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幸せの粘土細工

家の前のみすぼらしい街路樹でアブラゼミが鳴き始めた。もしかしたら、ずっと鳴いていたのに自分が気づいてなかっただけなのかもしれない。けれど、とにかくあのアブラゼミのやかましい鳴き声を今年初めて耳にした。
家を出て、大通りの信号を待つ。相も変わらず世の中と言ったら許しがたいことばかりだ。怒りはとうに通りこして、近頃の話をするとき僕は皮肉めいた笑い方しかできない。ただ、こういう茶番のような悲劇はきっと実際には周りで数え切れないほど起こっていて、今まではずっと自分の目でうまくその輪郭が見えていなかっただけなんだろうな。悪いことなんていくらでもあるし、仕方ない、いや、だとしても。次々に浮かぶ負の感情をスッと遮るように一筋の汗が頬を伝った。我に返る。信号は青。炎天されども今日は散歩日和。

天気が良いというのは総合的に判断すると本当に素晴らしいことだと思う。というのも、基本的には天気さえ良ければ僕の周りの大概のことはうまく進むからだ。これはもう30年近く生きてきて認めざるを得ない。僕自身は自分の心の上がり下がりで生きているつもりなのに、どうしてか外的なものに大きく左右されていることが多々ある。それを体感するたびに、はたして自分の意思とは?という気持ちになる。それでも普段よく心が滅入ってしまいがちな自分にとっては晴天はRPGの「バフ」みたいなものなので、とりあえず受け取っておくに越したことはない。

ぐるっと駅周辺をひと回りして家に帰った。涼しい部屋で思い返す、最近の自分の幸せ。少し遠くのコンビニに足を伸ばしてテレビ番組で褒めそやされた何とやらというスイーツをゲットすること。Apple Musicでたまたま聴いた知らない誰かの音楽が自分の心にクリティカルヒットすること。家で飼っているハムスターのあくびの瞬間を目の当たりにすること。
「大きい不幸には目を瞑って、小さな喜びを固めて合わせて誤魔化しているだけなんじゃない」なんて自分の中の否定的な存在が口を出してきそうだけれど、小さな喜びは小さいからこそ他人にも共有しやすいし、このゴテゴテにまとめられた不格好な幸せのかたまりがいま自分の人生をなんとか繋いでいることは確かだ。

これは予言になるけれど、僕はまたすぐにあっさりと落ち込む。それも、うんとどうしようもないような理由で。
青春の謳歌による弊害かと思っていたこのアップダウンは、少なくとも僕の性格上は比較的歳を重ねても定期的に訪れるイベントになりそうだ。こんなことに気づくのに半世紀以上も費やしてしまったなんて情けないけれど、もし次に落ち込んでしまったときのために、幸せのかたまりをちゃんと用意しておこうと思う。そして落ち込んだらそれを物置きから引っ張り出せるようにしておこう。今の調子がいつまで続くかわからないから、粘土を無造作にベタベタくっつけるみたいに、がむしゃらに良かったことをかき集めるのだ。誰かと比べるものじゃないからね。どんな見た目でも形さえあれば良いのだ。



自分の書いたことを見返してたらふと大好きな曲を思い出したので、終わりに貼りつけておきます。

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