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「政府に頼らない俺カッケー」という人々

最近、れいわ新撰組の増税反対デモに参加してからツイッター(現X)を再開して政治系のアカウントをいくつかフォローすると、タイムラインに流れてくる政府の減税などの経済政策に何故か過剰に反対する投稿が目立つ。


前提条件として、現在の日本の不景気の原因は、消費税や社会保障費などで可処分所得が巻き上げられ過ぎて、国内に流通するカネの量が減ってしまっていることに起因する。それを解消するためには、減税や、給付金などの政策によって国民が使えるカネの量を増やすことが効果的であることは中学高校の経済の教科書にも書いてある基本的な経済の知識なのだが、それに対しアレルギーのように拒否反応を示す勢力が一定数存在する。

そういう人々のバックグラウンドは、恵まれない家庭に育った人や、ビジネスで成功した金持ち系インフルエンサーや新潟県知事をパパ活で辞職になったオッサンなど、様々な顔触れである。今回はインフルエンサーについて考えてみたい。

冷静に考えれば正しい経済政策によって国内の経済が回復すれば、成功した富裕層を自称するインフルエンサーの皆々様の懐も潤うというものだが、なぜかそれを「国民の甘やかし」だの「クレクレ」だのという言葉で嘲笑する傾向が見られる。酷い者になると「年収〇〇万円以下は社会のお荷物」だなどど、社会人としての常識を通り越して、人間としての品性を疑うような放言をする輩までいる有様だ。生活保護や国民年金や、給付金などの政府からの援助にこれほどまでに侮蔑的な態度を向ける負のエネルギーの源泉はおおまかに2つ。国内での福祉政策が高齢者と子育てでゼロサムゲームになるなどの誤った経済観と、縮小していく日本経済の中で勝者になったということが彼らのアイデンティティになってしまっていることだ。

何度も同じことを書くが、政府は通貨を発行せずに、税率が引き上げらるということは、国内の経済で循環するカネの量が減っていってしまうということだ。そこで金持ちになるということは、蟲毒の壺の中の様なバトルロワイヤルを勝ち抜くという行為に等しい。当人はそんなことを考えてはいないかも知れないが、他者を蹴落とさなくてはならないのだ。国内のカネが有限の資源になってしまっているのだから仕方ない。それを解決するのが政府がカネを出すという「積極財政政策」というものなのだが、その「みんなが豊かになる経済政策」を実行されてしまうと、貧しい人々や、高齢者を見下すインフルエンサー達は、自身のアイデンティティを失ってしまう。
「俺達の苦労はなんだったの?」と。

失われた30年という、厳しい環境の中で「政府に頼らない俺カッケー」という自意識が日本国内の人々の無意識の中に醸造されてしまっているのだろう。多くのインフルエンサーが政府が予算を支出することを「甘えだ」などと軽視するが、多くの人々が豊かに暮らすという大規模なプロジェクトに対して、政府という大きな存在の力を借りるという発想に至らないのはビジネスマンとしてのセンスが無さすぎるし、自分の会社だけ、自分だけは生き残れるのだから消費税がいくら上がって庶民が苦しもうと知ったことではないという態度は人としての器が小さすぎる。
個人的な意見を言わせてもらえば、そういう成功者風インフルエンサーの方が幼稚だと言わざるを得ない。

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