見出し画像

「ハワイを愛して15年ハワイ島ネイチャーガイド 佐藤昌平(Kai)」

 一人で見る夢は夢でしかない。
 しかし誰かと見る夢は現実だ。
  オノ・ヨーコ

voicyラジオの収録を終えると、対談相手を一言で表現すると「魂で生きる人」に思えた。ZOOM越しに見た彼の背後に「龍」が現れた気がしたのだ。

画像1

「神童」、「天才」、「秀才」、「生命」、「天命」・・・そんな言葉がアタマをよぎったトークだった。収録を終えて、すぐにでも彼の本を出版サポートしたい衝動に駆られたくらい彼の言葉一つひとつが響いた。それがKaiくんこと佐藤昌平さん。ハワイ島在住15年目のハワイアンカルチャーや自然を伝えるネイチャーガイドだ。「ハワイの人たちの笑顔を見たい!」とゴミ問題という地球規模の課題に取り組むためクラファンを始めている。放送を聴いてもらうと、「汚してしまった地球を少しでも元に戻したい」という想いがよくわかる。

地球上の生命が誕生する38億年前から、みんな共通の祖先を持っている。人間だけではなく、全ての生命は繋がっている「みんな兄弟、親戚」。そんな観点から地球に対して自分は何ができるのか?より良い未来をつくるために誰もが特別な役割や責任を持っている。彼が今、取り組むクラウドファンディングは、日本の炭化技術でハワイから世界を、地球を変えていくと感じた。この放送を聴いた人ひとり一人が化学反応を起こして、自分のできる行動に繋がればと切に願う。

画像2

クラファン終了まで、あと12日。目標金額700万円に対して87%達成、現時点で支援総額610万円だ。

2016年、ハワイアンの絵を描くおばあさんに本名を尋ねられたKai君は、「名前の昌平の意味は英語でRising Peaceだよ!」というと、「あなたの名前を大切にしなさい!」。今回の全9回の放送に、「Rising Peace」という言葉が貫かれている気がした。今回収録した1回10分、全9回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい。

画像3

今回マイナス19時間の時差があるハワイ島とZOOMで繋げて収録した。「Kai」というハワイアンネームはハワイ大学ヒロ校に在籍していた頃から海によくいたのでつけられたらしい。俺が初めてハワイ島に行った2014年10月の旅でKaiくんにお世話になった。大手旅行会社に勤めていた隊員(お客さん)からの紹介で、ハワイ島、絶景&露天風呂のある癒しの宿「Makoa」地球探検隊の旅のコーディネートをしてもらったのだ。「今、2歳9か月の息子を連れて行く初めての海外はハワイ島がいいんじゃないか、ロバが庭を走るマコアって宿があってさ・・・」なんて妻と話していたら、「Makoa」オーナーいくこさんからメッセージが入るシンクロがあって、いくこさんのビジネスパートナーKaiくんと緊急収録、放送することになったのだ。

画像4

Kai君、いくこさんが挑戦中のクラウドファンディング!「ハワイに日本の炭化技術を!漂着ペットボトルを炭化し、資源循環させる」

画像5

Kaiくんは神奈川県三浦郡葉山町生まれの湘南育ちの36歳。実家の父方は長野県佐久市、母方は新潟県長岡市。川や海で自然と共に暮らし、小学校から中学まで通学中に富士山を見ていたという。幼少期は「神童」と呼ばれていた。母から聞いた話では、Kai君が5歳の頃、父に平手打ちをされた時に泣かずに、「お父さん、何のためにお寿司屋さんの手があるか知ってる?お寿司を握って、それを美味しく食べてもらう人を幸せにするために手はあるんだよ。だから、手はきっと幸せにするためにあるんだよ。」と父に説法して、その後、父から2度と手を挙げられることはなかった。この説法のエピソードを聴いて俺の気持ちは爆上がりした。「スッゲェーーー5歳児!?」。Kaiくんは感受性が強く、独自路線をいく社会と感覚がズレているが明るい子だった。

画像6

母は、1980年代「スピリチュアル」という言葉の火付け役だった。だから精神世界に沿った育て方をした。中学・高校は反発はあったが社会寄りにコンパクトにまとまっていく。その中で、勉強もスポーツも誰にも負けないくらい打ち込んでいった。「鎌倉武士」を思わせる文武両道の受験校だった鎌倉学園中学校では常に学年で3番以内の好成績で、スキーとバスケにハマっていた。スキーはプロ並みの腕前、バスケ部副部長だった彼は中3の夏、拒食症を患った。原因は、殴る蹴るは当たり前でアル中のバスケ部顧問の先生。学校でもビールの空き缶が散乱して寝ているようなとんでもない人。担任の先生に暴力を訴えても、労働組合で話が止まっていて校長先生まで声が届かない。「大人たちは何を見てたの?」どうにもならないもどかしさに大人への不信感が生まれたのだ。それから、「先生」という言葉が大嫌いになった。「先に生きてても何の模範にもなっていない」。

画像7

「なんで、こんな日本になっちゃったんだろう?」今まで否定していた母親の本棚にあった歴史や日本古来の精神的な生き方の本を読み漁り、客観視して学んだ。「一般でいう社会とは違う世界があって、そこで生きていいんだ」と思えたことが、拒食症が治るきっかけになった。それに三島由紀夫などとも親交のあったノンフィクション作家、大野芳(おおの かおる)氏がKai君のことを心配して、毎日一緒に海に遊びに行って意見交換できたことも大きく影響した。きっと、大野芳氏は解決しないスタンスでKai君と接したんだと思う。答えは自分の中にしかない。自分で解決しないと治らないし自信に繋がらない。だからお互いしなやかに交流していたんだと思う。それで自分のあり様が確立した。拒食症が治った時、世界が変わって見えた。自分の思っている社会とみんなが言っている社会は別なんだと思った。時はダライラマが来日し、精神世界ブームが起きていた。

画像8

高校時代、反社でも、暴走族や極道の世界にはいかなかった。感覚を研ぎ澄ますために瞑想をやったり、有名な宗教家の本は、ほとんど読んだ。意識は内面に向かい、自分が生きる意味を突き止めたかったという。母は霊感が強く見えないものが見えた人で、彼自身も自分と違う存在と話せるようになった。代ゼミに通うと、先生たちが思っていることと自分が思っていることが一致していることにも気づけた。でも代ゼミの全国模試で1位を取っても、何も変わらなかった。勉強ができてスポーツもできればモテると思っていたが自分のことを誰も知らない。彼は志望校だった一橋大学・社会学部に落ちてしまう。

母の周りの人のアドバイスは「アメリカに行きなさい!」。カリフォルニアのコミュニティカレッジに行って英語を徹底的に学んだ。アメリカには日本と違って努力した分だけ認められる土壌があった。先生からも周りからも称賛され、社会が彼を認めてくれた。

画像9

大学1年の頃、友人がJICAでシリアにいく任務が決まったことで、友人よりも前にバックパッカーとしてシリアに飛んだ。「9.11 があってシリアが悪の枢軸国と見なされたが、実際はどうなんだろう?」偏った報道に疑問を持ったからだ。バスケをやっているとオジさんが、「イスラム教は妻を4人までOKだが・・・日本人だから4人以上の奥さんを持てるな」と言った。何を言っているのかわからなかった。彼らシリア人は枠を超える視野を持っていた。人種のるつぼのシリア人はいろんな価値観の中で生きていた。アラビア語の「神の思し召しがあれば」という意味の「インシュアラー」という言葉。全てを受け入れる、諦めに似た言葉が好きになった。「人と争ったり競うのではなく、全部受け入れて、もっと自由に生きていいんだ」そう思うと、自分を許せた。アラビア語を教わったエピソードも面白かった。「その国の言語を知ることは楽しい」Kai君は英語、ハワイ語、アラビア語を話せる多言語脳を持っている。「自分が思っている世界は狭い。もっと自分の視野が広がれば、もっと自由になれる」そう確信した。1ヵ月のシリア滞在で新しい価値観に出合えた。

画像10

カリフォニアのカレッジではネイティブアメリカンヒストリーと心理学を専攻していたが、人種差別もあり息苦しかった。そんな時、「南の島へ行きなさい!」と見えない存在からお告げがあった。22歳の彼はハワイ大学ヒロ校でハワイアンヒストリーを学ぶ道を選択した。この選択がハワイに身を捧げる第一歩になった。大学の同期は秀才ぞろい、ハワイアン寄りでもなくアメリカン寄りでもない客観的な立場でいろんな角度からヒストリーを学んだ。大学卒業後、家族同然の付き合いをしていたハワイアンから「ハワイにいてくれよ」と言われ、「この人たちのために、自分はできることをしたい。ハワイの本当の姿を伝えて生きたい」とハワイ島で暮らすことを決めた。LA時代からの友人、いくこさんがフリーになったタイミングでビジネスパートナーとして「Makoa」を立ち上げた。テーマは「自然とどう生きていくか」。人間も自然のシステムの一部なのだ。

ハワイ在住14年で学んだこと。それは「自分と自然が同じであること」。神=自分というコンセプト。自分が大地と繋がっている感覚が常にある。8年前、フラを踊るKaiくんの姿が脳裏にやきついている。カッコ良くて、時に激しく、時に優しく、ハワイで生きる選択は正しかったと証明するように幸せに見えた。対談した今、彼の凛とした姿は、かつて日本人が持っていた鎌倉武士が伝える「一所懸命」(※一生懸命ではなく)に通づるものがあったように思う。ハワイの「フラ」をやって、「祈りに対して捉え方が変わった!」と言って、8回目の放送ではKaiくんがハワイのチャント詠唱、贅沢な時間になった。ハワイアンチャントも神道の祝詞も、「お願いじゃない。自分はどうするか?自分はやるから自分を見ててくれ!」って言葉に納得した。結婚して日本に一時帰国して環境問題に関心のある人たちと出会ったことも、「コロナ離婚」して一人になって「自分が本当にしたいこと」と向き合ったことも、すべての出来事がKaiくんの「今」に繋がっている。

画像11

最終回9回目では、真骨頂ともいえる放送になった。クラファンを始めたきっかけとは?トリガーになった旅行者の言葉とは?自分が自分に嘘をついていた!?マウナケアの湖「レイクバイアウ」で金色の龍を見た!?赤い虹を見た意味とは?炭の数々の効用とは?支援を募っているわけとは?世界中の人とできる新しいシステム・未来通貨とは?

新しい流れを自らつくる「あり方」は、多くの人の共感を呼び、今、挑戦しているクラファンも、きっと成功するに違いない。

「しかし、山はいいよ。
ここに来ると、なにかこう頭や体が
ピリッとしてくるんだね。
自然は人を甘やかしちゃくれないからね。
人間は怠け者で、ほっときゃいくらでも
楽なほうに流れていく。
でもそれで失うものも大きいはずだよ。
おれもこの冬はずいぶん楽をしちゃったから、
生き物としての勘を取り戻すには
多少時間がかかりそうだね。」
 『春を背負って』笹本稜平(著)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?