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あなたの呪いを教えてください

誰にでも呪いがある。

例えば、それは身体的なコンプレックスだったりする。もしくは就活のネタにすらならないような恥ずかしい挫折経験だったり、まだ青い頃に想いを寄せた人が放った何気ない傷つく一言だったりもする。
そういうものは他人にとって「ただの欠点」にしか映らない。下手すると欠点にすら映らない。似たような悩みを抱えている人がそれほど少なくはないことも頭ではなんとなく理解しているつもりでいる。それでも何かの拍子にあのときの古傷が抉れ、また拡がってしまうんじゃないか、ということにビクビク怯えながら暮らしている。なぜならそれは呪いだから。皆がそういうものをこっそりと自分の奥底に閉じ込めて、ときに「ただの欠点」に混ぜてバレないように吐き出すかたちで、なんとか平和な生活を送っている。皆の呪いが何なのかはわからないけれど、そのことだけは確かだ。

皆にあるんだから僕にだってそういうものはある。10年程前、当時高校生だった僕の前に現れたTwitterは僕を新しいコミュニケーションの世界に連れて行ってくれた。僕の好きなバンドをフォロワーは皆熟知していて僕に次のおすすめを教えてくれる。大学へ合格したことをどこかにいる知らない大人が祝ってくれる。あの頃は新しいことだけが溢れていた。SNSは希望になってくれた。そして滝のように文字列を次から次へと過去に押し流していくタイムラインは、ときに僕の呪いの墓場にもなってくれた。大学生の頃、心に致命傷を負ったことがあった。当時の誰かや今の僕にしてみればただの「かすり傷」だったかもしれないが、そんなことはただの結果論で僕には何かを思いやる余裕はなかった。フォロー0・フォロワー0のアカウントを使ってインターネットの広大な海に負の感情をばら撒いた。それは誰にも見られることなくただ、過去へ過去へと葬られていった。

この前、恥ずかしながらそのアカウントを久しぶりに覗いて、驚いてしまった。口は悪いし、言葉は乱雑だったけれど、自分の文章をこんなにはっきりと自分だと分かるのかと引いてしまうぐらい、それは紛れもなく僕の台詞だったのだ。同時に、僕は今でも小さな呪いを吐き出しているのかもしれないとひやりとした。自分のコンプレックスを、人生のやりきれなさを、まるで割れてしまった食器を新聞紙でくるんで捨てるように、誰かを傷つけないようなんとなく耳障りの良い言葉に乗せて吐き出しているのかもしれない。

醜いだろうか。浅ましいだろうか。
僕は、それでいいと思った。呪いというのは言葉によって縛り付けられているものだと思う。だったらそれは言葉で以って少しずつ取り除いていくしかない。そうやってみんなが過ごしていることに僕はもう気づいてしまっている。愚痴も泣き言もこのSNSにはいくらでも溢れていていい。ネガティブでいていい。弱くていい。僕はそういう場所で今日も知らない誰かのことを、そして知らない誰かの呪いを垣間見ている。

幸福な環境で生きてきた自分が思うには出過ぎた考えかもしれないけれど、最近、その呪いを自分が解けるようになりたいなと思った。僕たちはこの愛憎渦巻くインターネットで誰かにかけられてしまった呪いを重たい足枷のように引きずって彷徨っている。人がかけた呪いを解くことができるのも、また人なんだと思う。ていうかそうじゃないと誰かと一緒に生きていく意味がない。呪いを解くことがもし僕にもできることなら、誰かの呟きが日々移ろう世界からこのまま離れられなくたっていい。
全部を肯定したい。もう怯えなくていいんだよと、自分にも、あなたにも言いたい。僕自身が誰かにかけた呪いもきっと存在しているに違いない。そんな心ない自分が正義ぶったことを言うのは似つかわしくないかもしれない。それでも別の誰かがかけた呪いを、自分がこの手で解けるようになりたい。
そういう人に僕はなれるだろうか、もしいつかなれたら。あなたの呪いを教えてください。

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