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アルメニア生活記6🇦🇲(ナゴルノ=カラバフ編)

 ナゴルノ=カラバフの生活は実に充実したものになっていた。忙しすぎることもなく、暇すぎることもなく、どこかちょうど良い感覚の中で、時間を過ごしていた。傘の滝に行けた私たちは翌日、もう一度同じ町を訪れることになる。昨日は行けなかった、戦争に関する残された遺産があるとの事だったので向かう事にした。

 バス停に向かうと車内にはある程度人が集まっていた。大抵この辺の国々は、人が集まり次第出発という曖昧なルールを採用しているので、時間にきっちりした日本人にはとてもありがたいシチュエーションなのであった。予想通りそんなに待つこともなくバスは出発する。すると、ある女性が私たちに話しかけてきた。どこからきたの?何歳?名前は?こんな簡単な会話ではあったが、とても嬉しく思えた。なぜならここナゴルノ=カラバフのみならず、ジョージアやアルメニア、アゼルバイジャンはあまり英語が伝わらない。母国語の他に話せる言語は皆ロシア語なのだ。もちろんロシア語なんてものは全くわからない為、ほとんどをボディランゲージでやり過ごしてきた私たちにとって英語を話す人間は非常に重要な意味を持つのであった。

 彼女はどうやらシュシに住んでいる学生のようだ。年齢は若く、記憶が定かではないが間違いなく10代だったのは覚えている。そんな彼女は見ず知らずの私たちにこの辺のことを教えてくれた。そして私たちがこんな場所に行きたいと伝えると、案内してあげると言ってくれたのだ。まさに女神。海外生活において、簡単に人を信用するなとか、勝手について行くなとか、まずは疑え、などと言った先人たちによる重要なアドバイスがあるが、彼女には悪人らしさは全く感じなかった。いや、むしろ、この町を、もっと知ってもらいたい。そんな思いが込められているようにも感じた。

 シュシに到着すると、彼女は荷物を置いてきたいと言うので彼女の家に向かった。よくあるマンションで良くも悪くも普通の家に暮らしているようだった。しばらくすると彼女は降りてきた。彼女の方に目をくれると、隣には彼女の妹も立っていた。これまた美人の妹はまだ9歳くらいだった気がする。英語はそんなに話せないが、アルメニア語を教えてくれたり可愛らしい女の子である。最初はシャイで全く口を聞いてもらえなかったが、徐々に心を開いてくれた。

 そんな彼女たちの案内のもと、シュシにあるいくつかのスポットに向かう事にした。廃墟のようなビルや、壊れかけた建物など様々な場所があったが、正直対して記憶には残っていない。彼女たちとの記憶の方が鮮明なのだ。

歌が好きな彼女は私たちに何曲も歌を歌ってくれた。何の歌かはさっぱりわからなかったが、とても良い響きだった。しかもアルメニアソングだけでなく、ドイツ語や、英語の歌まで披露してくれた。流石にこれには驚いた。意味は理解できなかったが、おもてなしの精神は感じることができた。

 日中にも関わらず人をあまり見かけないこの町の中心部で、外国人と歩きながら綺麗な歌声を響かせる彼女はまるでファンタジーの世界の主人公のような雰囲気があった。そんな彼女たちとともに景色のいい場所に行き、アイスを食べた時間というのはなんとも言えない時間になった。

 私も日本の歌をプレゼントした。恥ずかしさもあったが、誰もいない道を歩きながら歌う感覚は案外快感だった。気持ちのいい日差しと、風に包まれながら歌を歌うことなんて日本では経験したことのない体験だった。
 彼女たちは私たちに花の飾りをプレゼントしてくれた。なんの花かはわからない。ただ白くて可愛らしい花に少し手を加えて。実に嬉しいプレゼントになった。バックに括ってみたりもした。しかし相手は生き物だ。時間の経過とともに、その姿は弱々しくなっているのが素人の私にもわかる。大事に大事にとって置いたが、その花の生き生きさが完全に失いかけた時に私たちはお別れする事になった。

決して長い時間ではなかったが、短い時間の中で私たちに最高のプレゼントをしてくれた。花も歌も、皆で食べたアイスも全てを含めての思い出をくれたのだ。
 このお別れを機にナゴルノ=カラバフでの生活は終わりにしようと決心ができたのも事実である。

 訪れた場所も重要な場所だったとは思うが、歴史よりも今の時代を生きている彼らと交流できた事に有意義さを感じる。実際まだ紛争が完全に終わったわけではない。いつ始まるかもわからない。もしかしたら、あの町が戦場になるかもしれない。そんなことも思いつつ、私たち旅行者は町を出なくてはいけないのだ。関係ない人間なのだ。

翌朝、私たちは次の町、いや、「村」に向かう事にした。