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自分の気持ちを、自分の気持ちとして心に仕舞う力

最近、嫌な気持ちになると分かっていてもSNSを見てしまいます。

そしてやっぱり嫌な気持ちになって、ずいぶんと自分はバカだなと思う日々です。




何だかここ最近、どうもSNSの雰囲気がおかしいというか、とても殺伐としているような、

そんな気がします。

イメージ的には、そうですね、銃弾が飛び交っているような感じですかね。

どこに行っても危険な気がします。


なぜSNSを見てこんな気持ちになるんだろうと、自分なりに咀嚼してみましたが、

どうやら、正論をコーティングさせた自分の気持ちの押し付け合いがあちこちで起きている気がするからだと思います。

そこにたまらなく、悪意と意地汚さを感じてしまっているんだと思います。


その正論、本当に世の中の為に言ってる?


最近正論を言ったもんがち、いわゆる論破をしたい人が急増しているように感じますが、


それでは目の前の人を論破して、それから何をするつもりなんでしょうか?



現実社会で正論で説き伏せる場面というのは、実はあまり多くない気がします。

なぜなら、現実では説き伏せた後、

「そこまで言うなら、貴方が先頭に立ってやり遂げてみなさい」

となる、つまり、その後の責任が付きまとうのです。


そうなると、「それも分かるけど、実際問題上手くいかないよね〜」と避ける人がたくさん現れます。

それはそうですよね。自分の時間と精神をたくさん消費してまで成し遂げたい正論は、大体の人は持っていないと思います。



ところが、SNSではどうでしょうか。

言いたいことを言って、何か責任が問われる場面は、現実世界ほど多くありません。
もし責任が出てきそうでも、アカウントを消したり匿名故に逃げることも容易です。


そして、昨今の誹謗中傷への情報開示の流れも、正論ブームを助長している気がします。

というのは、今まで誹謗中傷を平然とSNSに書き込む攻撃性のある人たちが、誹謗中傷を言いづらい状況に陥った現在、彼らは無意識にでも自分に都合の良いポジションを探すはずです。


そして見つけました。



「そうだ、正論を言う体にすれば、議論という形で相手を攻撃できるぞ」

最近のSNSは、よく正論が飛び交いますが、裏の真意が見え透きすぎて嫌になります。


「お前は私より馬鹿だ」
「あんたがとにかく気に食わない」
「今自分が気持ちよくなるために、お前を笑い物にしたい」


そんな心の声が、毎秒目に飛び込んできます。



そしていつしか、本人達も癖になり、とりあえず気になったものに突っかかるようになるでしょう。



きっとそこに待っているのは、周囲を巻き込んだ、地獄です。



正論というのは、立場や思想によって変わるもので、そもそも絶対的なものではありません。


人類史は、正しさのぶつかり合いで戦いを繰り返してきました。


自分の主義主張、ましては自分の腹の虫の居所が悪いことの解消のために、正論を振りかざすのは控えたいものです。

なぜなら、人を傷付けるから。



自分の気持ちを周囲に撒き散らすより先に、自分の気持ちを、まず自分の中で受け止めてあげましょう。

そして、整理して、仕舞うものは仕舞う。

引き出すとしても、刃は削って、誰も傷付けないように出しましょう。


自分の気持ちを自分で仕舞えれば、もっと良い環境になるのになぁ

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