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感動するような体験があなたのストレスを無くす

畏敬の念を持つとストレスが減るのだとか。

畏敬の念と言われてもそもそも「畏敬の念って何?」と思う方もいるでしょう。これは簡単に言うと「なんかすごいね!!!」という感覚のことです。

つまり感動するような体験が畏敬の念です。

壮大な自然を前にして感動するとか、芸術的な作品に触れて何とも言えない感情になるという体験が畏敬の念です。

畏敬の念とは要は「自分を超越したような存在」に出会うことです。

そういう体験があるとストレスが減るんですよ。



なぜなら炎症レベルが下がるから。炎症とは免疫力が働いている状態のことです。


例えば熱が出た時に頭がボーっとしますよね?

あの状態は炎症レベルが高い状態です。

風邪をひいた時には体に入ったウイルスを退治しようとして、免疫力が作動するので炎症レベルが高くなるんです。この炎症レベルが高い状態はいわゆる不健康な状態だと言えます。

なので炎症レベルは下げたほうが良いんですよ。

そのために必要なのが「ストレスを減らす」ことです。

ストレスが多いと自律神経のバランスがおかしくなり、心身ともに不調をきたしますからね。だからストレスを減らすことは健康的になるためにも大事なんですよ。

そしてそのために効果的なのが畏敬の念と言うことです。

実際に畏敬の念を持つ人ほどポジティブで、社会的な感情が高まりストレスが減少するという話があるんですよ。なぜそうなるのかが不思議な面もあるのですが一説によると、より壮大な事柄との出会いは「自分と世界のつながりを現実的に認識できるから」ではないかと言われています。

つまり世界の中の自分を現実的に認識できると言うこと。

例えば宇宙から見た時に自分は小さな一つの存在です。その「小さな1つの存在である自分」をちゃんと認識できるかどうかが重要なんですよ。なぜならそういう認識を持つこと世の中の現実をちゃんと知れるから。


「自分はちっぽけな存在だったんだ」

という現実的な認識を持つことも大事なんですよ。


これは一見ネガティブな認識に見えますが必要な考えでもあるんです。なぜならそう考えることで、世界を思い通りに出来ない現実を受けいれられますから。

「世の中を自分の思い通りに動かせる」と思ってる人ほど、思い通りにならない現実に嫌気がさして、ネガティブな思考に陥りるわけです。現実的には世界をコントロールするなんて出来ないですからね。そんなことは無理話です。

自分が世界の全てでは無いですから。

思い通りにならないことの方が多いわけです。

この世界の結果は「自分以外の要因」により、結果が決まるということはよくありますからね。つまり「自分ではどうしようもないことはたくさんある」ということです。

だからそういう現実を認識することも必要ではないかと。

それをちゃんと受けいれると思い通りにならない現実も受け入れられます。

その方がイライラせずに済むでしょう。つまりより現実を正しく知るとストレスは減るということです。また壮大な宇宙をイメージして「その世界の1つが自分」と思えると、「自分は宇宙の1部分だ」と思えたりもします。


そう思えると「自分の必要性」も知れるわけです。


そう考えることが出来れば「自分はちっぽけだけど、重要な存在なんだ」と思えるわけですよ。だから畏敬の念を抱くというのは大事なんですよね。そういう気付きが活力に繋がりますから。

その他にもより高レベルの芸術家と出会うことや、感動するような風景なども畏敬の念の1つです。

こういう出会いもまた大事です。

その感動が自分のちっぽけさと必要性を感じるきっかけになりますから。だからこそ「なんかすげー!」っていう感動的な体験は必要なんです。

そうやって畏敬の念を持つこと。

そうすれば自己の感情が弱まりエゴが弱くなります。

だからこそ無駄なストレスを抱えないために、畏敬の念を持つことを考えてみるのも良いかもしれません。

何者でもない僕をサポートしてくれるならあなたの気持ちに答えれるように、これからもコツコツ頑張っていきます。