気持ちを綴る大切さ
最後の投稿から、もう3年近くも経ってしまいました。
この3年の間に周囲の環境も、また自分自身の現状も変化がたくさんありました。
なぜ3年も放置していたかというと、やる気が起きなかったと言えば簡単ですが、もっと踏み込むのであれば、
実利が期待できず、挫けてしまった
という所が正直なところです。
カッコよく表現してしまいましたが、要は
「これは果たして意味があるのだろうか」
という、よくある不安に負けてしまいました。
成果は果てしなく向こうにあるかもしれないのに、序盤でいつも躓いてしまいます。
ただ、全く意味がなかったと言われたら、決してそうではない事を、本日思い知りました。
今日のお昼休憩中に特に理由もなく、暇だったので、3・4年前に投稿したnoteを覗きました。
そうすると、いやはや、
こんな文章4年前に書けていたのか
と、驚いてしまいました。
それと同時に、当時の心の余裕の無さも文章から感じ取れて、胸がキュッと締め付けられた気分になりました。
文章には幾許かの虚栄心が見え隠れしていて、背伸びしている踵がはっきり見えてくるような、そんな気恥ずかしさがありました。
ただ、叫びたいことや悩んでいることは、現在の自分と重なるものがありました。
ふと私は気付きました。
そうか、私は、過去に自分で答えを出していたのに、それをすっかり忘れて、また同じ事で悩んでいたのか
ここに気付けた時点で、私には大きな財産であり、またnoteに気持ちを綴る実利を見出しました。
私の現在の悩みは、誰かの新しい意見に解決のヒントがあると思っていました。
でも案外、既に過去の自分が解決してくれていることって、たくさんある気がします。
色々書きましたが、これから不定期で、自分のためにnoteを続けてみようかなと思います。
未熟な思考と文章ですが、誰かの為になるのであれば、是非ご覧になってください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?