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『30代後半でたどりついたワクワクする仕事』板東高功

 運がいい人は 
 運がいいと思っている
 福島正伸

ばんちゃん(板東 高功さん)との出会いは、今年3月「くるまざ大学」2期生のために講師として呼ばれた広島奥さんと娘さんと家族3人で来ていた。

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中村あっちゃん(中村あつよしさん)が繋いでくれた一人だ。受講生だったバンちゃんの第一印象は「経営者の顔をしているな!」。今回収録を終えて、案の定、勢いと熱意と運だけで22年旅行会社を経営してた俺より、よっぽど経営を知っていた。そんなバンちゃんと1回10分、全7回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい。

ばんちゃんは和歌山県和歌山市在住の45歳。徳島県板野郡の気性の荒い人の多い漁村集落で生まれた。祖父も父も船乗りでセメントをつくる砂を運ぶ海運業をしていた。父はいつも海の上で母は大学勤務、幼少期は祖母と過ごすことが多かったという。今180cmを超えるバンちゃんからは想像できないが、3月生まれのため小学生の時は小さくて、いつも喧嘩で負けていた。時代はバブルの余韻の残る1980年代、裕福な家庭で育った。

中学では柔道をやっていたが、憶えているのは母から「塾へ行け!勉強しろ!」とよく言われていたこと。そのおかげか公立高校ではトップクラスの高校に入学。自由な校風で文武両道、バスケ部に入部した。中学の後半、身長は170cmに迫るまで伸びていたのだ。

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2時限目で早弁、1日5食、片道10kmの道のりを自転車で通い体力をつけた。大学は東京理科大学に進学し上京。武道館で入学式を終えると、みんなに見送られ、そのままバスで羽田空港~長万部空港へ。他の学生は東京や千葉のキャンパスなのに、基礎工学部だけ1年間、北海道キャンパスだったのだ。着いてすぐに毛ガニのお弁当を食べて喜ぶも、ド田舎でやることがない。バスケや山に走りに行ったり、初めての雪山でスキーに行ったりスポーツに明け暮れた。お正月休みも帰省せずに、住み込みのアルバイトをしてスキー三昧。大学2年生から千葉県野田キャンパスへ。留年しないように勉学に励んだ。

初めてバックパッカーでインドを旅した。学割の効くエアーインドでニューデリーから入りカルカッタから出るコースにした。行きの飛行機で声をかけてきたインド人に早くも騙された。「ホテルまで送っていくよ!」。騙されたことに気づいたのはタージマハルで会った日本人に教えられたから。「地球の歩き方」に載っている騙しの手口だったのだ。腹を壊して病院に行くと、帰国して保険会社から連絡があった。「病院に3泊しましたか?」数年後、その手口も「地球の歩き方」に掲載された。

初めて男女相部屋のドミトリーに宿泊した。「その経験がゲストハウスを運営する今に繋がっているのかもしれない」という。聖地バラナシの火葬場でガンジス川に遺体を流す様子を見て死生観が変わったという話をよく聞いていたが、バンちゃんから聞いてリアルな映像が見えた気がした。世界70カ国旅している俺は、ばんちゃんが旅したインド、ネパールに行ったことがない。「インドは呼ばれないと行かない」と言われてる。いつか「呼ばれた!」と思う日が来るのかな・・・

大学4年になって再び受験、東京大学大学院・修士課程を2年、その後、博士課程に進学。5年目でようやく学術論文が通って卒業した。朝から晩まで研究室にいる生活が続き、ばんちゃんは28歳になっていた。

大学院を卒業後、和歌山県立医科大に就職し解剖学を教えた。29歳で奥さんと出会い、33歳で結婚した。特に仕事に不満はなかったが、「これを一生やるのは嫌だな。でも辞めて何をするんだろう?」そう思った彼は、30代前半に1年で200冊以上の本を読み漁った。そこでロバート・キヨサキ(著)「金持ち父さん 貧乏父さん」と出合った。「初期投資も思った以上に必要なく、こんなにもやり方がいっぱいあるんだ」と驚いた。不労所得を得るため3年間勉強し不動産投資を始めた。33歳で結婚した翌年、和歌山市内に中古の物件をキャッシュで購入した。築40年の木造戸建てを150万円かけてリフォームすると幸運にもすぐにお客様がついた。毎月6万円が入ってくる生活が空室にならずに12年続いている。

海運業を営んでいた父が他界。お金を残してくれた父のおかげで銀行からも信用され、お金を貸してもらって不動産投資が加速。37歳で和歌山県立医科大を辞めて不動産投資一本に絞った。奥さんも戸建て3件所有し月15万円入る生活になり世帯収入がアップした。

大学を辞めてリノベーションスクールに通い始め、リノベーション事業で有名な大島芳彦氏と出会い、「シャッター街をどうするか?」がテーマの時、「ここでゲストハウスをやったら、おもしろいんじゃないか?」と提案され、「じゃー僕やります!」と手を挙げた。大島氏から中村あっちゃん(中村あつよしさん)の「ゲストハウス開業合宿」を紹介され北海道函館まで行った。その合宿で大きな気づきがあった。「ゲストハウスをやるのに必死になってたけど、そうじゃない。自分らも楽しまないといけないんだよ」。中村あっちゃんはじめ、スタッフがみんな笑顔で楽しそうだった。それを見て、楽しめていない自分に気づけたのだ。「おもしろうそう!」と始めた原点に帰れた。合宿で出会った人との交流は今でも続いているという。中には東北から和歌山県まで来てくれた人もいるらしい。

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2017年9月にゲストハウス開業。業界では秋開業はやめたほうが良いと言われている。夏が終わって秋になるとお客さんが来なくなり始め、さらに冬からは閑散期になるからだ。個人としては収入はあっても、法人としては収入がない。1年後から夏に稼いで冬に我慢のサイクルになったが3年目、2020年1月、期待していた旧正月を迎える中国からのお客さんが来ない。3月からコロナショックで売上が立たない。商店街の飲食店もクローズすると宿として成立しなくなった。そんな状況の中、ゲストハウスから1分になる公園の管理をすることになった。「本町公園を良くする会」会長に就任。補助金を申請し商店街の空いていた物件を100万円で購入した。「コロナ禍で宿をやるより地元の人が使える場所をつくりたい。誰もがチャレンジする場所にしたい!」と、毎月誰かが飲食店にチャレンジできる空間にする予定で今、リフォーム中だ。

「コロナってチャンスはいっぱいある!」。ばんちゃんは、「くるまざ大学」に入って中村あっちゃんに背中を押される。「宿は女将を雇って、ばんちゃん自身は地域が活きる街づくりの仕事が向いているんじゃないかな?」。その翌月、その言葉を実現させる案件が入って来た・・・。彼には準備ができていたから、チャンスを掴むことができたんだと思う。

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ばんちゃんは、若い頃から勉強するのが習慣になっている。きっと、「そこまでやるか?」って徹底的にやる人なんだと思う。だから、ばんちゃんは当たり前の基準が違うし、次々と新しいことにチャンレンジできるんだと感じた。

「変わり続けるために学び続けられるか?」、「楽しむために心にゆとりはあるか?」、「子どもにとって魅力ある大人か?」、「効率より幸率を意識しているか?」、「家族との時間を大切にしているか?」様々な問いを与えられた。「人生に余白時間は必要だ!」と確信した対談ができた。ばんちゃん、ありがとう。

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 未来のために、今を耐えるのではなく、
 未来のために、今を楽しく生きるのだ。
 高橋歩(著)『WORLD JOURNEY』

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