見出し画像

2023年 91冊目『おさなごころを科学する 進化する乳幼児観』

松岡正剛さんが主催しているAIDAに参加しています。

今回のテーマは情報と意識のAIDA。

毎回、何かと何かのAIDAについて半年間で学んで自分の事業に活かすことがテーマです。

AIDAはリクルートと三菱商事が松岡さんにお願いして、スタートしました。

私はリクルート時代に会社から派遣で1回。独立してから4回。合計5回目の参加になります。

今回の1日目もキレキレだったのですが、2日目に向けて課題5つのうち2つが本。

本を読む前と後で「おさなごころ」についての違いを求められました。

中尾のコメントです。

みなさんはどう思いますか?

(1)が事前、(2)が本を読んだ後の事後です

(1)まず最初に浮かんだのは、「おさな」部分に着目し、幼児の意識や気持ちの事だと思いました。

純粋だとか無垢だとかという言葉が出てきました。

その次に出てきたのが、おさな「こころ」なので、感情、知識、思いやり、情などの言葉が出てきました。

こちらは、感情をコントロールできない。大人と比較して、知識や思いやりが劣っているケースが多いということでなど、優劣や上下を想像しました。

思い出したのは、自己紹介で書きましたが、私は1歳か2歳の時に自分が頭で考えていることを言葉(おそらく喃語)にできないことに気づいた記憶があります。

大人よりも劣っている、そのような事かと考えました。

また、近代以前は子供という概念がなく、子どもは(小さい。あるいは未熟な)大人として扱っていたという書籍を読んだ記憶があります。

つまり「こども」の概念は時代とともに変化してきたわけです。

そう考えると、この本では「科学」する対象としての「おさなごころ」なので、上述のような話も含まれて、変化や論理の対象として考えられているのではないかと想像しました。

(2)この本では、おさなごころ=「乳幼児観」と表現し、歴史的変遷と発達心理学の専門家である筆者(森口佑介氏)の考えを述べたものです。

歴史的変遷として、古典的かつ素朴な「無能な乳幼児」観から現在の主流の「有能な乳幼児」観があり、その先の「異なる乳幼児」観を説明します。

私の乳幼児観の大半は上述のように「無力かつ無能な」であるというものでした。

しかし、実際は「知覚能力」や「認知能力」があり、しかも他者との交流を好む「社会的な存在」でもあるようです。

これらは同じく上述の私のエピソードが当てはまるかもしれません。

しかも大人が保有してない「知覚能力」まで持っている可能性さえあるのです。

例えば、目に見えない誰か(空想の友達)を作り、その対象と交流している可能性があるというのです。

これは、確かに子供たちが小さい時には、有ったように思います。
しかし、こんなのは空想であり、現実ではないと思い込んでいました。

そう意味では、私の乳幼児観は(筆者の狙い通り)大きく変化しました。

▼前回のブックレビューです。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?