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「『100年生きたら、おもしろかった』を実現するN&C代表 深澤 裕之」

 成長とは
 目指すものを
 変えること
 福島正伸

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今年3月、「くるまざ大学」2期生のための講演&合宿で行った広島出張の際、中村あっちゃんから紹介されたのが、深澤裕之さん

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「まめな食堂」で彼のプレゼンを聴いて建設中のお洒落なオフィスやBARを見て感性の豊かさ、知識の深さ、知性の高さを感じ、voicyラジオゲストとして出演依頼をした。

深澤さんは、Nurse and Craft合同会社 代表社員、一般社団法人まめな 理事としてWellnessを担当している。瀬戸内海に浮かぶ大崎下島で「100年生きたら、おもしろかった」と誰もが言える世界を実現するため、医療介護ヘルスケア領域で活動中。

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そんな深澤さんとのvoicyラジオ対談、1回10分、全5回、フォローして聴いてほしい

深澤裕之さんは、長野県出身の1979年生まれの41歳。高校時代からDJをやり、20代は父親の家業の金属加工業を手伝っていた。父親の糖尿病が悪化し、父の介護をきっかけに福祉用具相談員の資格を取り、「他の分野で挑戦したい!」と介護業界に入っていく。そこで高齢者特有の課題を見つけた。それは、情報弱者であること。「スマホやインターネットを使える人と使えない人との情報格差を埋めたい」と考えるようになる。そこで取り組んだのが、サラリーマンをしながら高齢者向けのフリーペーパーづくり。経験も知識もなく何もわからないまま手探りでやったから、デザインもダサく、写真もブレブレからのスタート。腕の良いデザイナーを紹介されてフリーペーパーは一新された。深澤さんはライティング、編集、広告営業・・・全部1人でやった。「オレ一人でもやる!」って覚悟があれば何でもできると思う。まず必要なのは「覚悟」だ。俺も1996年創業の1年前、全部一人でやってたから、会社設立はスムーズだった。動き始めたら、必要な人が必要なタイミングで欠けている部分を補うように、翻訳、経理、総務、システム・・・と自然と人が集まってきたのだ。

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深澤さんは赤字続きでも使命感に燃えて2年間長野県で仕事を続けていた。するとフリーペーパーが東京の出版社の目に留まる。「雑誌のリニューアルを手伝ってくれないか」とオファーを受けた。サラリーマンを辞めて長野県から雑誌のディレクターをやるため上京した。

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彼は問題解決能力もあるが、問題発見力がある人。手掛けたのは介護に特化した情報誌。4、5年続けて行くうちに「雑誌だけやっていてもしょうがない」とWebメディアを立ち上げる。さらにブロックチェーンというサービスがエストニアから始まったのを機に、インターネットを使って株式のトレーディングを試した。深澤さんと話すまでエストニアがAIの先をいく世界最先端のIT国家だと知らなかった。100円から投資できるサービスに惚れこみ、全く知らなかったceoをネットで探し、Facebookメッセンジャーにサンキューレターを書くと、「来月、エストニアから東京に行くから会おう!」と話がトントン拍子に進んだ。このスピード感がたまらない。深澤さんは、「ただ会うだけではおもしろくない」と、ホームページの日本語訳をつくって相手を喜ばした。「まず与える」が良好な関係性を築く基本姿勢だと思う。「日本人に広められるんだったら、チームを紹介するよ」翌月、彼はエストニアに行くことになる。勝手に好きでやってるからとボランティアで動いた。「介護に特化した情報誌」も「webメディア」も「ブロックチェーン」も、「世の中にないから自分がやる!」という発想。いつも突然アイデアが浮かんでくる。そしてすぐやる!瞬発力、行動力が半端ない。着眼点もいい。そして、常に先の先まで考えて「相手の期待以上」の行動をしている。その習慣が次の仕事に繋がっていく。志は高く、お金では動かない。この姿勢が幸運を引き寄せた。

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エストニアに行ったことで関連会社で介護関係のプロジェクトが立ち上がった。高齢者向け情報誌やwebメディアをやっていて「情報発信だけではつまらない。問題解決に動こう」と思っていたところに、一般社団法人まめな 代表理事、更科 安春さんと出会い「介護のない世界をつくる!」ことを目指す。やっぱり人と人は絶妙なタイミングで出会う。

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そして東京から広島・大崎下島に。そして「自宅で看取れない、重度な人は在宅介護できない」という優先課題に、訪問看護ステーションをつくった。広島に引っ越しをした理由は「無農薬レモンやミカン農家の高齢者は、急勾配で仕事し、歩行スピードが速く足腰が強いこと」。人材を募集するのも、移住希望者と移住してほしい地域をマッチングするプラットフォームで募集。「ストレスフルな仕事を解決したら来るんじゃないか」と週5日勤務から週4日勤務にして週3日の休みは気持ちを切り替えるために他の仕事をするパラレルワークで募集して人材を確保。タイムマネジメントを自分でするのがストレスのない働き方だと考えた。いつも深澤さんは目の付け所がいい。自宅にいることで筋力が落ちたことで出動回数も増え、結果的に訪問介護サービスだけで黒字化したが、赤字が続く中、それでも、その先にあるヘルスケアサービスの構築という想いがあったから、運が味方したんだと思う。現状を変えるのは、目の前の数字にフォーカスするのではなく、常に一歩先の「あり方」を考えること。深澤さんの仕事に取り組む姿勢から、そんな「あり方」が見えてきた。

実証実験では、高齢者にスマートウオッチをつけて心拍や血圧のデータを取得してAIで解析、病気の兆候を検知して適切な医療サービスを提供する遠隔診療も可能に。B to Cだけじゃなく、同業者にも販売してB to Bも考えている。病気の予防、病気にならない生き方に共感する人を増やし、大崎下島で研修ツーリズムもつくっていきたいと言う。

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自分が関わることで、より良い未来を築きたいという想いは大事だ。3月に広島に行った時、地域の空き家を改装・建設中の現場を見て、感性を大切にしているのがわかった。医療介護の世界をダサいからお洒落・素敵にしたい思いにあふれていた。そして高齢者でもIT世界から取り残されない世界に、トークンエコノミーで小さな経済圏をつくりたいという協賛する人が支える未来。時代の最先端を行く姿に、ただただ驚いた。

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彼は潜在的なニーズを掘り起こし、「見せかけの豊かさ」ではなく、「最先端の技術を活用し心の豊かさ」を追求している。きっと、深澤さんの周りには、「自分で考え、自分たちで良い未来をつくる!」そんな人が集まっていると思う。

『100年生きたら、おもしろかった』って、言えるように俺も生きていきたい。

一緒に何度もトークライブもやった同姓同名で友人の医師、中村伸一名田庄診療所 所長同姓同名に所長がいるので俺は院長と呼んでいるが)と深澤さんが繋がったら、新しい何かが生まれる気がしている。福井県・旧名田庄村(現・おおい町)にたった一人の医師として赴任し、在宅医療、介護、看取りを支援してきた人。『入門!自宅で大往生 -あなたもなれる「家逝き」達人・看取り名人』の著者でもある。最後に、彼が「NHKプロフェッショナル仕事の流儀」に出演した時のナレーションの言葉を贈る。

 「“誰にでもある お互い様だ”」
 寄り添い、助け合って生きる暮らしが残る村。
 だからこそ人々に備わる心の広さ。
 中村はそれを実感すると同時に、自分は、地域の人に見守られ、
 育てようとされていることを実感したという。
  医師 中村伸一「NHKプロフェッショナル仕事の流儀」より


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