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「学び」を自分に落とし込む方法。

こんにちは。中村です。

人生において「学び」は、とても有意義です。
人生において「学び」は、意思決定する力をくれます。
人生において「学び」は、時に向かうべき道を指し示してくれます。

私は思うのです。人は学びによって形成されていくと。
学ぶことで 知識と判断する力、そして生きていく力が養われていくのだと。



「学び」と「勉強」

大人になってから「学ぶこと」の大切さがわかったという人は、意外と多いのではないでしょうか。

これは私の話しですが、
子供の頃の「勉強」は、親の手前というか「みんなやってることだから」「先生がやれというから」という感覚だったんじゃないかなって思うのです。モデラート理論というか、「みんなと一緒がいい、普通がいい」という感覚で、少なくとも私はそんな感じだったと思います。

当時の「勉強」というのは「いい成績を取ること」が目指すべき結果。
(まったくその欲求がなかったから結果は散々だったけど)
その結果として「いい高校、いい大学、いい会社に入る」ということを、
親とか教師が目的としていたわけですね、たぶん。
(自分が思っていたわけではなく)

でも大人になって自分の場合は「勉強する」という意識が消えていって、
そのかわりに「学ぼう」という気持ちが大きくなっていったのです。

たぶんこれは、

「勉強する」= 受動的。やりなさいと言われて受け入れたもの。
「学ぶ」= 主体的。自分のために身に付けたいと思ったもの。

そう考えたからだと思いますね。
(本来の意味は違いますよ。私の感覚を言っています)

つまり「学ぶ」上で大事なことは、
自分の明るい未来のために」という主体性です。自分ゴトであることです。自分勝手でいいのです。学びにおいては自己中でいいのです。

「自分がなりたいと思う未来」に向かって「学ぶ」。
それが私にとっては価値あることだし、そう行動している人を「素敵だ」と思うのですね。
自分自身もそうありたいと思うし、それがポジティブに物事を捉えていける鍵のような感覚なのです。

あなたにとって カッコいい素敵な人とはどんな人ですか?と聞かれたら、
自分の未来のために主体的に学ぶ人です」と私は答えます。
それくらい「自分ゴトとして主体的に学べる人」はカッコいいと思うし、
やはりそんな人は成果を出している人が多いというのが私の実感ですね。

つまり、子供の頃の私が 勉強に主体的ではなかったことが、その散々な成績を見てもわかるというわけです。


そして「学び」には大きな「ポジティブ要素」が含まれます。
人というのはポジティブ要素だけではありません。ネガティブな部分も併せ持っているのが人です。それは普通のことです。
そのバランスの中で、ポジティブ要素を全面に、ネガティブ要素を背面にする方法が「学び」です。

学び」には「未来を見る目」が必要なのです。
未来をつくるために「」学ぶのです。
「学ぶための学び」は無いのです。学ぶことが目的の「学び」は子供の頃だけでいい。

私たちの学びは、未来をつくるための「学び」です。
自分の明るい未来を手に入れるために「学ぶ」のです。
だから、それそのものが「ポジティブ」なのです。
だから、それそのものに「価値がある」のです。


「体験」という学びだってある。

「学び」といっても何も机上の学習だけではありません。
人には「体験」という学びもあります。しかもそれは、とんでもなく「学び効果」が高いものなのです。

「体験」と聞くと、何やらアドベンチャーな感じを想像するかもしれませんが、そういう類のものだけではなく、「体験という学び」は日常に うようよあります。

例えば、自分の商品と似たような人気商品を「買ってみる」という体験。
どんな包装で来るのか。箱を開けていくときにどんな「楽しみ」が待っているのか。箱を開けたら?何を感じた?価格とのクオリティギャップはどう?
色は?印象は?実際に使ってみたらどうだろうか。(EC商品の例)

これは「購入者という体験」によって「顧客目線を学ぶ」ということです。
とんでもなく大きな学びです。


「学び」には学習もあれば体験もある。
「体験」することは学習ではないけど、学習では得られない、机上では得られない「学び」を得ることだって、大いにあるのです。


学んでも変わらない自分がいた。

私は自分でもセミナーや講座をやっていますので、興味のある内容のセミナーにはよく参加します。
まあこれも私の中では「学び」なわけです。学習と体験のちょうど中間のような感覚ですね。

若い頃は会社によく研修に行かせてもらいました。
リクルートさんの研修や、7つの習慣の研修、宣伝会議さんの研修など、大きな刺激を受けた研修もありました。

「いい話聞いたな」「勉強になったな」

毎度そう思って帰るのに、若い頃の私はそれを自分の行動に「落とし込む」ことができていなかった。
「学ぶための学び」は無いということはわかっているのに、その頃の私はあきらかに「成果の出ない学び」をしていたのです。

そうなると まあ研修に行くことに「意味を感じなくなる」のですね。
受けた後の自分の行動が何も変わらないわけですから、時間の無駄ではないかという感覚が芽生えるのです。

どうせ自分には落とし込めないのだから意味がない

これはなぜ そうなるのだろうか。
いい「学び」を受けたのに、自分は変わらない。
だとすればその理由は何なのか。
そのことをしばらく考える時期があったのです。


受講中に私がよく考えること。

そんなある日、またしても会社から研修に行けと。
今回こそは!と意気込みながら「学びのスタンバイ」。

でも人ってやっぱり何時間もそのテンションが続くものではありませんね。
たまたまその時の研修は 内容も淡々とした研修で、2時間もしたら集中力が削がれてしまいテンションダウン。

そんなときです。私の「学び」に変化が生じたのは。


講師が言ったひとつのフレーズ。
それを拾って、自分の仕事に置き換えて考えいったのです。
ノートに広げていくわけです。(研修はそっちのけで)

「そうか、これを自分の仕事に置き換えるとこうなるな」
「待てよ、これって自分の仕事にもそのまま使えるかな」
「これ今度、人に言ってみよ」
「ここは違うけど、この部分は自分にも当てはまるな」
「そうだ、来月の目標にこれを組み込んでみよう」
「よしっ、明日早速これをやってみよう」→手帳に記載

みたいな感じで、自分に置き換えて勝手に考える習慣(癖?)ができたのですね。これは実はとても大きい出来事だったのです、私にとって。

「いい話し」を「自分ゴト」に変換する方法を たまたま知ったという感覚ですね。当然受けている研修の内容からは遅れていくのです。講師の先生には失礼なのだけど、「研修中に”自分ゴト”をノートに展開している間」は研修を聞いていません。”ひとり自習”みたいな感じになっています。

受講者としてはちょっと問題あるのかもしれませんが、
その新しい行動は、研修そのものを「新しい気付きを得る場所」として、私の中では立ち位置が決まりました。
研修は「気付きを得るため」「明日から始める”新しい何か”を発見するため」に行くのだと。

それによって、研修の目的は「学び」なのだという本質にも気付けました。
どうもそれまでの自分は研修を「講師の教えてくれることを理解すること」と捉えていた。だから「自分に置き換えること」をせずに、講師の言いたいことを「理解」しようとしていたのです。

それでどうなったか。次の日になったら「いつもの毎日」です。何も変わらない日常。何も変わらない自分。なんかキャンプの翌日のような気怠さだけ残ってね。


研修だけじゃなく応用できる。

研修の話しをしましたが、自分にとっての「学び」は研修だけではありませんね。むしろ研修は頻度は少ないでしょう。
「学ぶ機会」として最も多いのは、「読書」「動画セミナー・講座」「文字コンテンツ」「SNS」などでしょう。

私はこの方法を 特に「個」対「多」の場合に今でも使っています。
セミナー(ウェビナー)もそうだし、Youtubeなどで講座系・ノウハウ系の動画を見ているときもそうです。
全体的な内容を聞いて考えると自分に当てはまらない部分もあるから、私は「ハウツー系」以外は全体を理解しようとしません。

全体の内容ではなく、発信者(著者など)の言ったフレーズを拾って「自分ゴト」に当てはめて自分だけの中で勝手に広げていく。
フレーズできっかけをもらって、それを咀嚼して自分の身にする。
つまり、自分のフィルターを通して変換するのですね。自分に。

これは私にとって「学び(インプット)を自分に落とし込む」方法として、
もう20年以上もやっていることなのです。


ブレイクダウンさせる能力。

そしてそれを続けていくうちに別のメリットも感じました。
それは「物事を展開する力」が付くという点です。

それを私たちは「ブレイクダウンさせる」と言っているのですが、
あるテーマをどんどん広げていく(展開していく)スキルがついてくるのです。

例えば、「世界にまだない、ダイエットチョコレート」。
それをテーマにして考えてみようとなるわけです。
(ちなみに現物はなく、この文字だけがあるという企画だとします)

そのチョコレートをどう作っていくのか、どんなチョコレートを作っていくのか。それをどう魅せていくのか。それをどう仕掛けていくのか。誰に仕掛けていくのか。

「世界にまだない、ダイエットチョコレート」という言葉から何をどうブレイクダウンさせるのか。それはその人のスキルです。まったく展開できない人もいますし、ピンずれした展開をする人もいます。


それが「ブレイクダウンさせる能力」です。
これは企画センスの話しではなく、間違いなく「スキル」の話です。

「スキル」はどうやって得るのか。
それは「学び」しかないでしょう。学習も体験も訓練も必要でしょうが、学びによってしか「スキル」は向上しないのです。

私はこのブレイクダウンのスキルを、「自分ゴトに変換する習慣」の中から身に付けました。とても大きな成果です。

インプットした学びを自分自身に置き換えて展開する。
ぜひ皆さんにも挑戦してほしい。きっと、知識や経験が自身に吸収されるスピードが変わりますよ。そしてその結果、成長速度も変わっていくのです。


まとめ

今日は、私がたまたま気付いた”ひとつの方法”について書いていきました。
ただこれは「ひとつの方法」にすぎなくて、他にももっと効果的な方法があるのかもしれません。それはどうかご理解ください。

また、技術職の方は当然ながら「熟練」という大きな壁もあります。
これは「体験」「実践」の反復によって得られるスキルアップですが、
その場合のブレイクダウンは「創意工夫」なのかもしれません。

こうすれば人よりも早くきれいにできる。
こうすれば価格を下げられる。
こうすれば高級感が出せる。

その追求行動を考えて展開させる力が「ブレイクダウンさせる能力」です。


世の中にはたくさんの商品や情報が飛び交っています。
情報を丸呑みするのもいいけど、自分のフィルターを持ちながら
「自分に変換する」習慣を付けましょう。

その習慣は、あなたに「ブレイクダウンさせる能力」をも
もたらせてくれるかもしれません。





それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう。





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