根は良いの不思議

個人を弁明する言葉に「根は良い人」っていうのがあります。

仲良い友人が誰かに酷い事をしてしまった時とかに使いがちですよね。


さて、この言葉。皆さん納得できますか?誰かに酷い事をされて、その友達に「根は良い奴なんだよ」と言われて、ああそうなんだ、じゃあ許そうとなりますか?

私は絶対に許せません。かえってその言葉で印象が悪くなってしまいます。

あくまで私は酷い事をされた事実に憤慨しているのであって、個人の人格の話をしているわけではありません。従って根は良いとかはどうでも良いのです。

そもそも根とはどこからどこまでの事を言うのでしょうか。友人が言う「根の良さ」というのは、おそらくその友人が受けた善行の経験の積み重ねからくるものでしょう。

だとしたら、それは友人が見た「良い葉っぱ」の枚数であって、「根」は1度も見ていないことになります。あくまで葉っぱから想像した根の姿です。

そもそも皆さん思考停止してしまいがちですが、人間は「良い」「悪い」なんて単純に区別できるほど単純なものではありません。無理矢理分けたとしても、良い人だって悪事を働く時もありますし、悪い人だって良い行いをする時もあります。

そして、そもそも論ですが人は他人の心を読む事など不可能です。根など見えるわけがありません。他人の少しダーティーな部分を見たら「それがその人の本心だ」と思ってしまう人もいますが、あまりにも焦燥で、素直過ぎます。

本心を探ってくる人、私のような嘘付きにとってら非常に扱いやすいです。

だって、少しダーティーな部分を「演出し、わざと」見せておけば、それが本心と思い込み、それ以上詮索してこなくなりますし、信用を勝ち取ることも出来るんですから。本当の本心は別にあるのに。


人の印象や性格は、関係性で成り立つものです。組み合わせによって様々に変化します。性格もです。

一概には言えませんが、人との関わりについてなるべく考えたくない人は、「事実」だけをみることが良いのかもしれませんね。


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