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2022年 47冊目『どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ』

色々考えさせられる本でした。
裏表紙に以下の事が書いていました。


最初、意味がよく分かりませんでした。
しかし、読むとなるほどって話でした。

犬も歩けば、棒にあたる
一度何もかも手放し、徒手空拳の犬になれ
すると、何かにぶつかる

コツンと乾いた音がして周囲が一瞬明るくなると、そこから次の展開がうまれてくる。
それが「開かれたかたちで、考える」ということの指標だ。
地べたの普遍性に立脚した思考の変態力が、紋切り型の「正しさ」を内側から覆す。

現実変革のための理路

尊王攘夷の「変態力」という章が興味深いです。

幕末の尊王攘夷思想は、江戸幕府の外国に対する開国和親政策への反対の声として広がります。
しかし、その後、それ自体が尊王開国思想に展開し、明治政府が成立すると、すぐに新政府は開国方針を提示し、「攘夷」の過去を封印します。

明治維新の根源には、この「集団転向」の抑圧、封印というよごれがあるのです。

なぜ、幕末の尊王攘夷思想は、現実の壁にぶつかったときに、関係の意識に目覚め、尊王開国思想へと変容できたのか。
また、そもそも現実の壁にぶつかることができたのか。

それは、尊王攘夷思想に「自己変容」の能力が装てんされていたからなのではないのか。
そうだとしたら、なぜ幕末の尊王攘夷思想には、そのような変態力がそ備わっていたといえるのか。

その一方で、明治以後、この変態力は、なぜ、どのように見失われていくのか。

尊王攘夷の思想は、この時代に限ってみればテロの思想です。
ところがテロの思想が、実行に移り、その結果、現実の壁にぶつかり、いわば「内在」「関係」の意識に目覚め、自ら現実的な反対主張へと転向していく例は、ほとんど見られないのです。

薩長の尊王攘夷論は、吉田松陰の独学から編み出されたものに、倒幕の口実を加えたご都合主義を内在させた、いい加減さ、自在さ、つまりダイナミズムを持っていました。

実際、福沢諭吉は、薩長の尊王攘夷論を、天皇を尊んでいるのではなく幕府攻撃の姦計の口実に過ぎないと喝破していたそうです。

一方、動けなかった水戸の尊王論は100年の歴史を持つ朱子学の原理主義的蓄積の中から生まれた厳密なもので、(正しいがゆえに)転向しないし、できなかったとも言えるのです。

薩長の尊王攘夷思想は、攘夷論が1階で尊王論が2階建ての構造になっているのです。

つまり原理主義と地べた性を併せ持つ2層構造の集団だという事です。
1階の攘夷論が独立した野生の明るさを持っていて、2階部分の尊王論の権威、論理的強度にも負けない強さを持っています。

その1階部分の明るさは、中岡慎太郎や坂本龍馬が示しているもので、学問の世界とは別の野人が生み出していたのです。

攘夷論は、列強にやられると植民地になる。
それは誰でも嫌だという個人の感覚に裏打ちされています。
いわば弱者の抵抗の起点に立脚しています。
これを地べたの感覚と言っています。

この目標を共有していたため、このまま進めば、戦争に敗れ、この目標が達成できなくなる。
これが明らかになった時点で、現実の壁にぶつかり、全体として、転向できたのです。

ところが昭和初期の皇国思想には、普遍性がある起点がそもそも無かったのです。
どうしても守らないものが無いので、現実の壁にぶつかれず、転向できず、最後まで戦い続けたのです。

実際、たとえ圧倒的な敵に負けても信ずるところを貫徹すれば良しとする
正義は我にあると信じ、ほとんど勝ち目のない戦いを戦って、喜んで非業の死を遂げていく。
これが重要だと言っていたのです。

最後は日本国憲法の第9条について言及しています
日本国憲法9条は、戦争放棄をうたっています。
しかし、実際は自衛隊があり。
アメリカ軍が駐在しています。

つまり、正義の戦争よりも、不正義の平和の方が良い。
といい加減で、一定の説得力を持っていたのです。
しかし、戦争体験者の退場に加え、政治への無関心と無力感が広がり、
現在、米国からの軍事協力に要求に対する憲法9条の抑止的な機能は、ほぼ骨抜きなりました。

これ以降、米国からの憲法9条改正の要望は無くなっているそうです。
実質、戦争が始まったら、戦えるからです。
これは、なぜ起きたのか。

安倍首相云々ではないと筆者はいいます。
それは、戦後以降、普通の国では当たり前の独立国家になろうという政治から数人を除いていなかったからです。
勇気も気概も無かったのです。

だから対米追従、従属路線を選んだのです。
もちろん、国益追及のための次善の策として十分に現実的に考え抜かれ、国民に率直に訴え、公然とした集団転向したのであれば、受け入れることもあり得たかもしれません。

しかし、国の独立をいつからは勝ち取るという共通認識が無い上に、強者に対等に向き合う勇気も、自分の弱さと向きあう勇気も欠けていたので、現実の壁にぶつかるという経験も無かったのです。

そんな政治家がいなかったのです。
悲しい現実です。
だから教科書に戦後史も書け無いのです。

最後にこれを受けて憲法9条をどうするのかについての言及があります。
これは少し違和感がありました。
地べたについていない感があるのです。
しかし、そうだとしても読みごたえのある本でした。

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