森林セラピストが伝える大人のひとり旅のはじめ方!近藤順子
voicyラジオにゲスト出演し、毎回コメント投稿しているトム(中根勉)から「愛知県から神奈川県まで来る用事があるので、中華街でランチでも」という話になった。
同じくトムの紹介でvoicyラジオに出演したフミさん(おくやま・ふみさん)も来るという。
もう1人トムから友達を紹介された。それが、今回対談したジュンコさん(近藤順子さん)。シンマさんと対談したvoicyラジオを聴いたトムが「隊長とシンマさんがトークライブやったら参加したい」と言っていたのを思い出し、俺はシンマさんを誘った。5人でランチすることになった。
選んだ店はシンマさんが推す「景徳鎮」。四川の代表料理である「陳麻婆豆腐」はもちろん、「黒酢スブタ」が絶品だった。
丸テーブルを囲んだ時、旅好きなジュンコさんと縁を感じvoicyラジオの出演依頼をした。すると、今ちょうど新しいことにチャレンジする転機だと言う。シリアスな後にコミカルに急に転調する音楽のように展開する話に何度も突っ込みたくなったが、海外で暮らした経験のある人と波長が合うと改めて思えた対談だった。
「旅する森林セラピスト」を目指すジュンコさんの1,123回目から1回10分、全9回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい。
ジュンコさんは埼玉県草加市生まれ。幼少時代は、友達よりも飼い犬と檻越しに話しかけて遊んでいた記憶があるという。飼っていたイングリッシュセッターは穏やかで優しい性格の犬なのだ。特定の友達と遊んだ記憶もあまりなく「一人遊び」をしていた。そんな中、捨て犬を拾って帰宅せずに「この子を飼ってくれませんか?」と近所を周っていたら、町内会を揺るがす「行方不明」事件になって大人達に迷惑をかけた。小学生ではいつも成績は2番目というポジションにいたジュンコさんは、中学になるとバスケ部で練習三昧の日々で部活一色になった。
燃え尽きた彼女は高校では、いわゆる帰宅部。女子高時代が人生最大のモテ期だった。通学時、知らない人に突然、「おつきあいしてください」と声をかけられた。バンドを組んでギター担当になるが、練習嫌いでろくに練習もしないまま付け焼刃で文化祭で演奏するようなダメ人間だったという。好きになれなかったバンド活動を社会人になってもやったが続かなかった。
ガイド科のある専門学校に通い、旅行会社に就職した。小学校の卒業文集に「世界中の人と友達になりたい」と書いていた。英語を話せるようになりたかった少女は、社会人になって「1年働いたらアメリカの支店に行ってもいい」と上司から言われた。旅行会社入社1年目で自分にも他人にも素直になれない偏屈なお客様から信頼され担当になった。それは、ジュンコさんに問題解決能力とコミュニケーション能力がある証拠。入社1年後、「アメリカ支店に行ってもいいよ」と上司に言われるも、彼氏に泣いて「行かないで!」と言われ一旦諦めた。
卒業旅行の手配依頼されたお客様から
「アメリカ留学って、いくつになっても行けるんですよ」と言われ開眼。アメリカ留学を両親に相談すると心配された彼女は自力で渡航をすると決めた。残業は多いが旅行会社ではお金は貯められないと判断し、3年弱勤めた会社を辞めた。そして、知り合いの鉄鋼会社社長から声を掛けられた。「うちで働きなさい」。毎月5万円以上貯めて4年間勤務した会社を辞める頃には、貯金は300万円になっていた。
アメリカのコミュニティ大学に入学したのは、27、8歳の頃。気持ちは声に現れる。アメリカ留学の話になるとジュンコさんの声が弾んだ。暮らした場所はカリフォルニア州LA郊外にヨットハーバーのあるマリナ・デル・レイ、あの有名なベニスビーチやサンタモニカ桟橋にも近い。カリフォルニアの風を感じながら気候も良かったので体質も変わった。車を購入し5車線もあるフリーウェイをオートマではなくマニュアルのギアチェンジ、左ハンドルの車で40分かけて通学した。
2年で帰国する予定だったが、ディプロマ(卒業証明書)をもらって学位も取りたかった。勉強嫌いだった彼女は、勉強熱心な知り合いの影響で頑張って4年制の大学に編入した。当時付き合っていた彼氏はアメリカ人の弁護士でお金持ち。運良く友人からリフォームされた部屋を譲り受け安く住めるようになると、「人生、お金で苦労することはない」と思い込んだ。何かに困ると必ず救いの手が差し伸べられることに感謝して生きていると、ありがたいことが次々やってくるのだと思う。5年ちょっとのアメリカ留学経験で得たものは、「人生、本当に困ることって、そうそうない。何とかなる!」という心のゆとり。
戦略を考えるのが好きで「コンサルティングの会社に入りたい」と思っていたジュンコさんは、サンフランシスコのジョブフェアーに参加した。そこでいきなり3段階面接やって外資系コンサルの会社に合格した。しかも最初に所属したのは一番ITのできるチームだった。凄いことがアッサリ起こる。日本に帰国して地頭の良い同僚たちに揉まれ、「24時間働けますか?」状態で困難な状況を乗り越える力を培ったのは、何ものにも代え難い経験だ。自分の限界を知り、それを突破した経験が、より良い仕事をつくるからだ。
誇れる仕事があった。アメリカの上司やチームメンバーとグローバルプロジェクトをやり切ったのだ。プロジェクト毎にクライアントもロケーションも変わった。彼女の飽きっぽい性格にはピッタリで楽しいこともいっぱいあったが、周りのように頑張れない自分に気づいた。「なんか違う!?」という違和感があったのだ。
会社が吸収合併されることになって英語を使う頻度も下がると仕事のモチベーションが下がった。コミュニケーションの取れない部下との出会いが、カウンセリングや心理学を学ぶきっかけになった。自分を客観視することで新たな展開を生み出したのだ。ところが辞めようと思ってもプロジェクトリーダーを任されて辞められない。辞めようと思ってから3、4年が経過した。
17年勤めた会社を辞める前、3週間の長期休暇をもらってシアトル沖にあるオルカス島に行った。『ガイアシンフォニー地球交響曲』の主題歌を歌い、ボイスセラピーをやっているスーザン・オズボーンさんに会いに行くためだ。森は怖いと思っていた彼女に転機が訪れた。一本の木と出合うと涙が溢れ出したのだ。自然の素晴らしさ、豊かさ、エネルギーを全身で受け止められた。彼女は「人が自分らしく生きることの大切さ」に気付き、森林セラピーの資格を取得した。「人が自分軸で生きるためのお手伝いがしたい」と天からメッセージが降りて来たように感じたからだ。
自然の中に身を置くことで副交感神経を優位に変え、リラックス効果をもたらす自らの体験から「人と自然を結びつけたい!」という思いが強くなった。ジュンコさんは「みんなで行っても行動はバラバラ」という一人旅応援ツアーを考え、北海道、奈良一人旅のサポートを実施しようと、今「一人旅にどういうことに不安を感じているか」アンケートを取っている。
俺は旅行業界にいた35年間(うち22年間は経営)、お客さんが一歩踏み出すために背中を押して来た。誠意を貫き通すことに近道はない。大切なのは「説得よりも納得してもらうためには、どうするか?」「どうしたら、あなたから買いたい!と思ってもらえるのか」自分に問い続けることだと思う。それが世のため人のためになる社会貢献に繋がると信じて。夢は夢を忘れなかったものだけがたどり着ける景色なのだ。
世界の状況次第だが、ジュンコさんの英語力xコミュニケーション能力x森林セラピストを活かして、「いつか海外でリトリートツアー・・・」ではなく、モニターツアーでもいい、早々に海外に着手したほうがいい。そこにニーズがあるように思うし、ジュンコさんの出番があるように思うから。発信するほどに表現力は磨かれる。このvoicyラジオ放送が、彼女の活動を加速するきっかけになったら嬉しい。今後の活動が誰かの喜びや自信、希望に繋がりピースフルな世界をつくることを切に願う。
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