怖い話
「みんなは、自分が体験した怖いエピソードとかある?」
部活の遠征の帰り、暗い山道に差し掛かったところで、先輩が車内に聞いた。
その先輩を含め僕以外の3人はどうやらエピソードを持っているらしく、1人ずつ披露し始めた。
僕の番
「いや〜ほんとないですね。」
本当にそんな恐怖体験や心霊現象などを経験したことがなかったので、僕はこう答えた。
家に戻ってから、
これまでの人生で怖い話なかったかなぁ?
幼稚園、、ないなぁ
小学校1年、、ないなぁ
小学校2年、、、
あっ、あったわ。
僕が通っていた小学校はその当時、なぜか箸だけは各自で用意することになっていた。
2学期のある日、いつものように給食の時間になったので、家から持ってきた箸を机に置き、トイレに向かった。
席に戻ると、机の上にあった箸がなくなっていた。
その日はただ、おかしいなぁ、
そう思って、給食と共に配布されるフォークとスプーンを使って給食を食べた。
この不思議な出来事はその次の日も起こった。
これは、おかしい。
僕は担任の山田先生に相談した。
すると山田先生は、教室の隅から隅まで捜索してくれて、ついに見つけてくれた。
僕の箸は教室のゴミ箱から出てきた。
僕は思った。
箸はどうやって、ゴミ箱に行ったんだろう。
不思議だなぁ。。
以後このようなことは起きなくなった。
このことを思い出した時、鳥肌が立った。
これ、怖い話じゃなくて、
『いじめ』じゃん
僕はかなり引っ込み思案な性格だった。
自分からは絶対に発言しない。授業中に手を挙げるなんて考えたこともない。
でも、授業はきちんと聴くし、宿題もきちんとやる。小さなテストでさえも、それに向けてきちんと勉強をした。
自分はこれでいいと思っていた。
1学期の終業式、通知表をもらった。
開くと国語の【表現】の項目がCとなっていた。
通知表はA, B, Cの3段階で評価がなされる。
一番下の評価がC。つまり、[がんばりましょう]だ。
家に帰り、母に見せると、凄い怒られた。
母が怒った理由も理解できる。
僕は長男だったこともあり、自分で言うのもなんだが、本当に大切に育てられてきた。
道を外さないように育てられてきた。
真面目に育てられてきた。
だから僕は、授業や宿題、テスト勉強と全てきちんと取り組んできた。
母は僕を、何かに秀でているわけではないが、劣っているわけではないと思っていたであろう。
通知表の評価で言えば、Bだ。
しかし、僕の通知表にあるのはC だった。
でも僕は、この評価の理由は分かっていた。
山田先生の授業は普通の公立の小学校の先生とは大きく異なっていた。
文科省公認の教科書は使わない。自作のプリントで授業を行っていた。
3人の海賊が宝探しをするというストーリーに沿って、算数を学んだ。社会では道路標識なども学んだ。国語では、宮沢賢治の作品を学んだ。
また、毎週金曜日には2時間、作文の授業があった。毎週『最近の出来事』というテーマで原稿用紙3枚書くことがノルマだ。毎週フリートークを作っている感じ、かなり大変だったのを記憶している。
やはり、どの授業でも【表現】することが求められていた。手を挙げることが求められていた。発言することが求められていた。
だから、僕の【表現】はCだった。
だからといって、人は簡単に変われるもんじゃない。
通知表がCだからといって、母親に怒られたからといって、2学期から手を挙げる、発言するというのは小学校2年生にとっては酷なことだ。
そんな中、冒頭の出来事が起きた。
その週の金曜日、いつものように作文の授業があった。
あんな出来事があったのに、僕は書く内容に頭を悩ませていた。
そんな僕に山田先生はこう言った。
「箸がなくなったことを書けばいいじゃないか。」
[箸がゴミ箱に捨てられる]といういじめを受けていたこともつゆ知らず、僕はこのいじめエピソードを[箸がひとりでにゴミ箱に行ってしまった]という不思議エピソードとして、やや面白おかしく書いてみた。
次の週、『山ちゃん通信』にこの作文が掲載された。
『山ちゃん通信』というのは山田先生が作成し、定期的に配布される。いわば学級通信だ。
掲載内容は親御さんへの連絡事項が主であるが、山田先生が選んだ生徒たちの優秀な作文を掲載する場でもあった。
僕の作品がこれまで『山ちゃん通信』に載ったことはなかったので、本当に嬉しかった。
初めて自分で表現したものが認められた瞬間。
このことは僕が変わっていく契機となった。
また『山ちゃん通信』に載りたい。
これが僕のモチベーションになっていた。
授業で手を挙げることも、発言することも次第に増えていった。
通知表の【表現】は
2学期にはB、そして3学期にはAとなっていた。
山田先生は僕に、いじめられていることを悟らせず、かつ犯人探しもせずに、このことを[不思議エピソード]として昇華させてくれた。そして、自分を変えるきっかけも与えてくれたんだ。
10数年経ってから気づけた。
それと同時にあることを思い出した。
僕はあの作文の最後に、こう締めくくった。
「しんじつを知っているのは、はん人だけです。」
本当は気づいていたんじゃないのか?
なかじま
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