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「誰かのため」は「自分のため」

どうも、NAOKIです。

今日は空気が冷たい。手袋をつけて自転車を漕いでいる人もいた。

燃えるゴミの日の朝は近所のゴミ拾いも拾って一緒に出すという習慣がずっと続いている。

クリーンデーでもないのにゴミ拾いをすると珍しそうな目で見る人がいたりする。
やり始めたころはそんな目線が気になっていたけど、いつの間にか気にならなくなってホイホイ拾っていくのが楽しくもある。

たばこの吸い殻とマスクに…なぜか精神薬のゴミが道端には多々捨てられている。ソラナックス、デパス、メイラックスなどなど。
歩きながら薬を飲まなければならない理由って何だろう…

時々犬のうんこも落ちているが申し訳ないけど対象外(笑)なのでスルー。


午後からはオンラインで感情に対するセルフケアのセミナー。

娘さんがうつになってしまって何かいい方法はないかというご相談で、参加していただいたのはお母さま。

誰かのためだったり、要望でセッティングしたセッションが実は自分のためだった…という現象がある。

私も以前、妻の依頼である方にセッションをお願いした時、実は自分自身にも課題に気づかされるということがあった。

このお母さんも娘のためと思っていたけど自分にもとても役に立つ内容だったみたいで以前の自分の経験と重なり合うところがあった。自分がそうだったようにお母さんも楽になればきっと娘さんにもプラスになると思う。


誰かのためは自分のため、自分のためは誰かのため。

だとしたら、誰かのためは相手が受け取ってくれるかどうかわからないので自分のためにを先にやった方が簡単だ。

そういえばゴミ拾いも自分のためにやっているんだった!



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