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生活記の休日(今日だけね。多分)

それはゴリについて2日目の朝の話である。

 詳しくはこの記事を見て欲しい。そうその日の朝はこんなことがあった。今でもその瞬間ははっきりと覚えている。何よりこのブログがこの記事までこれたことに一種の安心感を覚えている。帰国したときはどうなるかと思った。しかし、やはり出て来てよかったと今は思っている。私は今ヨルダンのアカバという街にいる。

 さて、ここで1つ問題なのはここからの記事をどうするかということだ。日本にいた時の記事を書いても仕方がない気がするし、タイにいた時の記事を書いてもひたすら歩いて、Netflix見て、パッタイ食って、タイティー飲んで、ビール飲んでただけだし。。

 だからすごく困っているのです。だったらトルコから書いたほうがいい気もするし。でもよくある情報ブログではなくて心情の変化とか、目に映った景色を見たように伝えたいブログだから、トルコから書くと、連続性に欠けるし。。

 うおおおおお。難しい。。。てことで、今ものすごく考えています。なんせ、毎日きちんとノートに書いているわけではないので、これが結局旅のログになるわけですよ。。だから皆さんが思っているより、価値が高いのです。自分の中では。何年後かに見返した時に、その時の感覚をぼんやり思い出したいのですよ。はっきりじゃなくてぼんやりね。ここかなり重要だからね。だから、動画とかじゃなくて文章なんですよ。

 この感覚はなかなかわかってもらえないんですけどね。やはり動画の方がリアルだし、はっきりと景色も写るし、その時の様子がまるっきり同じ形で未来に残っていくではないですか。それってとてもいいと思うんですけど、私の中の価値観だと、ちょっと違う。記憶って、時間が進むたびに変化してくんですよね。例えば、少し忘れて来たり、はっきりと覚えてた脳内の写真の四隅がわからなくなってしまったり、食べ物もそう。こんな形だっけ?みたいなことがあったり、味は覚えてないけど美味しかったみたいな。この変化していくかたちに魅力を感じているんですよ。もちろん写真も動画も撮りますよ。でも、1番重要なのは記憶に残すこと。多分今はっきりと覚えている記憶も1年後には少し違った形になっているだろうし、10年後はもっと変わった形になっていく。それがいいんですよね。そこが魅力。想像して、思い出して、連想して、思いに耽る。最高じゃないですか。だから小説とかって最高に面白いんですよ。まったく何もない状態から文章という唯一の情報を頼りに頭の中で何かを組み立てる。面白いんですよね。はい。だからこんな面倒なことも続いているんだと思います。

 おっと、話がだいぶ逸れてしまいました。。てことで、少し悩んでみようかな。幸いにも書き溜めている分があるので、多少は猶予があるわけです。リアルタイムだと、明日にはエジプトに行って、1週間くらいのんびりする予定もあるし。うん。てことで、初めて生活記じゃない感じの記事になってしまいました。

申し訳ありません。ていうか、むしろ何かアドバイスをください。顔がブサイクとかそいうのはやめてね。

ってことでなんだかんだ、このブログも結構記事数が増えて来ました。時間の経過を感じますね。これからもよろしくです。

あ、今日の記事のタイトルどうしよう。。。。

生活記として書いて来たからな〜ってことで、生活記の休日にでもしておきますか。それでは。