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幸せを求めないほうが幸せになれる

幸せを強く求めない方が幸せになれると思うんですよね。

例えば「結婚すれば幸せ」と考える人は多いですが、これは逆に言ってしまえば「結婚できなければ不幸せ」と言ってるようなもんだと思うんですよ。でも結婚せずに幸せな人生を送っている人も実際にいますよね。


幸せを求めないほうが幸せになれる

幸せの形を限定的に考えないほうが得だと思うんです。

結婚すれば幸せとか出世すれば幸せとか、友達が多い方が幸せとかお金持ちになることが幸せなど全て限定的な幸せです。これ以外にも幸せの形があって結婚してなくても、出世できなくても、友達が少なくても、お金が無くても幸せにはなれます。

しかし幸せを強く求めてしまうと他の幸せに気付けないんですよ。

だから幸せを求めると不幸せになってしまうんですよね。

「これが幸せだ!」と考えてしまうことで幸せの形が限定されてしまい、それを手に入れない限り幸せになれないと思い込むんです。そうやって自ら幸せのハードルを高めてしまい不幸になってしまうんですよ。

だからもっと多様な幸せを考えたほうが良いかと。

どっちに転んでも良いと思える方が幸せにはなりやすいですから。

結婚しても幸せだし結婚できなくても幸せに過ごせると思っている方が、幸せの幅が広いのでその方が幸せになれる確率が高いわけですよ。例えば美人と付きあうほうが良いという考えがありますが、幸せになりたいなら不美人と付き合うのも良いと思える方が得です。

なぜなら美人と付き合うのは難しいことだから。 

美人な人はいろんな人からアプローチされます。

なのでライバルが多く美人と付き合える可能性は低くなるわけですよ。

一方で不美人だとライバルが少ないので付き合える可能性が高まります。それはつまり幸せになれる可能性が高いということでもあるので、不美人の人とも付き合いたいと思っている人の方が幸せになれるんですよ。美人でも不美人でもどっちでも良いと思える方が得なわけです。

もちろん心の底からそう思えることが大事ですよ。

表面的な発言だけじゃ意味ないですからね。

例えば寿司やステーキなど高級料理を食べて幸せと感じることもありますよね?この幸せもすごく大事なモノですが同時に、「卵かけご飯を食べても幸せ」と思える方が幸せの幅が広くてそういう人の方が人生楽しいはずです。

一方で「卵掛けご飯って貧乏くさいよね」とか「卵かけご飯では満足できない」と思っている人は幸せから遠のいていきます。

そういう人は幸せを限定的に考えていますから。

だからこそ幸せをもっと多様な形でとらえることが大事です。

「何が幸せなのか?」と深く考えずに「どうあっても楽しく過ごせるなら幸せだよね!」と気軽に考えている方が幸せの価値観としては適切だと思うんです。それくらいザックリと包括的に幸せをとらえてる方が適切な気がします。

そもそも幸せと言うのは感情的なモノだと思うんですよ。

つまり「幸せだと思うから幸せ」になるんじゃないかと。

なので感情的な幸せを味わうほうが良くてそこに「なぜ?」と言う疑問を持たないほうが良いわけです。幸せに理由をつけてしまった時点で幸せのレベルが下がりますから。

感情的なモノに論理を組み合わせないほうが良いんです。

論理は感情レベルを引き下げますから。

なのでネガティブな感情が高ぶった時に論理を組み合わせて、感情レベルを下げるのは良いと思うんですが、ポジティブな感情はそのままにしておき論理的な思考を持ちこまない方が得策だと思うんです。そうやって幸せを堪能することが幸せなわけです。

幸せは体感的なモノですからね。

なので論理から離れて感情のまま幸せを味わうことをお勧めします。

ちなみに今が不幸せだからといってこれからも不幸せと言うわけではありません。実際に高齢になるほど幸福度が上がる傾向があるようで、死ぬ間際の80代では最も幸福度が高いのが事実です。なので未来の可能性を信じることも大事かなと思うんですよね。

高齢の人ほど現実を受けいれてそれなりに楽しく生きていると思います。

そういう価値観を取り入れることで自分たちも幸せを堪能できるかも知れませんし、今の自分が味わえないことでも未来の自分はガッツリ、幸せを味わっているかも知れませんから。

だから今だけに留まって全てを決めるのも間違っているかなと。

それなりに幸せに生きる道はあるでしょうからね。

幸せを限定的に考えずに多様な形で受け入れて、自分なりの幸せの道を見出すことも大事なことです。

何者でもない僕をサポートしてくれるならあなたの気持ちに答えれるように、これからもコツコツ頑張っていきます。