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レッスンを受けるということ

同世代、看板を下ろさずに堅実に音楽のレッスンをしている友人、先輩、後輩、みんなレッスンを受けに行っています。自分もそうです。

理由はそれぞれでしょうが、一つ印象に残っている話があります。

昔教えていた生徒さんで、ピアノも習っていました。当時そのピアノの先生は80歳近いおばあちゃん先生だったそうなのですが、「私の弾き方は旧くなっている」と若い先生のところへ通い続けていたそうです。

僕の幼児の頃の先生も、先日先生の先生に「どうしても教えておきたいことがある!」と呼び出されて福山から大阪まで訪ねて行ったとか...

誰しも、どうしても「自分が教わったように」レッスンしてしまいがちです。もちろんそれで成功することもあるでしょう。でも、その方法でうまく伝わらない生徒さんもいます。

自分はもう10年近く今の先生に師事していますが、毎月毎年仰ることが変化します。先生が進化しているんですね。たまに「それ...1年前に僕がやっていて否定された方法なんだけど...」という笑い話もありますが、それでより理解が深まることもあります。

ヴァイオリンが誕生しておよそ400年近いでしょうか。そこで進化してきた楽器の扱いや歴史を考えれば、大学生までの年齢で全てが身につくわけがないんですよね。その時代ごとのスタイルというものもあるでしょう。常に変わっていくものです。

自分が自分の先生を一番尊敬するのは「目の付け所が違う」ということでしょうか。同じ演奏の映像を見ていても、信じられないくらい細かいことを見ています。一通りの技術が身についた後は「精度を高める」、「物差しの目盛を細かくする」ことが大切なことなのですが、毎回脱帽です。どのヴァイオリニストがどういう爪の長さの変遷をたどって、それに伴って演奏がどうなったか、自分がそれを取り入れてどうなったか、などなど。

生徒より少し長めにヴァイオリンを触っている、ということをしっかり活かせる先生が理想ですね。


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