者には違いがあるのかもしれませんが、似たようなものととらえます。)
鉄平の生き方は、他の学生・親が学校に苦情を言いにくる王臨学園の三浦達や、みんな勉強家で優秀な鉄平の兄弟達と対比されています。三浦達や兄弟達は学校に通い、勉強をする人達です。この対比を一見すると、鉄平は「地頭等」的な存在に見えます。

突然の自分語りとなりますが、私は小学生の時に「本当に頭の良い子は、机に齧り付いてガリ勉するのではなく、例えば、買い物に行った時に野菜の値段をよく見る等して、自分の知識を広げている」ということを言われ、それが呪いになっているという過去があります。これも一種の「地頭」でしょうか。
『ドラゴン桜』でも、日常に興味を持ち、駅の表示を気にするんだ!韓国語が看板に記載されたのはいつかな?みたいな話があったと記憶しています。

地頭等というのは何を指すものなのか外縁がはっきりしませんが、この概念が使われる文脈として、言葉の定義からも明らかなように、アカデミック・学歴批判の場面があります。

4. 『独学大全』から学ぶ「学習」とは

読書猿さんの『独学大全』は独学の体系化の試みです。
そこでは「独学者」を以下のように定義します。

独学者とは、学ぶ機会も条件も与えられないうちに、自ら学びの中へ飛び込む人である

また、「賢さ」について、以下の記述があります。

システム1の脆弱性を理解し、システム2によって必要な修正や補完ができるならば、我々は自身の愚かさを減らし、その限りで(ささやかではあるが)賢くなったと言うことができるのではないか。

人類が重ねてきた知の営みにつながることを、我々は学習と呼ぶ。

学校については、以下の記述があります。

学校は、我々が生まれ育ったコミュニティでは学ぶことができない知識を長期にわたって系統的に学習する人工環境であると同時に、感情と直感だけでは解決できない問題への対処法がシステム1の抑制を伴うことを体験する場でもある。

すなわち、愚かしさを避けるためには、先人が構築した知の集積にアクセスし、「巨人の方に乗る」必要があります。そして、学校は、学習の支援装置であり、効率的に「賢さ」を得るための「学習」をすることができる場です。学習者が学校の与える教材と異なるニーズを持ったり、より高いレベルの学習を求める時、独学が始まります。

5. 鉄平は「地頭が良い」のか

鉄平は、『独学大全』が示す「学習」にあまり重きを置きません。
しかし、頭が悪いわけではないと他のキャラからも評されています。これは先にも述べたように「地頭等」的です。
もっとも、鉄平は完全にアカデミックや学習と対置されるというわけではありません。実は、鉄平も「学習」しています。東大寺に編入する際は、動機があったので、無学からテストで半分正解するくらいまで学力を上げましたし、その後、宝探しの航海に出る時には、専門知識(航海術)を身につけています。また、剣道でも基本練習に力を入れている時期があります。

「地頭等の良さが大事」という言説は、「地頭等」概念の外縁が不明確であり、かつ、「学習」を軽視するものである恐れがあるため、私は首肯し難いと思っています。しかし、「地頭等」と区別して(あるいは一形態として)、「鉄平の頭の使い方」を考えたら、それが大事というのは頷けます。

『独学大全』が示すように学校は効率的な学習装置です。しかし、子どもの頃から学校教育を受けている我々学習者は、既存の知識を受け取ることに慣れすぎているのかもしれません。
武道も先人の経験や知恵の蓄積という側面があるので、剣道を例にすれば、剣道で誰かに勝ちたいと思ったら、普通は剣道を学習することをまず考えるのではないでしょうか。例えば師範の言うとおり練習したり、書籍を読んだり。これのような「学習」は強くなるための「正攻法」「王道」だと思います。
しかし、鉄平はそうしません。相手の癖を分析し、攻略法を練り、練習方法を編み出します。
その際、鉄平が重視するのは実利です。勝つという結果が全てで、そのために効率的な方法を採用します。鉄平は、「正しさ」やこうしなくていけないという社会的規範からは自由です。剣道の礼儀や基本を重んじる王臨学園の剣道部主将・吉岡とケンカチャンバラのように効果だけを求める鉄平の対比は何度も描かれています。
先人の知恵も各人の創意工夫の足跡であるため、鉄平のように自力で問題解決する力は重要です。これは学習者が見落としがちなところかもしれません。

多くの人は、学習して、それを超えた先に、創意があるところ(独学者の誕生)、鉄平は、創意して、行き詰まった時に、学習をするということでちょうど逆ベクトルの形です。

「地頭が大事」と言いたい人は、今度から「鉄平みたいに自分で状況を分析し、工夫で問題解決を図るアティテュードを重視すべき」と主張すれば、『おれは鉄平』読者(の一部)から賛同を得られるのではないでしょうか(話が通じる範囲が狭く、かつ、地頭信仰者がそういうことを言いたいのかは分かりませんがw)。

おわりに

鉄平の生き方から得られる示唆ってなんだろうと考えて、これがいわゆる「地頭等」なのだろうかと考えてみましたが、鉄平を「地頭等」といった概念に閉じ込めようとしても、かにさん歩きで逃げられるかも。
そういう読み方もあるよというだけで、そんなくだらないことは抜きにして、純粋に鉄平達の生き生きした様子を楽しむのが読み方としておすすめです!

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