「失敗してもいい」を理解できなかった私が、失敗もお宝に見えるようになった話
こんにちは!中野あすかです。
今日は、失敗についてのお話。
「失敗することも大事」
「失敗を恐れるな」
「失敗してもいい」
私たちは、昔からそんなことを言われながらずっと生きてきました。
部活も、勉強も、バイトも、仕事も。
しかし、私はずーーっと長いあいだ、どうも失敗をすることが「大丈夫」だとは全く思えませんでした。
出来たらいつでも完璧でいたいし、さすがに完璧じゃなくても、自分が許せる範囲にはしておきたい。
私にとって「失敗」は、怖いし、嫌いだし、イヤだし、カッコ悪いし、恥ずかしいし、何より自分を許せないもの。
他人の失敗は許せても、自分の失敗は許せなかったんですよね。
周りの人たちから、「失敗してもいいんだから」と言われ続けてきたことも、実はずっとストレスでした。
ん? ”良く”は、ないんじゃないの?
と。
このnoteは、過去の私のように、「失敗してもいい」とか「失敗することも大事だ」という言葉にずっと違和感を持ってきた人に、いつしか届けばいいなあと思い書き始めました。
だって、みんな、失敗よりも「成功」を書くじゃないか
私が「失敗してもいい」を信じられなかったのは、人事(採用担当)の仕事の影響がちょっとあるんだと思います。
私は4年間くらい人事の仕事をしていたのですが、毎日のように応募者の書類をチェックしていました。
新卒採用ならエントリーシート。中途採用なら職務経歴書。
あれって、多くは応募者の方の「成功体験」だけが書かれた書類なんです。
サークルの会長をしてました。
ゼミでやってました。
アルバイトでこんなことしてました。
目標(ノルマ)達成しました。
こんなことに貢献しました。
こんな業務効率化やってきました。
こんな成果だしました。
そりゃあ、そうです。企業は能力がある人を採用したい。潜在能力・顕在能力どちらもね。
応募者だって自分の良いところをアピールしたいから。
面接だって、エントリーシートや職務経歴書の延長線。
面接官も応募者も、みんな成功体験の話が大好きです。
挫折経験の質問もそりゃああったけど、聞けば結局、「それをバネにしての”成功体験”」を聞いてる(語ってる)のよね。
「ケガをしてレギュラーから外れることになってしまいその時はとても落ち込み、自暴自棄にもなりましたが、そこで諦めず本気でリハビリやトレーニングを重ねレギュラーに復帰し、大会でチームを優勝に導くことができました。」
とかさ。
(これは今適当に作った話だけど)
ほとんどの面接官側って、「失敗をどう乗り越えたか」を聞いてるんです。
乗り越えてない失敗は、失敗経験として、語れない。
結局面接なんていつも、「成功体験」のお披露目会だったんですよね。
もう回収できないことばかりなのよ
でも、でもね。
人間生きてたら、「回収できなかった失敗」って、沢山あるじゃないですか。
人生のうちの全ての失敗を成功体験に転換できたって人なんて、きっといない。少なくとも私には、「回収できなかった失敗」はたくさんあります。
私だって、おぞましい恋愛もそれなりにしてきたし、人のことをめちゃくちゃに傷つけてそのままになってることもあります。
あと、たった3人で立ち上げたビジネスを、人間関係に我慢できなくなってほっぽりだしたなんてこともね。1年前のこと。
それぞれに、「こうすれば良かった。」とか「こうしなきゃ良かった。」は色々あるけれど、多分もう、回収できないんです。みんなそれぞれ、次のステージに進んで生きているから。
私がこれまで傷つけてきた人たちと会うことはもう多分ないし、きっと今謝られたとしても、「え?今?」ってなると思うもんね。
むしろ、思い出させないでよ。とまで言われるかもしれない。
こうゆう回収できない(できなかった)失敗って、エントリーシートにも、職務経歴書にも書かないですよね。
過去の恋愛でのもう回収できない失敗(例えば依存とか浮気とか)を、あえて今の恋人や好きな人に話しませんよね?
もう回収できない失敗は、”評価”されない。
だから、【よく見られたい相手】には伝えないものです。
それが就活で、転職で、恋愛で、仕事で、ビジネスなんだもん。
「回収しきれなかった失敗」を価値にする
でも、世の中は本当に予想外なことが起こるんですよね。
「回収しきれなかった失敗」が、大きく注目された出来事がありました。
今年6月末に終了となるサービス「bosyu」のプロダクトマネージャーの方が、サービスの終了を決定するまでのことを赤裸々に語った記事が、界隈でかなり注目されたのです。
(勝手ながら紹介失礼します。。)
bosyuは採用の仕事をしていたときにも知ってたし、採用求人や委託案件募集だけに縛られない、あらゆる「募集」を扱うメディアというものに新しさを感じていただけに、クローズの決定はとても残念でした。
この記事は、bosyuのサービス開発・運営について、失敗したり上手くいかなかったことの内容、そして、「ああすればよかった」「こうすればよかった」ということについて、このプロマネの方がきっと強く後悔されただろう内容が沢山書いてあります。
結果的に、bosyuというこのサービスを続けることの中での、”失敗の回収”は絶たれてしまった訳です。
(あくまで、「同じサービスを運営していく」中では回収しきることができなかったという意です。)
しかし、私はこの記事をはじめて読んだとき、
人や組織の「苦しかった過程の発信」は、こんなにも価値があるものなのか。と思いました。
この記事は、「苦しかったけど結果的にめっちゃ成功した」っていう話じゃないんです。
「結果的に、ダメだった。今考えればああすれば良かった」って記事なんです。
それでも、多くのスタートアップの人間、エンジニア、デザイナー、クリエイター、マーケター、たくさんの人たちの、心を動かしました。
なんでかな?って考えてみました。
私たちはついつい、「失敗しても、こんなに挽回したの!スゴいでしょ!」とか「反省を踏まえて、次につなげていきます!」みたいに、キレイに語りたがってしまいます。
この記事が多くの共感を得たのはきっと、誰もが、回収(挽回)できなかった失敗があるからだと思うんですよね。綺麗ごとにまとめようとしなかったから、なんだと思います。
みんなどんなことであれ、立ち上がれなくてそのままになってしまった挫折を、隠し持ってる。
私には、やっぱりそうとしか考えられなかったのです。
報われなかった恋の話から、学ぶこともある
私は今月から、フリーランスとして「私自身が商品」な仕事を始めました。
その中で、自分自身のことをどう発信していくべきなのか、少し迷いがあった時期があります。
自分のサービスをつくって、お客さんと契約していく訳なのですが、やっぱりある程度、カッコええとこ見せたいなという気持ちもあって。腐ってもコンサルの仕事だし。
でも、自分の過去の活躍ばかりを書いた文字列は、「合ってるけど合ってない」感じがして、本当の意味で「私自身を売る」なんて出来ないなぁと思ったのですよ。
私のカッコいいところだけを頼られるのは、悪くないけど、持続しないかもって感じてしまったんです。
「成功体験」のお披露目会だった転職活動の、「ふ~ん、こんなことやってきたんだ、じゃあ合格!」のあの目を、思い出しちゃったのです。
このbosyuの記事↑を思い出して、やっぱり私は等身大の自分を頼ってくれるお客さんと付き合いたいなと再確認しました。
しかもね、思うんです。
「ああすればよかった」
「こうしたらどうだったんだろう」
「失敗したときの自分にこう言ってあげたい」
実はこの後悔が、最高の価値なんじゃないかなって。
みんな、シンデレラストーリーだけを求めてる訳じゃないし、
報われなかった恋の話だって、聞きたい。
それは、同情なんじゃなくて、
その「回収できなかったこと」の失敗談から、読み手が得るものが確実にあるから。
すべての失敗は、発信してしまえば誰かの価値になります。
だからあえて、言ってみたいんです。
失敗してもいい、と。
この「サポート」って機能、なんなのか知らなかったのですが、どうやらチップ的なものらしいです。いただいたら、新しい本とちょっと美味しいお米を買う資金にしようかなと思います!